最終話 喜羅和天道の人生
とても大きなニュースになった。
『新進気鋭の若手実業家・喜羅和天道が刺されたが、奇跡的に蘇生した』
これは世の中に、センセーショナルに伝えられた。
天道のことを刺した部長はあれからすぐに逮捕され、彼は悲劇の被害者として世間の議論の的になる。
しかしじきにワイドショーや報道番組では天道の不遜な態度や過去の言動も紹介され、それを知った人々による彼への批判も次第に増加していく。
ただそんな状況下で。
「喜羅和さん、大丈夫ですか?どこか痛みますか?」
病室のベッドに横たわりながら、彼はただただ呆然とすることしかできなかった。
著名な実業家ということで大病院に入院し、そこで献身的にサポートしている経験豊富な看護師や医師であっても、彼が抱いているその感情まで読み取れない。
しかし天道の頭の中には・・・ぼんやりと異世界での人生が思い出されていた。
ハッキリと思い出せるわけではない。だけど微かに覚えている。
大きな志を胸に、人々のためを想って死霊魔術士として駆け抜けたあの異世界での日々を。
愚かで自分勝手で視野の狭かった自分のことを愛してくれた家族や友人のことを。
どんな人生でも持っているその価値の大きさを。どんな人生でも変わることのないその価値の尊さを。
これまでの自分は他人の人生を自分の尺度だけで見ていた。それがどれだけの愚行だったか。
沢山の人を傷つけた。裏切った。ダメだ。こんな人間じゃダメなんだ。
変わらなければ。
変わらなければ。
絶対に・・・変わらなければ。
天道は決意した。
◇
目を覚ましたことを知り、様子を見に来た愛人関係でもある秘書に対し、天道は病室の中で部長への情状酌量を口にした。
警察から聞いた話によると、その部長は妹が重い持病を抱えていたのだが、天道が強要した尋常でないほどの業務量のせいで見舞いに行くことが全くできなかったという。
そして仕事の影響でその最期を看取ることもできず、これまで積み重なっていた恨みと憎しみと憤りが、遂に爆発してしまったというのだ。
そしてこれは天道本人も覚えていなかったのだが、部長が役員会議の出席について「通夜・葬儀はどうか休ませて欲しい」と秘書を通して伝えてきた際には・・・。
「人がひとり死んだぐらいで休むなんて許されるわけがないでしょう。今度の会議は出席必須です。そもそもあなたのせいで業績が落ち込んでいる部署があるんですから」
こんな心無い言葉を放ってしまったらしいのだ。
この事実を耳にした途端、彼はベッドの上で頭を抱えて慟哭した。
何という酷い行いを。何という残酷な言動を。
情けない。こんなことを言う人間だったことが情けなく恥ずかしい。
その会議がどれほど大事だったというのだ?大切な肉親、それも妹との大切な別れをこんなに無下に扱っていただなんて・・・。
過去の自分が本当に憎らしく情けない!
だから天道は心から謝罪した。
どうか彼の罪を軽くしてくれと。私に大いに責任があったと。人の上に立つ者としての資格が無かったと。
他者の人生というものに、他者の死というものに、かけがえのない尊さをあることを知らなかったことを後悔しながら。
その姿は壮絶。様子を見に来た秘書の女性が顔をしかめて思わずたじろいでしまうほどに。
彼女の目の前にはもう、新進気鋭の若手実業家でありブラック企業の独裁者的な社長・喜羅和天道はいなかった。
同時に秘書は強いオスとしての魅力を失ったそんな天道のことを見限る。
今の激しい競争社会において、こんなにも弱い男はもう用済みだとばかりに。
こうして彼はひとりになった。
それでも天道は秘書のことを追いかけるつもりなど当然無い。今の彼はその涙が枯れるほど、それに気づいた看護師や医師が心配になって駆けつけるほど、号泣し続けていた。
◇
天道が退院してすぐ。経営していた会社には労働基準監督署による調査が入り、彼は代表を辞する。
それからは次の仕事を探すことなく従業員ひとりひとりに、そして過労に耐えかねて退職した面々にも住所が分かる者には心からの謝罪の手紙を送った。
貯金を切り崩し勇気を出して様々な人にコンタクトを取り、もしくは警察にも相談して調査したところ、幸いにも過労を原因に命を落としたり自死を選んだりしたという者はいなかったという。
「良かった・・・」
天道はこれに、大いに胸をなでおろす。最悪の状況を回避することはできたからだ。
それでも体調を悪くしてしまった者は数多くいたようであり、彼は自身の行いを再び反省する。
彼が送った手紙にはもちろん返信など無かった。しかしある時、まだ若い元従業員の女性から手紙が届いた。
そこには会社への恨みつらみが綴られていた。もちろん天道はその内容を甘んじて受けれたのだが、最後には刺された彼のことを心配し赦す内容が綴られており、それを目にした彼はまたも涙を落とす。
こうして彼は『新進気鋭の若手実業家』という大きな肩書を失うことになった。
だがそれは新たな道に歩める機会を得ることができたとも言える。
天道は今、机に向かいノートに色々なことを書いては頭を悩ませている。新しいビジネスを模索している途中なのだ。
人々の人生に寄り添い、その価値を見出したい。
人々の人生の最期を華やかに彩り、誰であろうとそれは無価値でなかったと伝えたい。
もちろん綺麗ごとだけを言うつもりは無い。しっかりと利益を出すビジネスとして成長させつつ、目標を果たす。ととても難しい課題だが自分には必ずできるはずだ。
ある程度アイデアや資金調達の計画を書き連ねた天道は一旦ペンを置き、窓を通して青空を見つめる。
ぼんやりと覚えているあの異世界での日々は夢だったのか・・・それとも現実だったのか。
その答えはもう天道には分からない。それでも・・・。
一度『死』を経験して変わった。
多くの『死』を目の当たりにして変われた。
神の手によって、そして自らの努力によって本当の意味で大人になれた喜羅和天道。彼は自らの能力を多くの人々のために使えるような未来を模索するため、贖罪の想いを抱えながら再び歩み始めた。
「・・・天気も良いですし、気晴らしのため少し散歩に行きますか」
こう言って、どこか見覚えのあるとても綺麗な黄色の花が押し花にされた栞を、ノートに挟んで。
これで完結です。
元の拙稿、『ブラック企業の社長、送られた異世界で死霊魔術『士』となる。』と比べて多少エピソードを追加してリメイクしました。
お読みいただきありがとうございました。