第三話 秘密の話(2)
無言のまま私を引っ張る探偵様に二階へと続く階段を上らされ、最終的に押し込まれた場所は彼の寝室だった。
「私は自分の部屋に戻りたいんだけど」
「ここに何か不都合でも?」
「君と一緒にいたくないだけだ」
「聞こえない」
がちゃり、と。
わざとらしく大きな音を立てて両開きの扉が閉ざされた。
この部屋もまた、本が隙間なく並んだ天井までの棚に囲まれていた。掃除が行き届いているのか埃一つ落ちていない。書斎より広い空間にはシワ一つなく整えられた大きなベッド。書斎に面した壁にはクローゼットがある。他の家具と言ったら低いチェストと背もたれの大きい肘掛椅子。そしてコーヒーテーブルとその上に置かれたノートパソコン。それぐらいだ。他に気になるものはない。
「なぁ先生」
扉前で仁王立ちする彼女が尋ねてくる。
「七瀬瞳が織作織之助のことを慢性疾患のオンパレードだと言っていたが、具体的な疾患名はなんだ?」
「私が知るわけないだろう」
「この部屋で診察や治療を受けていたのか?」
「だから知らないってば」
「役に立たない関係者だなぁ」
理不尽な文句を口にして、彼女は寝室内を見回す。
「気になるものでもあるのかい?」
「いや、特にないんだ。気になるものが」
「だったらいいだろ」
素っ気なく言い返してやれば、薄灰色の双眸がにまりと笑む。
「まぁいいや。私がわざわざこの部屋に来たのはさ、アイツに言われたからなんだ」
「アイツ?」
「小早川柚木」
……これ、何回目のやり取りだろう。
言葉を飲む私を横目に、探偵様は手にしていた冊子をコーヒーテーブルに置くとノートパソコンを取り上げた。肘掛椅子に深々と腰を下ろすと、その長い脚を冊子の上にどかりと乗せる。
「足。行儀が悪いよ」
昨夜とは違いパンツスタイルだから、そういう格好をしていても素肌が見えないのは幸いだ。彼女は姿勢を正すことなく、太腿の上でノートパソコンを開く。
「床で寝てたヤツに言われたくはないな」
「……もしかして、あの後すぐに戻ってきた?」
「いや。シャワーから出たところを神居に捕まって、明け方まで強制的に屋敷の見回りだ」
「それは、ご愁傷様」
不満げな表情にいい気味だと思ってしまう。彼女は僅か目を細める。
「なぁ先生。最近太っただろ」
「なんで?」
「重かったから」
「……えぇっと」
まさかとは思うが、床に寝ていた私をソファーに持ち上げたのは彼女……なのか?
だとしたら、さっきの恭介の言葉もあながち悪い冗談ではないのかもしれない。今すぐ首元を確認したい衝動をなんとか堪える。
彼女の背後にある窓のカーテンは開け放たれ、重く沈んだ空の下でくすんだ緑の木々が大きく揺れている。本棚に囲まれた室内は電気がついていないせいで薄暗い。ディスプレイが照らし出す貌は等身大のお人形さんみたいだ。人工的な光線を弾く無機質なガラス玉の動きにたじろぐ。
「……それで? 織作先生と新の居場所はわかったの?」
「さぁな」
沈黙の気まずさを取り繕って大声で尋ねれば、彼女は軽く首を傾げた。
「篠塚洋平と七瀬瞳、織作久子は、部屋を見せてくれもしなかった。織作新の部屋は神居が何度体当たりしても扉がビクともしなかったしなぁ。もしかしたら、今もまだそのうちのどこかに隠れてる可能性だってある」
「そう考えると、この寝室だって怪しいと思わないか?」
実は少しだけ気になっていた場所だった。
「もしかしたら、あの映像は寝室からだったんじゃないのかな。織作先生は映像に映る部分だけ、書斎にあるのと全く同じモノを置いたんだ」
「ふぅん? だが、映像が終了した直後に寝室は確認したんだろ? 神居が誰も隠れてはいなかったと言っていたぞ」
