第七話 客のいない店『かおる』
隆志には最近気になることがあった。どうでもいい事と言ったら、どうでもいい事なのだが妙に気になって仕方がない。それは仕事のことでも、彼女のことでもない。ではそれはいったい何かというと、近所に客のいない店があるのだ。その店は隆志の家から歩いて5分程のところにあるのだが、いつ店の前を通っても客がいたためしが無い。
その日もラーメン屋『かおる』の女将かおるは、カウンターに腰掛け、ため息をついていた。こんなに素敵な婆ちゃんが待っているのに、なんでお客が来ないのだろう・・・ つい居眠りを始める。
ガラガラガラ、心地よい居眠りから目を覚まされ、音がした入り口を見やる。おっ、客かな? かおるは心を弾ませた。何週間ぶりじゃろー かれこれ3週間ぶりかなぁ・・・
隆志は店内を見渡し、寝ぼけ眼の婆ちゃんがいるのに気づいた。起こしちゃって悪いことしたかなぁと思ったが、自分はお客なんだし、と思った。
その時、「いらっしゃいませそうろう」となんとも丁重なお出迎えの一言が。そこには元美人と思える60歳を超え、70歳に近いと思える婆ちゃんがニコヤカに微笑んでいた。店内はカウンター席がコの字型に並び、その内側が厨房といった一般的なラーメン屋の造りである。店内に響くのは、ラジオから流れる野球中継の解説の声だけだ。客は他には誰一人いない。隆志は、コの字型のカウンター席の真ん中の席へ悠々と座る。なんとも貸切の気分だ。
婆ちゃんがお冷一杯を出してくれた。喉の渇きを潤し、壁のメニューを見る。そこには、醤油ラーメン、味噌ラーメン、もやしラーメン、・・・
黒マジックでへたくそな手書で書かれたメニューが張られていた。ジーーーと見ながら、隆志は目を見張る。そこに『チャシュ麺』と書かれている。
うーむ、『チャーシュー麺』なら知っているが、『チャシュ麺』とは初めてだと思い、思わず質問を投げた。
「すみません、ここに書いてある『チャシュ麺』ってどんなラーメン?」
この問い掛けに驚いたのはかおるの方であった。
「兄さん、知らないのかい? お肉の乗ったラーメンだよ。そりゃ、おいしゅうございます」
なんともへんちくりんな答えが返ってきた。
「なーんだ、『チャーシュー麺』じゃん」と隆志は答え、「じゃ、それちょーだい」と注文をした。
「かしこまりそうろう」と店内の雰囲気とは掛け離れた返事が返ってきた。と思ったと同時に、麺を湯で出す婆ちゃん。意外にもテキパキした動きだった。そして、冷蔵庫のドアを開け、中を覗き込む。
「あっ」と言う声がしたかと思うと、婆ちゃんはそのまま厨房の奥のドアへ入っていった。
隆志は、カウンターの下にあった新聞を手に取る。なんかしわくちゃな新聞だなと思って日付を見ると、3日前の新聞だった。他に何かないかなぁと思い、カウンターの下を覗き込む。何冊かの週刊誌やら雑誌があるが、どれも小汚い本ばかりだ。まっ、何もないよりいいやと思い、その中から1冊を手に取った。パラパラと開いてみると、『姉葉氏、やはり・・・』の記事が。もう半年以上前の話題じゃないか、しゃーないなぁ でも、まあいいかと思いながら、当時を振り返った記事を読み出す。
5ページ物の特集記事を読み終わり、芸能ニュースを見ながら、隆志はふと時計を見やる。あれこれ15分は経ったのでは・・・ 婆ちゃん帰って来ないなぁ まあ裏で仕込みでもしているのだろう、と隆志は思った。
そのころかおるは、財布片手に肉屋の前に立っていた。ケースボックスの中に並ぶ肉を見ながら、どれも高いなぁ~ よりによってあの客、『チャシュ麺』を注文するなんて・・・、でも私も私だ、「おいしゅうございます」なんて言わなきゃよかったよ。「そりゃ、まずいラーメンだよ」とでも言うべきだったかなねぇと独り言を口ずさんでいた。
肉屋の前で、あれこれ迷ったあげく結局何も買わずに店先を後にするかおる。
「はぁ~ らっしゃい」と言いながら、はぁ~爺はビックリした。そこには憧れのかおるが立っているじゃないか。
「珍しいねぇ かおるちゃん」
なんかモジモジしているかおる。「今日はお願いがあって来たの」初恋の相手からのお願いとあっては、はぁ~爺もだまっちゃいられない。
そのころ、ラーメン屋『かおる』の店内は大変なことになっていた。グツグツと煮立った鍋を見ながら隆志は困り果てていた。あの婆ちゃん、まだかなぁ・・・ 勝手に厨房の中へ入る訳にもいかないしなぁ と思いつつ店内を見渡す。ふとカウンター席の奥に扉があるのに気づく。その扉には何か張り紙が貼ってある。近くへ行ってみると『立ち入り禁止』と赤マジックで書いてある。うーむ、ほんと変な店だなぁ 『びっくり屋』も変な店だが、ここも『変な店度』では負けてないな、『全国変な店ランキング』があったら、1位、2位を競い合うだろうとあれこれ考え出していた。それにしても、あの扉の向こう側には何があるのかとっても気になる・・・
またしばらく時間が経ち、やっとのことで厨房の奥から婆ちゃんの姿が現れる。妙ににこやかな笑顔をしながら入ってきた。
「婆ちゃん、鍋が大変だよー」と隆志が言うと、慌てて鍋の火を止めた。
「ごめんくださいませ。もう少しで『チャシュ麺』出来上がります」
また、変な日本語を使う婆ちゃん。
時計を見ると、注文をしてから30分は経っている。
「おまちどうさまでござい」
隆志の前にラーメンの丼が置かれた。なんともデカイ肉が乗っていた。こりゃスゴイと思いながら、隆志は箸を手に取った。
こいつは中々おいしいチャーシューだと思いながら婆ちゃんを見やると、微笑みながら婆ちゃんが言う。
「おいしゅうございますじゃろ?」「その肉は、私の初恋の人がプレゼントしてくれたんだよ」と頬をピンクに染めているではないか。
「へー、それは良かったねぇ」と隆志は答え、チャーシューの下から麺を引っ張り出し食べる。ゲー、なんじゃこりゃ、ノビノビじゃん。のびたどころか、とろけるような舌触りだ。30分も煮込んだのだから当然だよな。と隆志は憤りを感じたが、かおるの笑顔に何も言えなくなっていた。
どうにか食べ終え、隆志は店を出た。なんとも清々しい気分だ。ラーメン屋『かおる』の謎が解けたのである。