神が愛した男?───私が笑いましょう
約300年前、この世界に“神に愛された男”と讃えられた人物がいた。
人々はそう呼ぶことで、彼の類まれな才能と発想力、誰も追いつけない技術力を説明できると思っていた。
だがその渾名は、男からすれば皮肉でしかなかった。
神に愛された?
笑わせるな。
神など、一度たりとも自分に手を差し伸べたことなどない。
自分の人生のどこに、神の祝福と呼べるものがあったというのか。
男は、生まれた時から貧しかった。
父は幼い彼と母を捨て、別の女の元へ消えた。
母は働き続け、息子のために日々を費やし、弱音ひとつ漏らさなかった。
男は母の笑顔が好きだった。母は明るい性格とその綺麗な金髪も相まって向日葵のような人だった。
けれど、その笑顔にはいつも疲れが滲んでいた。
男が十歳を過ぎた頃、母の体が目に見えて弱り始めた。
日ごとに咳が増え、熱が下がらなくなり、仕事にも行けなくなった。
男は金をかき集めて病院に駆け込んだ。
しかし医者が告げた病名には高価な薬が必要だった。
貧しい家にはとうてい手が届かない額だった。
「いいのよ」
母はいつも通り微笑んだ。
「ご飯さえ食べられれば、私は十分だから」
男はその笑顔が痛かった。
胸の奥をナイフで刺されたように痛かった。
違う。十分じゃない。治さなきゃいけないんだ。俺が金を沢山稼いで絶対に治してみせる。
その日から、男の心の奥に炎のような執念が宿った。
男は幼い頃から、小さなものを分解しては組み直すことが好きだった。
壊れた時計、拾った道具、古びたランプ……
「好き」というより、“必要だった”。
貧乏だったから、壊れたものは直して使うしかなかった。
いつの間にか修理が得意になり、それが彼の強みになっていた。
そして運命のように、その時代は戦争が続いていた。
各国がこぞって兵器を強化していた時代であり、
特にエルピーダを使う兵士が恐れられていた。
しかしエルピーダを使える人は少なく人々は神の使いだと崇めていた。
もしエルピーダを使った兵器が出来れば……エルピーダを使った機械工学なら、金になる。
それなら、母さんを救える。
十二歳の少年が考えるにはあまりにも重い決断だった。
だが、ほかに選択肢などなかった。
男は独学で学び始めた。
本を借り、町の工房に出入りし、捨てられた部品で機械を作り、夜中まで勉強した。
だが、大きな壁があった。
男はエルピーダが使えなかった。
エルピーダは“適性”がなければ扱えない。
それは天賦の才であり、生まれつき決まっているものだと言われていた。
男は必死に、エルピーダを保有する人たちに協力を求めた。
だがまだ十二歳の少年である。
誰も相手にしてくれなかった。
笑われ、追い払われ、門前払いを受けた。
それでも学ぶことだけはやめなかった。
部屋で倒れて寝る母の手を握りながら、男は何度も誓った。
絶対に助ける。絶対に。
研究施設での生活は厳しく、時に冷たいものだった。
けれど男は気にしなかった。
母を救うためなら、どんな苦難も耐えられた。
男は幼いにもかかわらず涙ぐましい努力と研究を重ねた。男の努力は実を結び、研究施設でも名を上げて言った。
同じ研究施設で働く研究者達は男を“神に愛された男”と呼んだ。
そしてついに
男は世界を変える発明を成し遂げた。
人工的にエルピーダを発生させる装置。
微量ではあるが、確かに生成されていた。
これで……!母さんを……!
彼は急いで師に報告した。
師の顔が驚きに染まり、何度も装置を確認し、
「素晴らしい、素晴らしい」と呟いていた。
男の胸は希望でいっぱいだった。
その日は浮かれた気持ちのまま母の元へ行き、早口で語った。
「母さん!できたよ、ついに完成したんだ!」
母は嬉しそうに微笑んだ。
あの弱っていた顔に、久しぶりに明るさが戻っていた。
それだけで、男は世界のすべてを手に入れたような気がした。
しかし翌日。
地獄は突然やってきた。
研究施設に着くと、同僚が駆け寄ってきた。
「聞いたか? 先生が……エルピーダ発生装置を開発したらしいぞ!」
男は理解できなかった。
――自分が作ったはずだ。
脳が理解する前に、師の部屋へ走り込んだ。
そして、
「どういうことですか……!?