「あの時に寝室を調べたのは篠塚だ。それに、あの映像の場所を『書斎だ』と恭介に教えたのも篠塚だろ?――もしかしたら、篠塚は織作先生と共犯なのかもしれない」
思い付くまま口にした言葉が、昨日の出来事を順に思い出すうちに確信へと変わる。
「そう考えると、その後に外で『織作先生に襲われた』と言った理由もわかる。篠塚と新はお互いの事を良くは思っていなかった。きっと篠塚は新を殺すために織作先生と手を組んだんだ。今、織作先生は篠塚の部屋に匿われているのかもしれない」
一気に話し終えて、後悔する。私を見つめるガラス玉はとても愉快そうだ。歯切れのよい笑い声が薄暗い書斎内の空気を震わせた。
「あはは、先生のほうが探偵みたいだ。そう思うなら、今この部屋を調べてみろよ。書斎側の本棚とかクローゼットとか、怪しいトコがいっぱいだ。どこかに隠し扉とかスイッチとかがあるかもしれないぞ」
「怪しくないから調べなくてもいい!」
そうだ、私は推理作家だ。決して探偵なんかじゃない。調査や謎解きは恭介と彼女に任せておけばいいんだ。私は、私本来の仕事に戻らなくては……。唐突に新作の構想に悩んでいる現実が圧し掛かってきた。彼女の脚が乗せられた冊子の存在が強く意識に迫る。
「なぁ先生、いい加減に教えてくれよ」
私の視線の先に気がついたのだろう。彼女はテーブルから足を降ろすと冊子を手に取った。
「これ、どんな話なんだ?」
「……後で勝手に読んでくれ」
「私はお前の口から聞きたいんだ」
無言で拒絶する。小さな溜息。
「小早川柚木が言ったんだ。織作織之助が使っているパソコンに私が求める答えがあるって」
彼女は自身の太腿に乗せていたノートパソコンをテーブルに置くと、こちらにディスプレイを向ける。そこにはパソコンを立ち上げた直後に表示される画面――パスワードの入力を求めるログイン画面が映し出されているだけだった。
「だが、あまりにもあからさまだ。私が欲しい答えはこんなんじゃないのに――」
嘆息。
探偵様にしては珍しい、沈んだ表情だ。
「パスワード、わからないのかい?」
「まさか。先生だってわかるはずだ」
「わかる訳ないだろう。無作為な英数字の配列が何通りあるのか計算するまでもない。推測するのは不可能だ」
「このパスワードは無作為な文字列じゃないよ。織作織之助にとって小早川柚木の存在と同等か――それ以上の存在だ」
「……なんでそう言い切れるんだい?」
「私が探偵だからだ」
きっと、私はパスワードを知っている。
唐突にそう確信した。
彼女が手にした冊子がさらに存在感を増す。
「心当たりがあるなら、一度試してみたらどうだ?」
低い滑らかな声がまるで催眠術のように私の指を動かす。心臓の鼓動が妙に煩い。キーボードを打つ指先と呼応して、黒丸で表示されていく文字列が私にはハッキリと認識できた。
――どうか、違っていますように。
祈るような気持ちでエンターキーを押す。しかし、私の祈りは届かなかった。あっさりとロック画面は解除され、初期設定のままのデスクトップが表示される。
「……ふん、やっぱりな。パソコンの中身はどうでもいいってか」
彼女の呟きの意味が私には全くわからない。事実を受け入れられず、青白いディスプレイを凝視することしか出来ない。――私が書いた恋愛小説の題名こそが、織作織之助のパソコンのパスワードだったという衝撃が大きすぎた。
「これは織作織之助にとって、小早川柚木と出会わせてくれた運命のお話というわけだ」
彼女の言葉が、薄幕一枚隔てた向こう側から聞こえてくるようだ。
私には消し去りたい過去の作品だというのに、彼にとってはそんなにも重要な存在なのだろうか。自分が自分の感情のままに書き上げたセカイが、こんなにも他人に影響を与えているなんて考えたこともなかった。一気に背筋が寒くなる。それは高所から眼下を覗き込んだ時のような、自分ではコントロール出来ない本能的な恐怖感。なんだか、とてつもなく恐ろしい感覚だった。
