第6話 死に寄り添う
『い、いい加減にしろ・・・!お、お前のせいで・・・俺は大切な人の死に目に会えなかったんだぞ・・・!』
喜羅和天道は会社の会議室で、憎しみに満ちたこのような言葉を絞り出す部長から刺されてしまった。
天道・・・いやテンドーは異世界へと移ってもその時の生々しい惨劇をまだ覚えている。
背中から突き刺さる冷たい刃。その刃先からずぶずぶと体にめり込んでいき、大きな悲鳴や助けを求める声すら出すことができず、ただただ溢れ出す血液と体温が低下していく感覚だけを味わった。
ただ念のために記しておくが、異世界へと送られる前の天道と言えども『死』を軽く見ていたわけではない。正確に言うと『死』にまつわる実感が無かったのだ。
彼の両親は大学生の頃に学生結婚で子を宿したため、天道が大学を卒業した時でもまだ40代だった。
それに両親の親、つまり祖父母もまだまだ健在。
『死』というものに触れた経験は小学校で飼育していたウサギが死んだのと、ろくに会ったこともない親戚の葬儀ぐらい。
おまけに幼い頃からのリアリストだった天道はそれらを見ても「生物はいつか死ぬのものだから」という冷たい考えを持ち、加えて愛する人のそれもまだ経験していないということで、彼にとって『死』というものはどこか架空の概念のようなものだった。
だから天道はテンドーとして異世界に転生してからも、時折部長の言葉を思い出しては腹を立たせていた。
「たかが人の死に目に会えなかった程度で私のことを殺すだなんて。酷いことですよ。ろくな人間じゃないですね」
もちろん自分をこんな目に遭わせた元凶はその部長であり、いつか来るであろうの神の迎えによって蘇生した暁には、彼に対して復讐をしようと誓っていたから。
しかし今、テンドーの心境は徐々に変化を迎えようとしている。
死霊魔術士としての仕事を目の当たりにしていく中で。
◇
ジャリアの家に住み込みで、死霊魔術士の業務内容を覚えていくテンドー。
そして彼はたった数日で、最初の老婆のケースがいかに恵まれていたものなのかをすぐに分かるようになる。
『最期に一目でいいから甥や姪に会いたかった。昔はあんなに可愛がってあげてたのに・・・』
親類と絶縁状態だった者。
『生まれ変わったらもう一度同じ人間として生まれ変わりたい。せっかく事業が軌道に乗ってきたのに・・・』
志半ばだった者。
『夫と息子に謝りたい。私が、私が意地になって謝罪をできなかったら・・・』
大切な人と喧嘩したままだった者。
このように様々な死を目にしていく中で、テンドーは人生というものについて深く考えるようになった。
同時に。この仕事がいかに大切なものであるかということも理解していく。
「それでは。私が代理して、故人の『最期の言葉』をお伝えいたします」
葬儀の際、もしくはそのすぐ後の時間に。死霊魔術士であるジャリアは死者の言葉を、当人の最期に立ち会えなかった家族や友人や恋人に伝える。
「・・・以上となります。故人様はとても安らかに眠りにつきました。とても穏やかで幸せな旅立ちでございました」
ジャリアが最後にこう言うと、これを聞いた面々は必ず大粒の涙を流し、自分たちに礼を述べる。
「わざわざありがとうございます」
「本当にありがとうございました」
「心より感謝を申し上げます」
そう言えば。死霊魔術を使って目覚めさせた死者も、その最後は揃って感謝を口にしていた。
「死霊魔術士さん、ありがとうね。これで心おきなくあの世へ逝けるよ」
そしてテンドーはその言葉を耳にするたび思い返す。
ありがとうって、喜羅和天道の時に誰から言われたことがあるだろうか?
きっと職場のどこかで言われていた。恐らく取引相手の誰かから言われてた。だけどそれは本心からのものだったのだろうか?
ありがとう。
ありがとうって、喜羅和天道の時に誰かに言ったことがあるだろうか?
きっと職場のどこかで言っていた。恐らく取引相手の誰かに言っていた。だけどそれは本心からのものだったのだろうか?
多分・・・いやきっと。
違うと思う。
◇
住み込みで行われていた職場体験の最終日。
ジャリアはテンドーのことを事務所の会議室に呼び、茶菓子を出しながら話をした。
「今までよく頑張ったな。色々と辛かったと思うが、本当によく頑張った。よく耐えたよお前は」
「いえ・・・。本当に勉強になりました」
これは・・・テンドーの本心から出た言葉だ。
しかしジャリアは、神妙な面持ちのテンドーの顔を見て思わず笑みがこぼれてしまう。
「まあ多感な時期だ。思うところはあるだろうよ。んで、これだ・・・将来お前がどうするかは自由だが。死霊魔術士になるんだったら資格試験が必要になる。既に推薦状は書いてあるよ。新興の魔術士だから競争相手は少ない。それにお前は頭が良いから簡単に合格できるさ」
こう言いながら複数の書類をテンドーに渡すジャリア。
さらにジャリアは、それらを受け取ってもなお下を向いて表情が暗いままであるテンドーの肩をポンっと叩いて続けた。
「なあテンドー。もし死霊魔術士になるんだったら・・・。お前には俺ら、現状の死霊魔術士ができていないことに挑戦して欲しい」
それを聞いたテンドーは顔を上げて首を傾げる。
「できていないこと・・・ですか?」
現状の死霊術士ができていないこと。
それは・・・貧しい人間の『死』に寄り添うことだった。
「お前も今回ついて来て分かっただろう?死霊魔術士が『最期の言葉』を記録できるのは、今のところ金がある人物だけだ。誰からも看取られなかった人間は・・・死体の発見が遅くなり肉体の腐敗が進んでいることが多い。こうなると死霊魔術が効かないんだ」
確かにこれまでテンドーが出会ってきた死者というのは、たとえ家族と疎遠になっていても医者や使用人、もしくはそれなりに裕福な友人などがそばにいた。
仕事の依頼もこのような人々から届いていたのだが、言い換えれば孤独死を迎えた死者などはそれができないということになる。
「まあ死霊魔術ってのは長年にわたって社会の役に立たない『お荷物魔術』って言われたからな。死霊魔術士の立場や業務はここ数年になって確立されたもの。田舎だとこの仕事は存在自体がまだ知られていないのさ」
こう続けるジャリアだがテンドーにはこの言葉は届かない。
なぜなら、今の彼は。
「・・・お前、この話を聞いて泣けるんだな。やっぱりこの仕事に向ているよ。優しい男だ」
孤独に生涯を終えた者や、大切な人を失ったのにも関わらず貧しいが故にまともに別れの儀式もできない者達のことを考えて。
その頬に涙が伝っていたから。
「・・・え?」
しかし彼は意図して泣いていたわけではない。これは自然と零れ落ちる涙だ。テンドー自身でさえ、これに気づいて慌てふためいてしまうほどに。
「な、なんで?なんで・・・」
「大丈夫だ、テンドー。お前はとても人間らしい。それを誇りに思え。人生ってのは『死』とどう向き合うか。それの繰り返しなんだから」
そう話しながら慈愛に満ちた目を向けたジャリアは、しわくちゃのハンカチをテンドーに手渡した。