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スカーレットの終幕  作者: 緋楽あけ
第二章 幕開け
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第一話 始まりの挨拶(1)

 パーティー会場となるリビングは、エントランスホールの階段脇から続く廊下の先にある広々とした空間だった。

 いくつもある大きな窓には全て厚手のカーテンが引かれており、相変わらず外の様子は窺えない。ガラスを震わす雨音の激しさに、昼間のタクシー運転手の言葉を思い出す。元々今晩はこの屋敷に泊っていく予定ではあったが、そうでなかったとしても、こんな雷雨では暗い山道を辿って帰ることは難しかっただろう。もしかしたら彼はこの天気すら予想済みで、誰一人としてこの屋敷から逃す気はないのかもしれない……。そんな突拍子もない考えが妙な確信を持って浮かんだ。


「このお屋敷に、こうして皆様が集まるのは久しぶりです」


 リビング扉の近くで私と並ぶ柚木(ゆずき)さんが感慨深げに呟く。その視線の先では招待客達が思い思いに寛ぐ姿がある。


 扉から見て正面の壁には暖炉が備えつけられており、それを囲む様にソファーと肘掛椅子が置かれている。奥側の肘掛椅子には深紅のドレスに身を包んだ七瀬(ななせ)さんが、そして暖炉と向かい合わせに置かれたソファーには明るい薄茶色の留袖に錦の帯を締めた久子(ひさこ)さんと、紺色のジャケット姿の(ひかる)君が寄り添うように座る。左の壁側には背の高い丸テーブルとスツールが置かれており、光沢のあるアイボリーのタキシードに身を包んだ篠塚(しのづか)がワイングラス片手にタブレット端末をいじっていた。扉から一番離れた右奥の壁際にも小さめのソファーが置かれているが、そこには誰も座っていない。


 全員が昼間よりも華やかに着飾っていて驚く。


 残念ながら、私は着てきたこのスーツが一張羅だ。小ぶりなシャンデリアの煌めきが非日常的な雰囲気を醸し出すこの場において、自分の身なりはなんともみずぼらしい。柚木さんの服装が白いワイシャツと黒のパンツスタイルのままなのが唯一の慰めだった。


「皆様が屋敷を離れてから、このリビングを使用することは滅多になくなってしまいました。ただ織之助(おりのすけ)先生は映画がお好きなので、今でも偶にここで鑑賞されています。ほら、あそこにプロジェクターがあるでしょう?」


 柚木さんが指し示した天井には、白くて大きな四角い箱に黒くて小さな機器が接続された機械が金具を使って取り付けられていた。レンズの蓋は外され、唯一窓のない左側の真っ白な壁に向けられている。きっと、あの壁がスクリーン代わりになるのだろう。


「つい最近、最新機器に変えたばかりなんですよ。業者さんに頼んで、商業施設で使用するようなWI-FIのアクセスポイントも増設して、この屋敷のどこからでも映像を飛ばせるようにしたんです」

「……映画、見るだけだろう? 随分大袈裟なことをしたんだね」 

「全ては織之助先生のお考えです。僕にも理由はわかりません」


 柔らかに微笑む柚木さんは、絶対に全てを知っている。そう感じた。

 ただ、わからないのは。

 なぜ私にそんな事を教えてくれるのかということ。


「お屋敷に来たばかりの頃は僕もここで一緒に見ていたんですが、織之助先生が好む映画は血生臭いものばかりで……。僕が好きな映画だと、鑑賞中あからさまに暇そうな顔をするんですよ。いっそ黙っててくれればいいのに、ストーリーや俳優さんの演技にケチばかりつけて……。それで一度大喧嘩をしてからは、一緒に見なくなってしまいました」


 柚木さんは口元に手を当てて、密やかに笑う。


 パーティーの準備を手伝っている間も、柚木さんは今みたいに彼との話をしてくれた。文字としてしか接したことのない相手の話は、私にとってはなんだか物語の登場人物について説明されているようで現実味がなかった。そして彼の話をする柚木さんはとても楽しそうで、少しだけ寂しそうな眼をしていたのが印象的だった。今もそうだ。相槌を打つ私に向けられた眼は、しかし私を映しているわけではない。なんだか居た堪れない気持ちを覚えて、薄暗い廊下の先に視線を逃がす。ちょうどいいタイミングで足音が聞こえてきた。


「わりぃ遅れたか?」


 慌てた様子で姿を現したのは恭介(きょうすけ)だ。コイツもまた、この屋敷に来た時とは全く違う格好をしていた。上下焦げ茶のセットアップに同系色のベストと薄青のワイシャツ。ネクタイは茶色ベースの白い水玉だ。赤茶けた髪の毛の先から焦げ茶の革靴まで何度か見回して、思わず吹き出す。恭介が顔をしかめた。


「文句があるならカミさんに言ってくれ。俺はいつものスーツでいいって言ったんだぜ」

「いやぁ、とてもよく似合ってるよー」

「いっつも同じ服着てるお前に褒められるってコトは、一般的には全く似合ってねぇってコトだな」

「とても良くお似合いですよ、刑事さん」

「おぉ? 小早川(こばやかわ)さんに言われんならホントだな」


 軽口を叩き合ってから、ふと恭介が真面目な顔をした。


(あらた)、来てるか?」

「新さん、ですか? まだいらっしゃっていませんが……どうかされましたか?」

「いや、あの後何回か新の部屋に行ったんだがよ。ムシされてんだか本当にいねぇんだか返事すらしてくれなくてなぁ。外から戻って来たかもわかんねぇし……なんかあったんじゃなきゃいいけどって思ってさ」

