1・死ぬほど遅い救急車
皆さんはサイレンを鳴らしているのにめちゃくちゃに遅くて、後ろに大渋滞を引き起こしている救急車を見たことがあるだろうか?
あるいは事故現場で必死で緊急治療をしている横で、とり餅を振り回している救急スタッフを。
あるとしたら、それは俺だ。俺たち裏救急だ。
「そんなにスピード出さない!千切れたらどうするの!」
明美姉さんがドライバーに叫ぶ。青いマスクの上の目が、ストレッチャーの上の患者と窓の外を交互に睨む。
「どのくらい引っ張ってるんですか?」
「50メートルくらいね。だいぶ危ないわ」
交通事故の患者で肋骨と足を折っている。転倒時に頭も打っていて軽度の打撲だが意識がなく緊急に検査、治療が必要だ。本来であれば普通の救急車のようにぶっ飛ばして早いとこ病院に担ぎ込まなきゃならないんだけれど。
たまたま俺たち裏救急が間に合ったのがよかった。
明美姉さんは一目で患者の状態を見極め、できる限りゆっくりと病院へ搬送するように指示を出した。
最初、その指示に戸惑っていたドライバーがいつもの癖でスピードを上げた。
途端に患者の脈拍が落ち車内に警告音が鳴る。心停止だ。
「一回ストップ!!」叫ぶ明美姉さん。
救急車が路上で一時停止するありえない事態。真剣な表情で患者のやや後ろを見守る明美姉さんがやがてホッとため息をつくと、治療もしていないのに心拍数が戻る。
こうなるとドライバーも普通のスタッフも彼女に従わざるをえない。
俺にも見えないのだが、彼女には見ることができるのだ。
そう、魂を。
信じられないかもしれないが、魂って奴は簡単に肉体から出てしまうらしい。大したことのない事故やショックで飛び出てしまい、そのまま戻れないと当然死んでしまう。
今、この患者は魂が細い糸、というか、ガムが口から飛び出してどこまでも伸びた状態といううか、今にも切れそうな伸びきった魂の一部でなんとか肉体とつながっているらしい。
弱っているたましいは引っ張っても簡単にはついてこないでダルダルと伸びてしまう
ゆっくりゆっくり肉体を運ばないとちぎれてしまう、そうなったらいくら体を治しても仕方ないので、こんな状況が生まれるというわけだ。
「もうちょっとゆっくり!」
「ああ、今切れそうだった、気をつけて!!」
「うん、いい感じ、弾力戻って来た!」
などと明美姉さんの言葉だけを頼りに、この裏救急車は進んでゆく。後ろにクラクションのこだまを聴きながら。
今夜もなんとか、一人助けることができた。