自己紹介
太一はレンタカーを借り、能登島大橋を渡った。全長約1キロのこの橋は、青い海の上を滑るように伸び、起伏のある形状がどこか南国の橋を思わせる。その景色に、太一の胸は少しだけ軽くなった。
向かった先はガラス美術館。小高い丘の上に建つその美術館は、全面ガラス張りの現代的な建物で、そこから眺める海の景色はまさに絶景だった。美術館内では、太一は熱心にガラス作品を見て回っていた。繊細で美しい作品たちは、太一の疲れた心を少しだけ癒してくれるようだった。
と、その時。
「よっ!また会ったね~!」
突然肩を叩かれた太一が振り返ると、そこには船で一緒だったあの金髪の女性が立っていた。笑顔で軽い挨拶をする彼女は、いつもの白いワンピースとは違い、Tシャツにジーンズ姿。少しカジュアルな雰囲気に太一は思わず戸惑った。
「あ……偶然だね!」
慌てて挨拶を返しながら、太一は思い出したようにポケットから貝のネックレスを取り出した。
「そうだ、船に忘れ物したでしょ?これ。」
「あっ!ありがと~!探してたんだ!」
彼女は嬉しそうにその場でネックレスをつけた。七色に輝く貝殻が、彼女の首元で揺れている。それを見た太一はまたしても胸の鼓動が止まらなくなる。
「ね、太一くん。暇なら私とドライブしない?」
突然の誘いに、太一は驚いて彼女の顔を見た。
「オープンカー借りたんだけど、一人じゃつまらなくてさ。」
「え?いいけど……あ、いや、暇ではないけど……いや、まあ、暇だけど……って、なんで俺の名前知ってんの!?」
「さあ~、なんででしょうね~!」
彼女は軽く笑いながら、「気にしない!気にしない!」と太一の手を引っ張り、出口へ向かう。
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
外に出ると、そこには真っ赤なオープンカーが停まっていた。ホンダの名車・S2000だ。
「ね、乗って!」
太一は言われるがまま助手席に座り込む。
「え、こんな車どこで借りたの?」と驚いて聞くと、彼女はニッと笑いながら「秘密だよ!」とウインクをする。
彼女はエンジンスターターを押した。
「ヴォンッ!!!」
スポーツカー特有の重低音が響く。その音だけで、普通の車ではないことがすぐに分かった。
「いっくよ~!!!」
彼女はギアを入れ、アクセルを踏み込んだ!
「キキキーーーッ!」
タイヤが路面を蹴り、車は急発進で丘を下りていく。
「ちょ、ちょっと待って!」
「なに~?怖いの~?これからもっとすごいよ~!」
直線に入ると、彼女はさらにアクセルを踏み込む。エンジンは9000回転を回り、鋭い音を響かせた。
「ンンバアアアアアアアアアーーーーーーー!!!!!」
強烈な加速に、太一はシートに押し付けられ、声も出せない。彼女の横顔を見ると、金色の髪が風になびき、楽しそうに笑っている。
「ね~!あたし、サキって言うの。よろしくね!」
突然名前を名乗られた太一だったが、返事をする余裕もなく、ただ必死に車にしがみついていた。
彼女の運転で、車は次々とカーブを曲がり、能登島の奥へと進んでいった。穏やかな景色が目の前に広がる一方で、車内の緊張感は全く穏やかではない。
やがて、車は一息つける場所に停まった。眼下には青い海と小さな入江が広がり、その静かな風景が二人を包み込む。
「ほら、こういう景色、いいでしょ?」
サキはそう言いながら車を降り、海の方を指さす。
太一も車を降り、目の前に広がる景色に息を呑んだ。エンジンの轟音とは対照的に、波の音だけが静かに聞こえる。
「こういうとこ、好きなんだよね。」
サキが小さくつぶやく。その声は少しだけ寂しそうに聞こえた。
「サキちゃん、さっきの運転、やばすぎだよ……!」
太一が呆れたように言うと、サキは顔を上げて大笑いした。
「え?楽しかったでしょ!?」
「いやいや、怖すぎだって!」
二人はお互いの顔を見合わせて笑い、しばらくその場で海を眺めていた。
再び車に乗り込み、島のなだらかな道を進んでいく中で、太一はふと気づいた。サキの存在が不思議と自然に感じられることに。名前を知っていた理由も、彼女の謎めいた言動も、いまはどうでもいい。
ただ、この旅は彼女と一緒にいることで、少しずつ特別なものになり始めている――そう思えたのだった。