「僕、声掛けてきましょうか?」

「ん~……いや、大丈夫だ。つーか、小早川さんはあんまアイツに近づかねぇほうがいいぞ。パーティーの後にでも俺が自分でとっつかまえてみるわ」


 にっと柚木さんに笑いかけて、恭介はリビングへと足を踏み入れる。


「他のヤツらともうちょい話がしてみてぇんだ。なんかあったら手伝うからさ。遠慮なく声かけろよなぁ」


 恭介は先ほどからこちらを気にしている篠塚(しのづか)に軽く手を上げてみせてから、暖炉前のソファーに歩み寄る。久子(ひさこ)さんと七瀬(ななせ)さんに声を掛け、その対面に置かれた肘掛椅子に座れば背後から篠塚も会話に加わる。七瀬さんの華やかな笑い声に、(ひかる)君が小さく咳き込む音。険しい顔は崩さないながら久子さんも口を開く。――アイツは昔からそうだ。一時相手と確執が生じてもそれに頓着せず、ああして自分を中心に人と人とを繋ぎ合わせてしまう。純粋にすごいと思う反面、何だか画面越しの映像を見ているような空虚な気持ちに襲われる。だって、私は絶対にあの輪の中には入れない。


 沈んでいく意識に、床が軋む音が聞こえた気がした。顔を上げる。しかし、廊下では壁に掛けられたランプが仄明るく光っているだけで。


「――そろそろ、皆様に料理をお出しする頃合いでしょうか」


 柚木さんの声に、水中から浮き上がるように意識がハッキリとする。


「あ、だったら私も手伝うよ」

「ダメです」

「えぇ!?」

「だって、羽琉さんには料理なんかより気になる事があるでしょう?」

「え、っと……?」

「いいから、大人しくリビングで待っていてあげてください」


 柚木さんに促されるがまま、シャンデリアの煌めきの中に足を踏み入れる。目ざとく気付いた恭介が声を掛けてくるけど、何とか愛想笑いだけを返して、全員から一番遠くにある壁際のソファーに腰を下ろす。


 何だか、全てが薄幕一枚隔てた向こう側の感覚だった。


 窓に近いせいか雨の音ばかりが耳につく。

 

 ザァザァ、ザァザァと。

 雨音がやけに煩い。


 そう思って、ようやく気がつく。

 今までこの部屋を支配していた華やかな声たちが完全に沈黙していた。


羽琉(はる)

 

 ゆっくりと顔を上げて、息を飲む。

 驟雨(しゅうう)のように降り注ぐシャンデリアの煌めきの中でとても、とても綺麗な女性が佇んでいた。


 緩く波打つ銀灰色の髪は高い位置で纏められ、その端整な相貌を露わにしている。色素に乏しい頬は陶器のような滑らかさで、伏し目がちの長い睫毛が目元に影を落とす。青みがかったドレスから伸びる四肢は体幹との均衡が完璧だ。首筋に沿う高い襟元から鎖骨、肩にかけてレース生地となっていて真っ白な肌が仄かに透けている。上半身は身体のラインに沿った作りだが、腰元からレース生地が広がり柔らかな印象を加えていた。


 ソレは微動だにしなければ、芸術家が一生涯をかけて創り上げた彫像かと見紛う姿。だが、あまりにも人間味に欠けたソレに揺り動かされる感情は羨望でも感嘆でもない――畏怖だ。


 無言の視線を一身に受け、人形めいたその姿が真っ直ぐ近づいてくる。

 彼女は身動き一つ出来ない私の前で立ち止まり、真っ赤な唇に小さな笑みを乗せる。


「隣に座ってもいいか?」

「……勝手に、すれば」


 何とか言葉を絞り出す。彼女は笑みを深くすると、そのまま私の隣にぼふりと身を沈めた。


「あ~気持ちが悪いッ!」


 しかめっ面で低く吐き出された言葉は、作りモノめいた外見からは程遠い粗雑なもの。途端、その身を包んでいた硬質な雰囲気が霧散する。


「飲みすぎだろ? 自業自得だ」

「酒はまだ飲める。苦しいのはこのドレスのせいだ。とくに胸がキツくって」


 そう言いながら、彼女は胸元をグイグイ引っ張った。レース生地の隙間から覗く胸元の白さに戸惑いを覚える。


「どうした先生?」

「いや、何でもない」


 ソファー自体がそれほど大きくはないせいで互いの距離が近い。なるべく反対側の肘掛に自分の身体を寄せる。低い笑い声が聞こえた。


「せっかくのパーティーなんだ。乾杯しようぜ、先生」


 彼女はサイドテーブルに置かれていたワインボトルを取り上げると、慣れた手つきでコルクを開ける。そして、ボトルと一緒に置かれていたグラスを赤い液体で満たすと私に差し出してきた。


「……お願いだから、これ以上は飲まないでくれ。面倒見切れないよ」

「心配してくれるのか? 先生はホントに優しいなぁ」


 真っ赤な唇が片方のワイングラスに触れ、その中身が一気に消え去る。


「これでもっと心配してくれるか?」

「……そろそろ織作(おりさく)先生が来るんじゃないか? 何が起こってもいいように注意しておかないと」


 差し出されたグラスから顔を背ける。ちょうど、柚木さんが料理の乗った大皿を手にリビングへ入ってきた姿を見る。彼女の傍から離れたくて、料理を運ぶのを手伝おうと立ち上がった――その時だった。



 電気が、消えた。



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