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溶けた恋  作者: ピンクムーン
三章
66/75

66話(熱海旅行)

風が冷たくなり、辺りは長袖の服装が目立つようになってきた。


「空、飛びたかったな…。」


智子はリビングでハーブティーを淹れ、冬子に差し出しながら漏らした。

医師からめまいのリスクを指摘され、スカイダイビングを中断せざるを得なかった智子は、がっくりと肩を落とす。


最近食欲もなく、運動もままならず、どんどん小さくやせ細る智子の姿を、冬子は見ていられない。


そんな智子の目が唯一輝くのは、冬子が机に向かっている時だった。


「教育ママ」として半生を生きてきた名残りは拭えないらしく、娘の自由を奪ってきた自分自身の愚かさに気付いてもやはり、娘が一心不乱に勉強に取り組む姿を見るのは、悦ばしい事であった。


「ママ…、家族で温泉旅行、どうする…?」


「温泉くらいなら行けるかな。パパと、、皆で行こうか」


週末、家族は熱海に向かった。

すっかり撮影になれた智子と冬子は、お互いにカメラを回し合いながら、動画撮影にも勤しんでいる。


今回は家族水入らずということで、メンバーは同行していなかった。



「ママ達、もう有名ユーチューバーじゃないか」


仁志がおどけた様子で関心する。


「…?今さら何なのよ。あれだけ動画出演を馬鹿にしておいて。今日パパを仲間に入れたのは、娘達のためなんですからね。」


そんな仁志を智子は、冷たくあしらった。


(そんな険悪になるなら、無理して全員で来なくても…)

娘達は心の中で同じ事を思った。


事あるごとに夫へ毒づく智子の態度に、仁志も慣れてきた様子だ。持ち前のスルースキルで上手く交わし、そこまで殺伐とすることはなく、旅館へ到着した。


「わぁー、旅館ってなんか落ち着くー!」

「美月、あれみて、浴衣選べるって!」

「黄色可愛いー!美月は黄色ね!」


冬子と美月が競い合うように浴衣の方に駆け寄っていく姿を見て、仁志と智子は、まだまだ娘達が小さかった頃を思い出した。


「美月は、いつも冬子に取られる前に、自分のお気に入りは確保するの、相変わらずね。」

「冬子、美月に取られたとか言って、泣き出すんじゃないか…?」


「何言ってるの、もう冬子は17歳よ。」


「ママー!ママー!美月が、黄色の浴衣横取りした!私のほうが絶対に似合うのに!!美月酷い!馬鹿!」



冬子が膨れっ面で母親に訴えてきた。

仁志と智子は、思わず顔を見合わせ吹き出した。




部屋に運ばれてきた夕食を、智子は半分以上残してしまったが、大好きな海の幸をふんだんに使用した懐石料理を堪能でき、十分満足だった。



娘達も寝静まった頃、

智子と仁志はテレビに目をむけ、一言も発せずゆっくりと、ご当地ワインを喉に流し込んでいた。


突然智子が立ち上がり、仁志の肩をトントンと叩くと、部屋に付いている露天風呂を指さした。

「仁志さん、入らない?」


仁志は、突然の智子からの誘いに驚きを隠せないが、それ以上に彼女のただならぬ覚悟を感じた。


「そうだね、、入ろうか。」



智子は、仁志の目の前に立つと、浴衣の帯をスルスルとほどく。智子の白い肌が露出する様子に、仁志は息を呑んだ。


そして、ストンと浴衣が床にこぼれ落ちた。




やせ細り骨の形があらわになった妻の姿に、仁志は言葉を失った。


「仁志さん、、何で、綺麗なうちに抱いてくれなかったの…?」


智子は悲しげな瞳で夫を見つめた。


「さ、入りましょ。」





「仁志さん、知ってる?冬子ね、医学部を志望することに決めたみたいなの。」


「えぇ!?医学部!?初めて聞いたな…。」


智子は嫌味ったらしく鼻で笑う。

「ほんとにあなたは、、家族の事何も知らないのね。私が居なくなって、大丈夫なの?」


「…無理だよ。オマエが居なくなるなんて、俺はどうやって生きていけばいいんだ…。」


仁志は湯気の中、目を真っ赤にして訴える。

「何言ってるの、ちゃんとしてください。

いい?冬子の受験は、絶対にサポートしてあげて。今までは、私が言ってることをただやってただけの冬子が、初めて自分から言ってくれたの。」


「…分かった…。」仁志は涙を拭いながら応えた。


「仁志さん、もう私、怒ってないから安心して。

色々やりたいことやって、お義母さんともケリつけて、あなたにも当たり散らして、何か、不満なんて何処かへ消えてしまったよ!

人間って、不思議だね。

やっぱ最期はみんなの事愛して、愛されながら死にたいの。」


「智子…」



智子は、仁志の目をじっと見つめ口を開いた。

「お願い、さいごに、私を抱いてくれない?」



「智子……、あのときは…、嘘ついて、、俺、、ごめん…!」



仁志は肩を震わせ、智子を優しく抱きしめた。



「あのとき」とは違う、細く、小さくなった智子の身体がそのまま消えて無くなってしまわないように、まるでガラス細工を扱うかのように、智子の身体に触れていく。



智子の漏らす小さな吐息だけが今、彼女の命をここに繋ぎ止めている。


仁志は智子の鼓動を感じ、ただただそこにある優しさと幸福に、身を委ねた。






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