第四話 注文ができない
それは木枯らしの吹き荒れる寒い日であった。隆志はいつものようにびっくり屋へ来て、晩飯を食べている。「はぁ~ 寒いねぇ」とはぁ~爺が言う。「寒い日は、鍋焼きが一番」と隆志は、鍋の中のうどんをすすりながら言った。
そのとき、入り口のドアが開き、一人の青年が入ってきた。フード付のジャンバーを着ている。店の中へ入ると辺りをキョロキョロ見渡し、どこへ座ろうか迷っている様子だ。この店へは初めてきたようだ。「はぁ~ らっしゃい」はぁ~爺が青年を受け入れる。青年は隆志のテーブルの斜め前のテーブルまで来ると、ジャンパーを脱ぎ背もたれへ掛ける。見た感じは大学生、もっと若いかな浪人生かな と隆志は思い、昔の自分をダブらせていた。
その青年はメニューがどこにあるのか困っている様子であったが、ようやく壁に貼ってあるメニューに目をやりびっくりした表情に変わった。やっぱり誰もがこの店のメニューには驚くようである。メニューの右隅から左隅まで目を走らせる。また右へ目を戻し、その下の段の一列を見渡している。びっくり屋は小さな定食屋の割にはメニューが豊富なのであった。メニューが豊富なせいか、はたまたびっくり価格のせいか、その青年は何度も何度も壁に貼ってあるメニューを見渡している。
ようやく、メニューの一箇所へ目が止まる。やっと決まったようだ。意を決したように、「すみませーん、注文いいですか?」なんともか細い声で言った。厨房で皿洗いをしているはぁ~爺には聞こえるはずもない。もう一度、「すみませーん、注文いいですか?」さっきより少し大きな声で言った。やっと厨房のはぁ~爺にも聞こえたらしく、首をひねりこっちを見ている。しかし、どこから声がしたのか分からないらしく、「はぁ~?」と発すると、また皿洗いを続けてしまう。青年は業を煮やしたように、「すみませーん」とまた言う。やっとはぁ~爺は蛇口をひねり、手を拭きながら厨房から出てきた。
青年は言う。「すみません、注文いいですか?」
「はぁ~~~?」
「すみません、注文いいですか?」
「はぁ~~~?」
青年とはぁ~爺の距離はどんどん詰まっていく。
「すみません、注文いいですか?」
「はぁ~~~?」
「すみません、注文いいですか?」
この後、耳を疑うような言葉が・・・
「はぁ~? 新聞?」
何をどう間違えると、『新聞』なんて聞こえるのだろう・・・ しかも、「新聞なんて自分で取りに行きやがれ」といった勢いである。
青年はどうリアクションしていいのか途方にくれ、苦笑いをするしかない。それにしてもなんと律儀なことか、また「注文いいですか?」と言う。はぁ~爺は青年の横に立ち、耳に手を当てながら「はぁ~? なんじゃ?」
まるで、コントでも見ているような光景だ。
目に涙を浮かべながら青年が言う。
「肉野菜炒め定食」
「はぁ 肉野菜ね」
はぁ~爺は注文を繰り返すと、厨房のおばさんへ「肉野菜一丁」と伝えた。
さすがのはぁ~爺にも通じたようだ。
たかだか肉野菜炒め定食を注文するのに、何でこんなに苦労しなくちゃいけないのだろう・・・
この一連のコントを見ていた隆志は、食べるどころでは無くなっていた。もうおかしくって噴出しそうになっていた。隆志は頭の中に教訓を書いていた。小汚い定食屋では、「注文いいですか?」なんて言ってはいけない。ズバリ「肉野菜定食」と投げつけるように言うしかない。