Chapter40 「一夜優しく」 【地球】
Chapter40 「一夜優しく」 【地球】
私は5日ぶりに出社した。給湯室で自分のマグカップを洗っていた。土日を挟んでいたので会社を休んだのは3日間だった。インフルエンザに罹ったことにしていた。佐山さやかは今日も休んでいた。人質になった精神的な疲れと花形の死のショックが重なったのだろう。元は普通のOLだ、この3日間の出来事は刺激が強すぎたはずだ。心も痛めているに違いない。私も出社はしたが花形の事が頭から離れない。花形は私を突き飛ばして助けてくれた。そして撃たれた。もし花形が私を突き飛ばさなかったら私は生きていないだろう。私はMZ会を舐めていたのかもしれない。今回のミッションについても深く考えず参加したが、実態は殺し合いなのだ。アメリカの裏政府と組んで国家を作るほどの組織だ、当然表に出来ない裏の部分もあるはずだ。射撃場を保有し、銃を所持している組織だ。一般的に考えたら反社会勢力になるであろう。しかもMM星人という宇宙人が主体の組織だ。関わりすぎたのだろうか?
「水元さん、インフルエンザは治ったんですか? 佐山さんは休んでますよね。どっちがうつしたんですか? いい歳してお盛んですね。佐山さんはどうですか? おばさんだけどカワイイし、いい体してますよね」
営業部の穂坂が話しかけてきた。私より10歳以上年下だ。自分の営業成績を伸ばす為に無理な受注ばかりしてくるイヤな男だった。ハエのようにうるさくて邪魔な男だ。また、力のある上役に取り入って男芸者のような振る舞いが目立つ男でもあった。自分より押しが弱い人間に対しては常に高圧的な態度に出て見下していた。
「なんの話だ。私と佐山さんは関係ないよ」
「隠さなくてもいいんですよ、水元さんも隅に置けないですね。佐山さんを食い物にしてるそうじゃないですか。男として最低ですよ。でも羨ましいですよ、お金まで貰ってるって、いい身分ですね、あははは」
「だから関係ないんだよ」
「またー、またまた、水元さんはたまたまモテただけなんですよ。たまたまですよ。何をいい気になってるんですか~」
本当に腹の立つ男だ。後輩をイジメている噂もよく耳にする。先輩に対してもこの態度だ、パワハラをしていても不思議ではない。
「別にモテてないよ」
「カッコつけてますね。佐山さんはアラフォーでしたっけ? そこにつけこむなんて水元さんズルいですよ。佐山さんも、こんなおっさんを相手にするなんて相当男に飢えてるんですね。砂漠みたいに乾いちゃってるのかな。そこに水元さん。まさに砂漠に『水』ですね、あはは」
私は佐山さやかの気持ちを考えていた。私は花形の想いを佐山さやかに伝えていた。その花形が目の前で・・・・・・私は思い出すのが辛かった。ヘリコプターのドアから一瞬で雲の中に消えた花形。花形が生涯で初めて愛した佐山さやか。
「いいかげんにしろよ、それ以上喋ったらブン殴るぞ」
私は今まで人を暴力で脅かしたことは無かった。そもそも口喧嘩も殆どしたことが無い。
「あれ、本当の事だから怒ってますかぁ? 年上だからって偉そうですね、パワハラですよ。それに老害ですよ。弱いくせに。私は岸田部長に可愛がってもらってて ウグッ!」
私は穂坂に左ボディーブローを叩き込んでいた。ユモコンバットのボディーフックだ。腕はほぼ固定して、腰を中心とした体の捻りを使ったボディへのフックだ。ぶつかるようにして打ち込む。至近距離や狭い場所での戦いで有効な技だ。穂坂はしゃがみ込んでいた。佐山さやかの悪口は許せなかった。私は穂坂の後ろ襟を掴んで鉄骨作りの非常階段の踊り場まで引きずっていった。
「これは暴力ですよ! 警察に言います!! おやじにも言うぞ!」
私は頭に血が昇っていた。
「勝手にしろ。お前をボコボコして階段から落とす。殺したらごめんな」
しゃがんでいる穂坂のこめかみに脛を叩き込もうとした。
「ま、待って下さい、すみませんでした! 水元さん強かったんですね」
こういうタイプは不利になるとすぐ謝るが本心からは謝っていない。頼んでもいないのに土下座を始めた。とりあえずこの場から逃れるためだろう。穂坂の頭の位置が変わったので脛ではなく、足の甲で蹴る事にした。
