第一話 一夜明けて
目が覚めるとソファーに横たわっていた。床の硬さに苦痛を感じて、無意識に上がったのだろうか。
「――つまり、織之助と新は共犯ってコトよ」
覚醒しきらない脳ミソを揺さぶったのは衝撃的な言葉だった。
「考えてみれば簡単な話よね。織之助があんな風に新を捕まえられるハズがないじゃない。力の差がありすぎるわ」
「織作新は織作織之助のことを嫌ってるみてぇだったが?」
「だからこそ、共犯関係を疑われにくいって考えたんじゃない? それに新は、織之助だけじゃなくてアタシたち全員がキライだわ。それこそ殺したいぐらいにね」
ゆっくりとソファーから身を起こす。
今は何時頃なのだろう。リビングの窓には相変わらず厚いカーテン。ガラスを叩く雨音は意識を落とす直前とさほど変わらないように思えた。
「織之助自身が招待状に書いてたでしょう? この屋敷に集められた人間の中で新が一番人を殺す術に長けてるわ。会社経営が上手くいかなくて、莫大な借金を抱えてるってコトもね。大方、借金の肩代わりをするのを条件に協力関係を結んだんじゃない?」
「だとしたら、昨日の映像は俺たちに新が殺されたと思わせるための演出か。アレは書斎とは別の部屋からの映像で、停電の混乱に紛れて屋敷の外に逃げた。そして今も、アンタらを殺す機会を窺ってる……って考えんのが妥当か?」
「ええ。一切自分の手は汚さず、他人を操って目的を果たそうとするなんて、いかにも小心者の織之助が考えそうなコトよ。――どう、アタシの推理? 織之助の考えなんて全部お見通しよ。探偵なんて必要ないわ」
暖炉前のソファーに座る七瀬さんはとても愉快そうだ。浮かない顔の恭介は腕を組んで壁に寄りかかっている。――探偵様の姿は、ない。
サイドテーブルに置かれていた黒縁眼鏡をかけて、私も話に加わろうとソファーから立ち上がる。
「ああ、よく眠れたか?」
恭介の言葉は、しかし私に向けられたものではなかった。
「あら、久子おば様と光じゃない。二人ともなかなか部屋から出てこないから、殺されちゃったのかと思ったわ」
「貴方の方こそ、まだ生きているのが驚きですわ」
リビングに姿を現したのは、昨日同様の訪問着を身に纏った久子さんだった。嫌味たっぷりに投げかけられた言葉にも毅然とした態度を崩さない。しかし、その横顔はあまり優れないようだ。久子さんの斜め後ろでスマホをいじる光君は大きなリュックサックと肩掛けバッグを持っている。
「私達は帰らせていただきます」
唐突に久子さんはその場で一礼した。それ以上は何も言わず、元来た廊下に向き直る二人を恭介が急いで止める。
「おいおい。帰るったって、アンタらはここまで誰かに送ってきてもらったんだろう? 迎えが呼べたのか?」
意外と礼儀を重んじる恭介にしては、年配者に対するこんな砕けた口調は珍しい。突飛な言葉にそこまで気が回らないのか、ただ単にこの屋敷にいる人間に対して敬意を払う気がなくなったのか。
「ええ、たった今連絡がつきましたの」
即座に頷いた久子さんの言葉を確かめるため、ポケットから取り出したスマホの電源を入れてみる。昨夜の通信障害は悪天候による一時的なものだったのだろうか。確かに電波とWI-FI表示は通常通りに戻っていた。……だからといって、その事実が今の状況を打開するきっかけになるとも思えない。だって、この屋敷にはすでに刑事も探偵もいるのだ。それ以上、私は誰に助けを求めればいいのだろう。そもそも、私は何から助けてもらいたいのだろう。
「そんなにすぐ、この屋敷まで来れるってか?」
恭介が訝しそうに聞き返す。
「俺も通信が復旧してから署に連絡したが、すぐには応援を寄こせねぇって言われたんだ。昨日からの大雨で山道が危険かもしれねぇから、道路状況の確認がとれるまでは待ってくれって。アンタのトコの運転手は大丈夫だって言ったのか?」
「いいえ。私の運転手にも同じような事を言われましたわ。けれど、可能な場所までは来るようにと伝えましたの。合流することが出来る場所まで光と山道を歩いて下るつもりでしてよ」
「バカ言うな、危険過ぎる。昨日あんだけの雨が降って、今もまだ降り続いてんだ。道路の状況がわかるまではここにいてくれ」
「……今、この屋敷に留まり続けることの方が危険なのではなくて? それとも、貴方が私達を街まで送ってくれてもいいのでしてよ」
「そう言われてもなぁ」
恭介は困ったように顎をさする。
「久子おば様は、そんなにも織之助に殺されるコトが怖いのかしら?」
愉快そうに口を挟むのは七瀬さんだ。
「それとも、怖いのは新のほうかしら? まぁそれもそうよねぇ。織之助より新のほうが何をしでかすかわからないものねぇ」
「夫も息子も怖くはないわ。ただ、明日は人に会う用事がありますの。それで早く帰りたいだけですわ」
「そう? だったら、アタシの車に乗せてってあげてもいいけど?」
七瀬さんは真っ赤な唇をにまりと笑ませる。
「ただし、何ゴトにも頼み方ってものがあるわよねぇ? そこで土下座してくれたら考えなくもないわ」