あれは…あの研究は…僕の……!」
その叫びは、師の冷たい視線に遮られた。
「黙れ。お前のものなどではない。
あれを作ったのは“私”だ。いいな?」
突然背後の扉が開き、複数の男たちが乱暴に“何か”を引きずってきた。
それは 母 だった。
衰弱し、ほとんど立てない体。
息は弱く、肌は青白い。
男の心臓が止まりかけ、事態を理解すればするほど腸が煮えくり返るような怒りが込み上げてくる。
「やめろっ! 母さんに触るな!!」
師は薄く笑った。
その笑みは、優しい指導者の顔ではなかった。
「わかるだろう?
この件を口外すれば……どうなるか」
男は震えた。
怒りで、恐怖で、絶望で。
母はかすれた声で囁いた。
「ーーーごめんね……こんな……こんな母で……最後まで苦労をかけて……」
違う。
違う。
違う。
どうして謝るんだ。
なぜ……最後の言葉が、それなんだ。
苦労だなんて思ったこと1度もない!むしろ最後にそんなに辛い思いをさせて申し訳ない気持ちでどうにかなりそうだ!
「母さん!! 死なないで! 頼むから!!」
だが願いは届かなかった。
母の瞳から光が消え、力なく細い手が落ちた。
世界が崩れた。
音も、光も、何もかも消えた。
「あぁ……あ、ぁ……あ゛ぁぁぁぁぁ!!」
男は母の体を抱きしめ、喉が破れそうなほどに叫んだ。
くそが!一体なんのために、こんなに努力して来たと思ってるんだ!全ては母さんを助けるために俺はこんなにも頑張ってきたというのに!
「この世に神なんていない!!!」
その叫びが空間を震わせた瞬間、
男の内部に眠っていた“何か”が目覚めた。
闇が満ち、世界がねじれ、
彼の心の絶望と怒りが形を与えられた。
エルピーダ。
幻術に優れる妖のエルピーダ。
「……なぜだ……なぜ今になって!!」
しかし今更こんな奇跡の力など必要なかった。今必要なモノはもっと邪悪なもの、酷く欲深く浅はかで家畜以下の人間共を滅ぼす力だった。
すると男の体は変異を始め、
皮膚は黒い霧を纏い、
目は深い闇に染まり、
心の核は憎悪に飲まれた。
「……許さない」
「人間なんて……誰も……!」
こうして、ひとりの少年は死に、
かつての人間の名を失い、
人型エクロス《オルドデール伯爵》が誕生した。
しかし現在、エルピーダを発生させる機械は“存在している”。しかし発生させるのは少量で、それを増やすには膨大な資金が必要になる。そのため用途はある事情によってエルピーダを失ったイロアスの隊員などに特別に使われることがある。
だがなぜ男は機械を壊さなかったのか?
男は元は優しい性格で、貧民街の人にも慕われていた。当時は戦争も多発していた為人々は皆恐怖に脅えていた。男は母親に薬を買う金の他にも、国を守れるような兵器という願いを込めてあの機械を作っていた。
だから男は機械を壊さなかった。あえて残した、自分を慕ってくれた人達の為に、人間はくそだが中にはそう出ない人間もいることも分かってはいたが母親が死んだ今そんな思いは封印した。
数百年の時が経った今。伯爵は人間に扮して生活をしつつ、人間を襲っていた。
地球の西にある伯爵の住む家は巨大な門と壁に覆われて中の様子は伺えないが、偶然夜中に通りかかった人が言うには、昔の貴族のような格好をした男と綺麗な金髪の女性が庭に立っていたという。
しかしその女性はどこか不安定でまるで幻術のようだったと言う。