「止めろ!」
非常階段のドアが開くと同時に大きな声がした。ユモさんが立っていた。
「俺は人殺しの為にユモコンバットを教えた訳じゃない。こんな『クズ野郎』の為に犯罪者になるな」
ユモさんはそれだけ言うと去って行った。穂坂は土下座をしたまま震えていた。
「二度と話かけるな」
私はそれだけ言って自分のデスクに戻った。ユモさんは席にいなかった。もしかしたらユモさんに責任を感じさせてしまったかもしれない。
5日後、私はMZ会の江東区の施設で射撃練習を行っていた。MZ会は恐ろしいが、鬼神島での銃撃戦でまだまだ射撃技術が足りないと感じたからだ。しかし的を撃つのと人を撃つのはまったく違う。的は撃ってこないが、人は撃ってくる。そして撃たれれば死ぬ。私は恐怖の為、正確で速い射撃が出来なかった。恐怖心の克服が第一かもしれない。私はSTI2011を3マガジン撃って休憩室でタバコを吸っていた。藤原ミサキが休憩室に入ってきた。珍しくワンピース姿だった。色は品のいいアプルコットオレンジだった。
「水元さん、落ち込んでますね」
「ああ、あんな事があったんだ。明るい気持ちにはなれないよ」
「慣れろといっても無理でしょうけど、よくある事です。私も仲間を何人も失ってきました」
「ミサキさんは何で工作員になったんだ? 他にも道はあっただろ」
「私は江戸時代の中期に今の秋田県で生まれました。100歳までは日本海側のコミュニティで育ちました。その後は太平洋戦争が始まるまで猟師として生きてました。ずっと男性の姿でした。いわゆる『マタギ』です。狙撃の技術は猟で身に着けました。日露戦争では旅順攻撃、太平洋戦争では中国戦線で戦いました。狙撃の技術を活かしました。もちろん二つの戦争は別の人間としての参加です。戦後は女性の姿になり、デパートで働きましたがMZ会に入信して工作員になりました。マタギ時代の狙撃能力を買われたのです。それ以来幾つもの作戦に参加しました。狙撃が主な任務でした」
「元猟師なら狙撃はお手の物だな。どれくらいの距離で撃てるんだ?」
「銃にもよりますが、スコープ無しなら300m。スコープありなら1000mですね。風、温度、湿度、高度による気圧や重力の影響など、条件によって精度は変わります」
「1000mか、凄いな」
「それより、水元さんのこと『タケルさん』って呼んでもいですか? 唐沢さんがそう呼んでるので羨ましいです」
「別にかまわないよ」
「でも同じだとつまらないから『タケさん』って呼ばせてもらいます。私の事はミサキさんじゃなくて、ミサキって呼んで下さい」
「わかったよ」
「タケさん、この後予定ありますか?」
「いや、あと3マガジン撃ったら帰るつもりだ」
「じゃあ射撃訓練が終わったら食事につきあって下さい。嫌いな物はありますか?」
「嫌いな物は無いよ。強いてあげれば『ホヤ』かな。あれは苦手だ。それとゴマ塩のかかったご飯も苦手だな。赤飯は平気だけど」
「わかりました。お店は任せて下さい」
店は日本橋の割烹料理屋で部屋は和室の個室だった。
「コース料理になってます。もちろん誘った私の奢りです」
ミサキは嬉しそうに言った。
「楽しみだな。こんな雰囲気のいい店に来たことないよ。いつも大衆居酒屋ばっかりだ」
「飲み物はどうします?」
私はお品書き見ていた。
「伊佐大泉があるのか」
伊佐大泉は鹿児島の芋焼酎だ。昔良く行った、夫婦でやってる焼き鳥屋で出していた風味豊かな美味しい焼酎だ。店主が鹿児島出身で取り寄せていたのだ。
「焼酎ですか? ボトル頼みましょう」
料理の先付けの『アンコウの胆』は脂が乗っていて美味しかった。私は焼酎をロックで飲んだ。ミサキはお湯割りだった。向付けは『フグ刺し』で久しぶりにフグを食べた。
「タケさん、鬼神島はたいへんでしたね」
「ああ、まさかあんな事になるなんて・・・・・・」
あんな事とは花形の死だった。
「MZ会の内部で八神の内偵を進めてました」
「八神の狙いは何だったんだ?」
「日本支部の乗っ取りです。『マゼラニア自由民主主義国』が建国されれば日本支部の重要度があがります。アメリカの本部と肩を並べる力を持つでしょう。八神はそれ見越して日本支部支部長の座を狙っていたのです」