「誰が貴方に土下座なんかするものですか!」
「あら、残念。ま、そもそもアタシは織之助を殺すまでは帰る気なんてないんだけどね」
「あのなぁアンタも大概にしろよ」
本気とも冗談ともつかない七瀬さんの発言を恭介が窘める。
「自家用車で来たのは、アンタと新と篠塚の三人か。織作織之助は車、持ってねぇのか?」
「あんな身体で車になんか乗れると思う? 食料も日用品も医者も、全部勝手にこの屋敷に来るように手配してあるわ」
「じゃあ、アンタも仕事の度にここまで来るのか? 大変だな」
「まさか。打ち合わせも入稿も校正も全部リモートよ。実際、ここに来たのだって何年ぶりって感じ。柚木が織之助をたぶらかしてから来てないから――あら、三年は経つ? ねぇ久子おば様は何年振りかしら?」
その問い掛けに、久子さんは顔を背けて答えない。
七瀬さんの言葉通りであれば柚木さんもまた、ここ数年は彼同様の生活を送っているということだ。現世から隔絶されたかのようなこの屋敷で彼と二人きり、毎日何を思いながら過ごしているのだろう。
『あの人は、僕のセカイの全てです』
そう、言い切った真っ直ぐな眼差しが鮮やかに蘇る。
あれは比喩でも誇張でもない。きっと言葉通りの意味だ。他人が入る隙のないセカイは二人の結びつきをどこまでも、どこまでも深くする。卵の殻のように閉じたセカイは息が詰まるような停滞ではあるのだろうけれど、二人きりであればソレすら微睡にも似た心地良さに変えて揺蕩っていられるのだろう。
しかし今、二人きりだったセカイは二人に悪意を抱く人間達によって踏み荒らされている。ヒビが入った卵はもう二度と戻ることはない。それなのにどうして、彼は誕生日パーティーなど開こうとしたのだろう。どうして、二人きりだけで完結していたこのセカイに再び他人を招くようなことをしたのだろう……。
「とにかく、まだ雨も降ってて山道の状況がわからねぇ今。このままアンタらを外に出すわけにはいかねぇよ」
恭介の力強い口調で夢見心地の意識が浮上する。
「つまり、私達にこのままここで息絶えろって事かしら?」
「そうは言ってねぇだろ――ああ、もうわかったよ。だったら、あとで篠塚に車を貸してもらえるか頼んでみる。了解がもらえりゃ、俺がアンタらを麓まで乗っけてってやる。そのまま街までいければよし、少しでも危ねぇと俺が判断したら屋敷に引き返す。運転手にもそう連絡して、ここには来なくていいって言ってやってくれ。それでいいか?」
「ですけれど――」
「……僕は、それでいいよ」
久子さんの抗議の言葉を押しとどめたのは、光君の小さな呟きだった。
「……僕、まだ父さんに会えてないから……このまま帰るのは、イヤ」
そういえば、昨日の夜も光君は同じようなことを言っていたっけ。父さん――彼に会いたい気持ちがそんなにも強いのか。
「光!? 待ちなさい、光!」
荷物を手にしたまま歩き去る光君を追って、久子さんもリビングを後にする。
未だ降り続く雨の中、本気で歩いて山道を下ろうとしていたのかは分からないが、光君があの調子なら久子さんも無理やり帰ろうとはしないと思いたい。
「光も、カワイそうな子よねぇ」
七瀬さんの小さな笑い声。
「どんなに認めてほしくたって、織之助の目にあの子が映るコトなんて一生ないのに」
「実の息子なんだろ?」
「そうね。けど、織之助にとって血縁より才能が重要みたい。残念だけど、光に文章を書く才能はないわ」
そう言って、七瀬さんはソファーから立ち上がる。
「ねぇ刑事さん。アタシの車、刑事さんになら貸してあげてもいいわよ?」
「いやぁやめとくわ。俺にゃあの車を乗りこなせる自信がねぇ」
「あら、意外とビビりね」
誰だってこんな悪天候の山道を、屋敷を震わすほどのエンジンを持つ真っ赤なスポーツカーで下っていくのは遠慮したいと思う。
「ようやくお目覚めね、藤崎先生」
私の視線に気がついた七瀬さんがにこやかに手を振ってくる。
「いい夢は見れたかしら?」
「え、あ、まぁ……」
華やかな笑みに戸惑いながらも、反射的に愛想笑いを返してしまう自分が嫌だ。
「そう、良かったわ。アタシはもう自分の部屋に戻るから、刑事さんとゆっくりお話してちょうだい」
「あ、はい……ありがとうございます」
「じゃあ、二人ともバイバイ」
甲高いヒールの音を響かせて七瀬さんがリビングから去っていく。残された恭介は深々と溜息をついた。
「あぁなんかどっと疲れた……」
「ねぇ恭介」
「ん~?」
「彼女はどこに行ったんだい?」
ぴたり、と。
こちらに近づいてきていた恭介が足を止める。先ほどより深い、深い溜息をつく。
「ほんっと藤崎先生はお気楽でいいなぁ」
「な、んでだよ! 私だってちゃんと色々考えて――」
「首んトコ」
「え?」
「昨日はずいぶんとお楽しみだったみたいだなぁ」
……ツマラナイ冗談だ。だって、身に覚えが全くない。
それでも反射的に指さされた首元を強くこすれば、恭介はイタズラが成功した子供のように満足げな表情を浮かべた。
「探偵様なら織作織之助の書斎だ。行くならさっさと行ってこい」