「なぁ先生」
彼女の視線を強く感じる。でも、私は彼女を見ることが出来ない。
「この話、どんな内容なんだ」
「……ダメ。絶対に教えない」
「なぁ頼むよ、羽琉。私はお前の口から聞きたいんだ」
低く滑らかな声が身体に染み込んでいく。続けてもう一度、同じように名前を呼ばれる。私は瞼を閉じ、小さく息を吐き出す。
「――同性同士の、恋愛の話だ」
二人は、二人きりのセカイで生きていきたいだけなのに、周囲がそれを許してくれなくて、お互いがお互いを守るために罪を重ねていく――そんな、ありふれた話。周囲を排除し続けた二人は、この優しくないセカイに居場所を失くし、ついには自らセカイと決別する。……それはいつか、私に訪れるかもしれない一つの終幕。私自身の物語だ。
「最後は二人とも死ぬのか?」
「死ぬよ。二人を苦しめる全てを消し去るために」
「現実世界で結ばれないのであれば死後の世界でってか?――だが、ある意味それも救いか」
「死ぬことに救いはないよ」
言葉が口をついて出た。
現実世界で周囲からの心無い言動に傷ついて辛い思いをするぐらいなら、愛する二人で死ぬことこそが幸せなんじゃないかと、今でもそう信じている自分がいる。ただ脳ミソを含めた肉体の器官全てが完全に活動を停止し、そこから精神が離れてしまえばそれっきりだ。現世ではもう、互いに笑い合うことも触れ合うことも出来ない。当たり前だ。それが死ぬということなんだから。それに物語の中の二人は決して救いを求めて自らこのセカイと決別するわけではない。どこまでも、ただ破滅へと向かって二人で堕ちていくことを選んだだけだ。
「なぁ羽琉。今のお前ならどうする? やっぱり二人は死ぬしかないのかな」
「……わからない」
わからないよ。
「羽琉」
すぐ間近で彼女が微笑む。とても綺麗に。
「どんなことがあっても、私は最後まで二人で生きていきたいって。そう思うけどな」
伸ばされる柔らかな両手。
「……やだ。こないで」
近づく自分以外の体温から後ずさる。
「どうして? 私はお前のことが――」
小走りで廊下を駆けてくる足音が鼓膜を震わせた。
軽いノックの音が3回。
「お食事のご準備が出来ました。お二人とも食堂までお越しください」
しかし、扉は閉ざされたまま。
涼やかな声音だけを残して、足音が軽やかに遠ざかっていく。
「柚木さん、待って!」
私は急いで扉に駆け寄り、部屋の外に飛び出す。
今まさに、華奢な後ろ姿が廊下の角を曲がっていくところだった。
「柚木さん! どこに行くの?」
「ああ、羽琉さん」
曲がり角から覗いた白い細面は、なんだか悪戯がバレた子供みたいだ。
「探偵さんとのお話は終わったんですか?」
「彼女と話すことなんて何もないよ。それより、柚木さんは食堂に戻らないのかい?」
「僕は篠塚さんに声を掛けてから戻ります。お二人は先にお食事をどうぞ」
「だったら私も一緒にいく」
昨夜の篠塚の態度が蘇る。柚木さんをたった一人でアイツの部屋に行かせるのはなんだか、イヤだ。
「じゃあ私も行こうかなぁ」
柚木さんと一緒に廊下を歩きだせば、なぜかその後ろから彼女もついてくる。ニヤニヤとした笑みは、心の底から面白がっている時のそれだ。さっきまでの真剣さは一体どこにいったのだろう。思いっきり睨みつけてやる。
「ついてくるなよ。君はさっさと食堂に行ったらいいだろ!」
「そんな邪険にするなって。べつに一緒に行ったっていいだろう?――なぁ小早川柚木?」
「ええ、もちろん」
私を挟んでぶつかり合う視線の意味は――深く考えないでおこう。
続く二人の会話は聞こえない振りで、私は歩く速度を早めた。