「そんなことで地球征服派と組んだのか?」
「組んだというより利用したのです。今の支部長の『木暮』を更迭させる為です。観音崎の施設や江東区の施設を襲ったのも『木暮』の立場を悪くするためです」
「酷い話だな。目的の為なら手段を選ばないのか。日本支部長になるとそんなにうま味があるのか?」
「八神は権力が欲しいだけです。支配欲の権化なのです。木暮は元々八神を信じていませんでした。見抜いていたんです」
「木暮って人はどんな人なんだ?」
「トップにふさわしい人です。頭もキレます。何よりも大局観を持っています。性格も気さくで政治家や財界人とも良好な関係を保っています。宗教家というより企業経営者のような感覚の持ち主です。日本の政治家のような寝技は使いません。正面突破を信条としてます」
「へえ、大した人物だな。MM星人なんだろ?」
「はい。636歳です」
「太平洋戦争の時は何やってたんだ?」
「海軍の軍令部にいたようで、反戦派だったようです」
「八神とは反対だな」
「そうですね。八神はMZ会でも同僚や部下からあまり好かれてませんでした」
「ヘリポートでの峰岸さんへの態度も酷かったよな。最後まで上官気取りだった。太平洋戦争での作戦の失敗に対する自責の念なんてないんだろうな。峰岸さんはどうなるんだ? いくら恨みがあったとはいえ八神にトドメを刺したのは事実だ」
「お咎め無しだと思います。八神の行為は組織に対する反逆です。確保が作戦の目的の一つでしたが、人質を取った上に直接攻撃してきたのです。峰岸さんは怪我も負わされました。情状酌量でしょう。木暮支部長ならきっとそうします」
「俺も八神は許せないよ。あの状況で俺達を撃つ意味があったとは思えない。俺達全員を倒したところであの島からは出れなかったはずだ」
「花形さんの事は残念でした。さっきも言いましたけど、よくある事です。私達の仕事には死人が出ます。皆それを覚悟で戦ってます。MZ会の工作員は報酬が高いです。でもそれだけでできる仕事じゃありません。この星でのMM星人の未来を良くするという理想と、この星を間違った方向に向かわせないという大義の為に戦ってます。この星の平和と調和の為です。私達はこの星が好きです。この星の人達も。MM378には無い豊かな文化があります」
「工作員はMM星人だけなのか?」
「そうです」
私は複雑な気持ちになった。MZ会の工作員は純粋にこの星の為に戦っている。地球人が自分たちの国家や民族、イデオロギーの為に戦うのとは違うようだ。
和服を着た若い仲居が『鳥ももの山椒焼』、『ブリ大根』、『松茸の天ぷら』をいいタイミングで運んできた。どれも美味しかった。ミサキの作る焼酎のロックに少し気分が和らいだ。ミサキは落ち込んだ私を元気づけようとしているのかもしれない。
「タケさん、七海さんってどんな人なんですか? 一緒に住んでたんですよね? 花形さんや峰岸さんの話だと凄く強い軍人だということでした。地球の為にMM378で戦ってるとも聞きました。花形さんも峰岸さんも七海さんを尊敬してました」
「俺は七海が戦ってる姿が想像できないよ。しかも士官だなんて猶更だ」
『私は七海との出会いから別れまでの話と幾つかのエピソードについて話した』
「七海さんって怖い人かと思ってましたけど、タケさんの話を聞くと面白そうな人ですね。セミを沢山捕まえてくるなんてお茶目でカワイイです。それに唐沢さんが変身した七海さんの姿は綺麗でカワイイですよね。タケさんの理想なんですね」
「まあ、俺が作った姿だからな。でもミサキさんも綺麗だよ。誰の姿なんだ?」
私はミサキの変身に興味があった。『茶碗蒸し』を食べながら訊ねた。
「この姿は当時近所に住んでいた女性です。大学生の方でした。旧家の家柄のお嬢様でした。上品な方で、和服を着て習い事に通ってる姿を何回か見ました。昭和30年代前半でした」
「へえ、近所の人なんだ」
「はい、MZ会に入る直前で、その女性に変身してMZ会に入りました。その前はデパートで働いてましたけどその時の姿は終戦直後に闇市でみた女性の姿でした。その前はずっと男性でした」
