ペンダント
「なんだ……夢か。」
太一は窓際の椅子でうたた寝していたらしい。ぼんやりと目を覚ますと、潮の香りがほんのりと漂ってきた。昨夜のことを思い出し、夢と現実の境目がぼやけている気がしたが、特に深く考えず布団に潜り込む。しばらくすると、深い眠りに落ちていった。
翌朝、旅館のロビーがざわついていた。太一が「何かあったのですか?」と従業員に聞くと、「海で何かが打ち上がったらしい」とのことだった。
「人……じゃないですよね?」
そう尋ねると、従業員は曖昧に首を振る。どうにも気になった太一は、海岸に足を運ぶことにした。
海岸にはすでに人だかりができていた。近づいてみると、打ち上げられていたのは大きなイルカだった。
「なんだ、ゆめばあさん!人じゃなくてイルカじゃねえか。」
地元の漁師らしき男が笑いながら言う。
「人騒がせしやがって~。」
「でも、まだ生きてるみたいだぞ。海に戻してやらんと。」
漁師たちは手際よくイルカを運び、船で海へと戻していった。その姿を見ながら、太一は改めてこの土地にイルカが生息していることを知った。どうやら近くにはイルカウォッチングのツアーがあり、船で沖へ出れば群れを見ることができるらしい。
「せっかくだし、参加してみるか。」
少し興味を持った太一は、その日のツアーに予約を入れることにした。
出航の時間が近づき、太一は小さなクルーザー「カモメ号」に乗り込んだ。乗客は5、6人ほど。小さな船の最後列に座ろうとしたとき、船の先端で見覚えのある人物を見つけた。
白いワンピースに麦わら帽子、金髪に青い瞳――昨日、駅で出会ったあの女性だ。
「えっと……昨日、駅で会いましたよね?」
太一が声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げた。
「あ!あなた、あの時の!」
「あはは、偶然ですね。隣、いいですか?」
「どうぞどうぞ!」
彼女は明るい笑顔で太一を迎えた。太一は内心ドキドキしていた。彼女の透き通るような青い瞳が、どこか幻想的に感じられる。
船が出航すると、かなりのスピードで沖へ向かい始めた。カモメが船の近くまで飛んでくると、彼女は事前に用意していたえびせんを取り出し、カモメに差し出している。
「ねえ、あなたもやってみて!」
「え、俺も?」
彼女に促されるまま、太一もえびせんをカモメに差し出した。すると勢いよく飛んできたカモメが、えびせんごと太一の指を口に入れた。
「いたっ!」
「大丈夫~?」彼女は楽しそうに笑う。
「こうやるのよ!」と、彼女は自慢げにカモメにえびせんを差し出すと、見事に指を噛まれずにカモメが餌だけを取っていった。
「ね?上手でしょ!」
彼女の明るい笑顔に、太一は思わず心を奪われてしまう。
しばらくすると、船は小さな入江に到着した。そこにはイルカの家族が生息しているという。船長がエンジンを止め、静かにイルカの登場を待つと、陸の方から背びれが見え始めた。
「わあ!イルカさん、こっちだよ~!」
彼女が手を振りながら呼びかける。しかし、イルカたちは船の反対側に回り込む。
「おおい、こっちだよ~!」
太一も負けじと手を叩き、イルカを呼び寄せた。すると、不思議なことにイルカたちは静かに太一の近くへやってきた。
「ええ~!すごい!」彼女が驚きの声をあげる。
背びれに触れようとする太一だったが、イルカは間一髪で方向を変え、遠ざかってしまう。
「イルカさん、戻ってきて~!」
「いや、こっちだよ~!」
二人のやり取りに、他の乗客たちは少し呆れ顔。
「お二人さん、そんなに騒いだらイルカが逃げちまうぞ~。」
船長が笑いながら声をかけると、船内は和やかな空気に包まれた。
ツアーを終え、船が港に戻る途中、太一はふと崖の方を見上げた。そこには、ピンクの服を着た赤毛の少女がじっとこちらを見つめて立っていた。
「え……?」
太一が驚いて目を凝らすも、船が進むにつれて少女の姿は小さくなり、やがて見えなくなってしまった。他の乗客や彼女はその存在に気づいていないようだった。
「地元の子……だよな?」
困惑しつつ、太一は隣の彼女に目を向けた。彼女はポケットから七色に輝く貝殻を取り出し、じっと見つめている。
「それ、拾ったの?」
「うん。昨日ね。」
多くを語らない彼女の横顔に、太一は何か言いたい衝動に駆られたが、結局口を閉ざした。
船が港に戻り、太一が下船しようとすると、船長が声をかけた。
「忘れ物だよ。彼女のだろ?」
船長が差し出したのは、七色に輝く貝殻のペンダントだった。
「いや……彼女のですけど、僕の……」
言葉を濁す太一をよそに、船長は次の客を迎えに船へ戻っていった。
ペンダントを手にした太一は、彼女を探そうとしたが、どこにも姿が見当たらない。旅館で名前を確認しようとしたものの、金髪の女性は宿泊客の名簿にはいなかった。
「そんなはずは……昨日一緒に泊まったはずなのに。」
途方に暮れながらポケットにペンダントをしまい、太一は次の目的地である能登島へと向かった。ペンダントの七色の輝きが、胸の中で消えない疑問とともに静かに光を放っていた。