第1話 新進気鋭の若手実業家
その男は優秀だった。
幼い頃から学業成績はケタ違い。周囲の大人が驚くほどの知能を見せ、じきに超が付くほどの高偏差値の大学に入学すると、そこでは主席となって卒業後は大手企業に就職した。
その男は商才があった。
会社ではすぐに営業成績トップのエース社員になり、将来の幹部候補として期待された。しかしそこを数年で退社すると、20代半ばにして独立し興した会社も瞬く間に業績を上げ、多くのメディアにも取り上げられた。
『新進気鋭の若手実業家』ともてはやされた彼のもとには、金も名声も異性も手に余るほど集まってくる状態だった。
まさに天才。まさに成功者。まさに我が世の春。
しかし・・・。
その男は横暴でもあった。
周囲には自分と同じレベルを求め、当然のように見下す。昔からこんな性格だから友人など皆無。
しかし会社の代表になってからも、男はこれを改めるはずもなく。高い期待値を設定し、それをクリアできないと口汚く罵るという態度で社員と接していた。
そしてそれが自身の運命を大きく変えるとも知らずに。
◇
「今月の営業成績はこれですか・・・。なるほど、さすが下等生物の集まりらしい数字ですね。生きる価値あるんですか、君らは」
会議室。
役員が集められているそこでは男、喜羅和天道が大きな円卓の周りで直立不動となっている年上の大人たちに向かって毒を吐いていた。
「山のように採用した若手社員の成績もこの有様。高い金を使った研修で何を教えているんですか?『いかにして私の機嫌を悪くするか』とかですかね?」
天道は手に持っていた資料を足元に叩きつけ、高価なネクタイをキュッと締め直しながら不機嫌そうに言葉を並べる。さらにポマードで固められたオールバックの頭をかいて大きなため息をついた。
「はあ・・・。あのね、こっちは君らみたいな薄汚い無能を食わせるためにどれだけ苦労しているか分かりますか?人件費、バカにならないんですよ?分かってます?その腐った脳みそで少しは考えてみてくださいよ?」
「「「・・・」」」
役員たちはまだ30歳にもなっていない天道の言葉を聞いて唇を噛みしめるが、何も言い返すことはできない。
不景気の昨今。
天道の口八丁手八丁なヘッドハンティングを受けてこの会社に入り、ここまで事業規模を大きくすることに貢献した役員達。彼らだって今ここでいきなり「転職する!」と言ってもそれは簡単に叶わない。
『迂闊だった』
この会社にいる人間は役員から末端社員まで口を揃えてこう話す。
面接の折には、履歴書に記した自身の経歴や能力を高く評価する社長を見て『あの喜羅和天道から肯定されている』という高揚した気持ちだった。
メディアにも取り上げられるほどの有名人。まさに憧れの的。
ところがいざ入社してみると天道はその本性を現す。
求人票・サイトに書かれている内容とは大きく異なる地獄のような勤務時間。
当たり前のように要求され決して拒めない休日出勤。
理不尽とも思えるような内容も含まれた細かな査定による給与。
会社を辞めようとしても動く暇すら与えない閉鎖された環境。
天道は自分以外の人間のことを、自身に利をもたらすための駒としてしか見ていなかったのだ。
壊れるまで働かせて再起不能になったら捨てるだけ。
しかしこのような人間には・・・いつしか必ず罰が当たる。
「もう良いです。後は皆さんで話し合ってください。私はこれから大切な会食があるので」
こう言って席を立つと、肉体関係を持っている愛人でもある、スタイル抜群で美しく若い秘書を伴って会議室の出口へと向かう天道。
だがこの直後。彼は背中に激痛を感じた。
「・・・へ?」
いつもの天道からは聞けないような間の抜けたような情けない声。ゆっくり後ろを振り返ると、天道の視線の先には、営業部部長である中年男性の姿があった。
彼の手に握られているのは包丁。そしてその刃は、紛れもなく天道の体に刺さっている。
鋭い痛みが襲ってくるのに天道の口から言葉は出ない。
だが。背中を伝って自身の血がドクドクと流れ出ている感触は理解できている。同時に体中から力が抜けて一気に体温が下がっていくことも。
「キャ・・・キャー!!!ひ、人殺しよ!!!」
じきに本社ビル中に轟くほどの、秘書の悲鳴が耳に響く。
「い、いい加減にしろ・・・!お、お前のせいで・・・僕は大切な人の死に目に会えなかったんだぞ・・・!」
部長の震える声を聞きながら天道は。そのまま意識を失った。
◇
「いやあ。さすがに日常的にあんなこと言ってたら殺されるって。あんた、他人の気持ちを考えなさすぎじゃ」
天道は目を覚ますと、真っ白な空間にいた。
そして目の前にはイスに座っている、大きな・・・いや『巨大』とまで称した方が良いような、長いあご髭を蓄えた老人。
「・・・あ、あなたは?ここは?」
「ここは死んだ人間が必ず通る場所じゃ。さしずめ生前の行いを審判するところと言えるじゃろう」
「・・・私は死んだのか・・・。それではさしずめ、そちらは閻魔大王か・・・」
呆然とした天道が尋ねると老人は「ほっほっほっ」と笑い声を上げる。
「そんな大層な名など無いよ。神じゃよ神。分かる?ワシはただの神。シンプル神様でありプレーン神様じゃ」
イスに座ったこの老人・・・いや神は手に持っている書類に目を通すが、天道は小さな声で尋ねる。
「それでは私はどうなるのですか?このまま天国に連れて行かれてしまうのですか?」
天道の言葉を聞いて深く頷く神は書類から目を離すと、口角を上げてこう返した。
「まだじゃよ。あんたの肉体、実は生死のギリギリのところで止まっておる。このまま完全に死ぬか、奇跡的に蘇生できるかはワシの一存にかかっておるのじゃよ」
「っ!!じゃ、じゃあ!」
「まあそんなに慌てるな」
血相を変えて一歩踏み出した天道のことを、神はゆっくりと指さす。
「あんたのことを生かすか殺すか。それを判断するための機会がこちらも欲しい。そこで・・・あんたは今から別の世界に行って、色んなことを学んで来て欲しい」
「・・・は?え?」
神が発した言葉の内容を理解できず、突然のことに困惑する様子の天道。だがそんな彼のことをよそに、神は両手の掌を前にかざして唸り始めた。
「うーん・・・!はあ・・・!ふぅ・・・はあ!!!」
「ちょ、ちょっとどういうことですか!?私は一体、今から何を!?」
「ふおぉぉぉぉ・・・!って、え?そのままじゃよ。あんたは競争社会で生きることだけに適正があった。だけどあれじゃあ人はついて来ない。じゃがその才能も失うのはもったいない」
するとじきに天道は光に包まれ始め。これに対し再び慌てふためく彼のことをじっと見ながら神は、最後に優しくこう諭した。
「人生を学べ、青年よ。世界はもっと広いんじゃから。時が来るまで待っておれ」
こうして喜羅和天道は。
別世界へと転生した。