「MM星人は変身出来ていいよな。俺もイケメンに変身したいよ。モテない男の共通の夢だよ」
私は運ばれて来た『ギンナンの炊き込みご飯』を食べながら言った。
「顔は好みの問題です。好きになるキッカケは顔だけじゃありません」
「でも美人やイケメンの方が圧倒的に得だろ」
「私は世間で言うイケメンとかイイ男って苦手なんです。その人の心が見えにくいんです。その人の苦悩やコンプレックスが出ていて、それでも卑屈にならずに真っ当に生きてる人の顔が好きなんです。タケさんの顔はその代表です」
「褒められてる気がしないよ。確かにいっぱいにコンプレックスはあるけど」
「それなのにすごく真っ当に生きてる顔です。醜くなってません。顔に生き方が出るんです」
「うーん、微妙だな」
若い仲居が襖を引いて入って来た。
「『わらび餅』と抹茶のアイスクリームです。これが最後のお品です。もう来ませんのでゆっくりしていって下さい」
若い仲居は意味あり気な笑顔を浮かべると部屋を出て行った。冴えない中年男と若い美女の組み合わせは不自然なのだろう。それでも有意義な会話と美味しい食事だった。
「料理は口に合いましたか? タケさん、明日もお休みですよね、もし良かったらもう少し付き合って下さい。もちろん奢りです」
タクシーに乗って着いたのは夜景が綺麗なホテルの最上階のバーだった。
私は『マティーニ』を、ミサキは『ギムレット』を頼んだ。二人とも強い酒だった。バーテンのシェーカー捌きは見事だった。『鬼神島』の出来事が遠い昔に思えるような落ち着いた時間だった。夜景が美しい。
「私、七海さんより先にタケさんと会いたかったなぁ」
「七海と会う前の俺はもっとダサくて情けなかったよ。七海が俺を変えてくれたんだ」
「七海さんだってタケさんと会って変わったんですよ。きっとタケさん以上に・・・・・・だからこの星のために戦ってるんです。羨ましい、どっちも・・・・・・」
ミサキの言葉が心に染みた。私と七海の出会いはお互いを変えたのかもしれない。
「ミサキさんは優しんだな」
私は本当にそう思った。ミサキも鬼神島の戦いで仲間を失って傷ついてるはずだ。
「タケさんも私に優しくして下さい・・・・・・」
「どうしたらいいんだ?」
本当に見当がつかなかった。
「この前約束しましたよね? 一緒に寝てくれるって」
「ああ、そうだった」
私は思い出した。人質を奪還に向かう前の朝だった。
「このホテルに部屋を取ってあります」
えっ、ミサキの言葉にドキッとした。
部屋はダブルの部屋だった。夜明けの明かりで目が覚めた。ミサキは私の背中に抱き付くようにして寝ていた。私はミサキが目を覚ますまで動かなかった。寝たふりをした。私はボクサーパンツ一枚、ミサキは何も身に着けていなかった。私はこういうシチュエーションには慣れていなかった。
「タケさん、起きて。コーヒー飲みにいきましょう。それに服着ないと風邪ひきますよ」
「うーん、もう朝か」
私は体を起こした。二人は本当に何もしなかった。ただ体を付けて寝ただけだった。ミサキは私に体を付けてしばらくすると話している途中で寝てしまったのだ。私は滅茶苦茶興奮していたのだが。
私とミサキは服を身に着け、荷物を持つと部屋を出て、ホテルの一階のカフェに入った。私はコーヒーとホットサンドを、ミサキはカフェラテとサラダサンドを口にした。
「タケさん、寝たふり、疲れたんじゃないですか?」
私はコーヒーを吹き出しそうになった。
「ははっ、ばれてたのか」
「タケさん、やっぱり優しい。あーあ、本当に七海さんが羨ましいなぁ」
私とミサキはホテルを出た歩道で、日曜日の眩しい朝の光の中、別れた。駅の方向が逆だったのだ。ミサキは私に軽く手を振って歩いていった。なんか俺、カッコよくね!? ハードボイルの主人公みたい! いい男になったみたい! 私は『モーレツ』に嬉しかった。いつもと違う私だった。やべっ、腹イテー、やっぱり冷えたみたいだ。腹がギュルギュル激しい音を立てた。こりゃ駅までもたん! 私は慌ててホテルのロビーに戻るとトイレに駆け込んだ。私は30分間トイレで『モーレツ』に悶絶した。寝冷えの下痢はたちが悪い。やっぱりいつもと同じ私だった。だよねー。




