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「殿下がいらっしゃいますわよ」
一同がその方向を見ると、確かにアスクモアがこちらに向かってきている。その表情には少し疲労の色が。どうやらやっとのことで何某の大臣らしき男性から解放されたようだ。
「お疲れさん」
傍までやってきたアスクモアに、クラバスがねぎらいの言葉を掛ける。その言葉を受けたアスクモアは長く息をついた。疲れているせいか、エスタームの陰に居るサンドリヨンに気がつかない。
「本当に疲れたよ」
「娘を連れていたようですが?」
これはターナーの言葉だ。
「自分の娘を売り込もうとしてたんだ。僕には心に決めた人が居るって言うのに」
「サディちゃんか?」
「そうそう」
クラバスの言葉に思わず相槌を打ってしまったアスクモアは、急いで手を口に当てた。心なしか顔が赤い。
「アスクモアさん」
「はい?」
アスクモアがターラーの言葉に返事をして向くと、ターラーは無言でエスタームを差した。と同時にエスタームもさり気無く移動する。その陰から出てきたのはもちろん
「サ、サ、サ、サンドリヨンさん!?」
アスクモアは思わず口ごもりながら叫んだ。
「……こんばんは」
答えるサンドリヨンの顔もほのかに赤い。
不意に、会場内に流れる音楽の種類が変わった。先ほどまでと違う軽快なリズムは、踊るためのそれだ。
その音楽に背中を押されるように、アスクモアは口を開いた。
「僕と踊っていただけますか?」
「喜んで」
サンドリヨンがそう答えると、アスクモアは嬉しそうにサンドリヨンの手を取った。
二人がホールの中心に向かうと、テーブルにはターラーとクラバス、それにエスタームの三人が残される。
「それでは、私もここで失礼しますわね。少し知人に挨拶に回りたいものですから」
「んじゃあ、ばいばいだな」
そう言ってエスタームに笑顔で手を振ったクラバスは、壁にもたれると急に真面目な表情になって腕を組んだ。
「で? 気になることって何だ?」
「サンドリヨンさんは、外れ物の可能性があります」
「やっぱり、か」
クラバスがため息混じりに呟いた。
外れ物とは、人とは違う稀有な能力を持っていたり、手に入れたりした人のことを言う。元々の由来は、人道に外れ、畜生に成り下がったという意味で、外れ「物」と言われているのはそのためだ。
基本は自らの能力を悪用している人を指すが、最近では能力を持っているだけでも外れ物だと言われることがある。
「あれ? 驚かないんですね」
クラバスの様子を見て意外そうにターラーが言った。
「ああ……ここじゃなんだな。どうせだしバルコニーに出よう」
そう言ってクラバスはバルコニーに向かった。勿論ターラーもその後に続く。
両開きの窓を開けて外に出ると、そこがバルコニーだ。カーテンを閉めておけば、バルコニーに人がいるかどうかすら分からなくなるので、よく密会などにも使われる。
「んで、驚かない理由だっけ?」
「ええ」
クラバスはバルコニーの手すりに両肘を乗せてもたれている。対するターラーも隣で軽くもたれていた。
人が来ていないかを察するためにはカーテンを向いているほうが有利だからだ。
「朝薬草を摘んでたときに、令嬢方が噂していたんだよ。『あんな没落したところの、しかも異能の女性のどこがいいのか』ってな」
「僕のほうでも、街の人たちが噂してました。どうやら、サンドリヨンさんの継母はサンドリヨンさんに意地悪ばかりをしていたようですね。『灰にぶちまけた大量の豆を選別し終わるまでは外に出させてあげない』とか言っていたそうです」
「ひでえな、それ」
「まあ、自分の娘と比べてサンドリヨンさんが美しかったのが気に障ったのでしょう。
それで、困っていたサンドリヨンさんを鳥たちが助けたとか」
「鳥が助けた?」
「ええ。数羽の鳥たちが豆を拾うのと選別するのを手伝ったそうですよ」
「……マジでか」
「マジです」
クラバスは、ありえないと言う風にターラーを凝視する。
数拍の後、ターラーが軽く息を吐いた。
「君だって、今まで信じられない能力を持ったの外れ物と出会ったりしたでしょう?」
「そりゃあそうだけど……まさかあの子が外れ物なんて」
「確定的ですもんね」
「くそっ」
クラバスが苦しそうな顔で頭を掻き毟る。
「よりによってあの子を殺さなきゃいけないなんて」
そう、ターラーとクラバスの所属している「狼」は教会の裏組織だ。その存在を知っているのは教皇と所属している本人のみ。そして、「狼」の任務は外れ物の討伐。
「君はそんなこと言ってるから、いつまで経っても耳飾りがもらえないんですよ」
ターラーの左耳についている耳飾りは、教皇から認められた手練れの証だ。
「なあ……お前はサディちゃんを殺すつもりか?」
「ええ、もちろんです」
あっさりと答えたターラーに、クラバスは一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべた。一瞬すぎて、ターラーはその表情に気が付かない。
「でも、今の状態じゃ彼女を殺す訳にはいかないだろ?」
「そうですね。僕らが彼女を殺したこと自体は、教皇様の力でいとも容易く握りつぶせるでしょうが」
「仮にも教会所属の人間が王子の相手を殺したとなると、反発が起きる。か」
「ええ。今でも教皇様がここら一体を支配していることに不満を抱いている国は多いでしょうし。反乱のきっかけを作らせるわけにはいきませんしね……とりあえず、アスクモア君たちの前で能力を使わせるしか――」
後半のターラーの独り言を遮るようにして、クラバスは口を開いた。
「オレが殺すからな」
「はい?」
クラバスの言葉の意図が分からず、ターラーは聞き返した。
ターラーの目を真正面から見つつ、クラバスは続ける。
「サディちゃんを殺すことになったら、オレが殺すから。お前が手を汚す必要は無い」
クラバスがそう言うのは、過去の出来事があるからだ。
「僕はもう大丈夫ですよ」
クラバスの心遣いにターラーが微笑む。
「で、王様とかアスとかの前で能力を使わせるんだろ?」
覚悟を決めたクラバスが切り出した。
「そうですね。となると、チャンスは明日しかありませんね」
「だな、結婚しちゃったら元も子もないし」
「問題はどうやって使わせるか、か。多分鳥を操る能力の持ち主なんだろうけど……」
不意に、バルコニーと広間を仕切るカーテンが揺れた。
「誰ですか?」
手すりにもたれるのを止め、鋭い声でターラーが誰何する。しかし、カーテンの向こうにいるであろう人物は沈黙を保ったままだ。
「風だったんじゃねえか?」
「まさか」
いつまで経っても姿を現さない相手に、誰もいなかったのではと二人が思い始めた矢先。
「あ、二人ともここにいたのか」
アスクモアがカーテンをくぐって姿を現した。思わずターラーとクラバスが目線を交える。
「サディちゃんの相手はいいのか?」
何気なさを装って、クラバスが問いかけた。
「うん。なんか、門限があるからって言って帰っちゃったよ。……って言うか知ってたんだね」
悲しげにつぶやくアスクモアの言葉の意味が分からず、クラバスが聞き返す。
「なにをだ?」
「彼女の略称だよ」
「あー……」
言葉を伸ばしながら、気まずさを感じたクラバスは目線をアスクモアから外した。そういえば、アスクモアに愛称をつけてやればと勧めたのは自分だったのだ。
「……いや、オレも今日自己紹介のときに聞いて驚いてさ。まあ、でも良かったじゃんか。今日も踊れたし。かっこよかったぞ、誘い方」
「そうかな? そうだったらいいんだけど……」
「大丈夫だって、もっと自信持てって」
とりあえずクラバスは必死になって話題を変えた。愛称があることを知った上で助言を出したと思われたままでは困るし、かと言って言い訳するのも変な気がしたからだ。
「サンドリヨンさんは、いつ帰ったんですか?」
助け舟のつもりかそうでないのか、ターラーがアスクモア尋ねた。
「ついさっきだよ。それで手持ち無沙汰になったから、二人を探してたんだ」
「どうしてここにいると分かったんですか?」
ターラーが問いを重ねる。どうやら、さきほどまでのクラバスとの会話を聞かれていなかったかどうか確かめているようだ。
「なんとなくだよ。さっきまではここのカーテン、風を通すために開けられてたからね」
「そうですか」
「二人こそ、どうしてここに?」
「ちょっと酔いを醒ましてたんですよ」
「夜の冷たい空気は気持ちがいいからな」
ターラーの言葉に、クラバスも便乗する。
「城からだと、城下が一望出来るんですね」
話題を変えるためにターラーが言う。
「うん。城から見る城下の様子は僕の好きな景色の一つだよ。見る度に城下は今日も平和かな、とか、民のためにしっかりとした政治をしないといけないな、とか思えるしね」
そう言いながら城下に視線を向けるアスクモアの顔つきは、次代国王のそれだ。
「偉いなアスは。オレがアスくらいの年、って言っても数年前だけど、国のことなんて考えたことも無かったな。自分のことで精一杯」
「そんなこと無いよ。ただ、僕は王家に生まれたからには民を幸せにする義務があるから」
義務と言いながらも、アスクモアは少しも苦には感じていないようだ。
「ターラーとクラバスの国は、教皇様が王の代わりなんだったっけ?」
この問いにはターラーが答える。
「そうですね。表向きには王は居ますがまだまだ幼いようですし、前代国王も亡くなってしまいましたからね」
「国は隣り合ってるのに、文化って全然違うものなんだね。驚いたよ」
「僕も驚きました。名前一つ取っても形式がかなり違いますからね」
「言葉はほとんど一緒なのにね」
「そうですね」
歴代教皇の命によって、ここら一帯の言語が統一されたのはずいぶん前のことだ。
昔から多国間の会議では共通語とも言えるものが使われていた。それを民間でも使うよう指示を出したのだ。
「おっと、今日はもう終わりみたいだな」
アスクモアが開けたままのカーテンの隙間から見ると、確かに広間の人々は緩やかに出口へと向かっている。どうやら、いつの間にか国王が終了の宣言を出していたようだった。
「それでは、父の元へ向かいますので僕はこれで」
アスクモアがそう言って軽く手を上げる。
「おう、お休み」
それに対してクラバスが軽く手を振り、ターラーが続いて口を開く。
「良い夢を」
その言葉にアスクモアはありがとうございます、と微笑むと、広間へと戻っていった。
「いい奴だな」
クラバスが呟く。
「ええ。ですが、友人にはなれませんね」
なぜなら二人は、彼の嫁になるであろう娘を明日殺すのだから。
ターラーがアスクモアの背中に呟く。
「お休みなさい。せめて夢の中でくらいは幸せに」