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「ぶらぶらするって言ってもなー」
クラバスは独りごちながら城の中を散策していた。正直他国の城の中を勝手に歩き回るのはどうだろう、とクラバスは始め思ったが、部屋でじっとしているのはクラバスの性に合わない。それに、考えたら早朝の時点あちこちを好き勝手に歩いていたのだ。で咎められたらその時はその時だと開き直って、彼は歩いているのであった。
石造りの城は、それでも無骨な印象を与えない。石の表面はやすりがかけられ、床には毛の長い絨毯がひかれている。
「お」
唐突にクラバスが声を漏らした。視線の先に居るのはアスクモアだ。両開きの窓を開けて、縁に肘を突いている。
「よう」
「あ、おはよう」
クラバスに声を掛けられたアスは、視線を窓の外からクラバスへと移動させた。
アスクモアの元に歩み寄りながら、クラバスが再び口を開く。
「やっと会えたな。オレ、朝飯のときに会えるとばっかり思ってたからさ」
それほど気にしていたわけではなかったが、朝食は国王一家と食べるのだろうかとクラバスが思っていたことは事実だ。
「あ、ごめん。僕たちの国では、朝食は家族のみで食べるものだから。文化の違いをすっかり忘れてたよ」
「まあ、いいっていいって。オレたちっていうか、オレも朝から気を張らなくて済んだし」
アスクモアが気にしないため、と言うよりは本気でそう思っていたような口調だ。朝食を一緒に食べた場合のクラバスを想像して、アスクモアは軽く笑った。
「みたいだね。がちがちに緊張してるクラバスが目に浮かぶよ」
「だろ?」
「なんだったら昼食を一緒に食べる、ってことも出来るんだけど?」
「……止めてくれ」
うんざりとしたクラバスの様子に、アスクモアは軽く笑ってから尋ねた。
「そういえば、ターラーは?」
「あいつは今城下を見に行ってるよ」
「そっか……ごめん」
「何が?」
唐突に謝ったアスクモアに、クラバスが聞きかえす。
「忙しいだろうに、三日前もから呼んじゃって」
申し訳無さそうに続けるアスクモアに、クラバスは窓の縁に背中を寄りかからせながら答えた。
「ああ。いいっていいって。どうせ結婚するには教皇様の許可が出ないと駄目な訳だし」
クラバスたちが今いる国を治めているのはアスクモアの父親だが、このあたり近辺の王を従えているのは教皇だ。ここ一体の地域では、王は自らの土地の自治を任かされてはいるが、それはあくまでも教皇の支配下で、である。
貴族たちが勝手に婚姻を結んで力を持つことの無いように、教皇は婚姻を厳しく管理している。そのため結婚式には神父が立ち会うのだ。
「決まってからでも良かったのに」
「まあ、そこらへんの一市民ならともかく、王族とかに関しては数日間様子を見ないといけないことになってるから」
「へー」
このことは、アスクモアも知らなかったようだ。
「ということで」
もったいぶった様子でクラバスは切り出し、そして、少しだけ声の大きさを下げて続けた。
「今のところ、誰が狙いなんだ? やっぱり、昨日踊った子か?」
「……うん」
クラバスの質問に答えるアスクモアの顔はほのかに赤い。どうやら、昨日の舞踏会での様子を思い出したらしい。アスクモアからは幸せがにじみ出ていた。
「手ごたえは?」
クラバスが聞くと、アスクモアは
「……うん」
と答えた。さっきまでとは打って変わり、意気消沈した様子だ。
「おいおい、どうしたんだよ」
アスクモアの落ち込みようにクラバスが心配して尋ねると、アスクモアは昨日の舞踏会での様子を話し出した。
踊ったはいいが名前ぐらいしか聞けなかったこと、何を聞いても答えられないの一点張りだったこと。
ひととおり話を聞き終わったクラバスは、両手を組んで息を吐き出した。
「んで、そのサンドリヨンさんだっけ?」
「うん」
「相変わらず長い名前だな。略称とか無いの? アスたちみたいにさ」
「そう。普通だったら教えるものなんだけどね。……教えてもらえなかったんだ」
どうやらその一点が特にアスクモアの心を沈ませているらしかった。沈みきった声でアスクモアは続ける。
「ちなみにサンドリヨンっていうのは『灰かぶり娘』って意味」
「……すごい名前だな」
さすがのクラバスも絶句である。
数拍の沈黙の後、気を取り直してクラバスは口を開いた。
「もしかしたら、略称が無かったのかもしれないぜ。アスが略称を決めてあげりゃあ喜ぶんじゃないか?」
「そうかな?」
クラバスの提案に、アスクモアは少し気を取り直したようだ。口調がさっきよりも明るい。
アスクモアの様子にクラバスは満足そうに頷いて、視線を窓の外へと移した。
城下町は既に活気付いていた。
城から伸びる大通りの両端には、いろいろな種類の出店が出来ている。多くの店の作りは簡素で、すぐに解体できるようになっている。どうやら、時間帯で店が入れ替わるようになっているようだ。
店が立ち並ぶ傍にはちょっとした広場があり、幾人かの子供たちが噴水の周りを回っていた。
その様子を眺めながら、ターナーは人を探していた。
大通りは物を売る人と物を買う人で込んでいるため、目的の人を見つけるのは難しいと思われたが、運良くターナーは探し人を見つけることが出来た。
その女性は、比較的人の少ない広場のほうからやってきたので見つけられたのだ。
ターナーは、彼女が人ごみに入りきる前に、と少し足を速めて彼女に声をかけた。
「初めましてお嬢さん。僕はターナーと申します」
「……はあ」
女性は、曖昧に頷いた。いきなり見ず知らずの男に話しかけられて、困惑しているようだ。
そんなことは気にせずに、ターナーは続けた。
「昨晩、舞踏会にいらっしゃいましたよね」
女性――サンドリヨンの目が見開かれた。
「いえ、そんなことは」
「いらっしゃったでしょう?」
ターナーのそれは疑問ではなく確認だ。サンドリヨンは頷くしかなかった。
「良かった。美人のお嬢さんの顔を忘れちゃったのかと思いましたよ」
ターナーはほっとしたように微笑んだが、本心からではないようだ。目は笑っていない。
「それにしても、失礼ですが昨日とはうって変わった格好をされているんですね」
ターラーが言うのも無理は無い。サンドリヨンの格好は昨日のきらびやかな格好とは違い、むしろみすぼらしい格好だからだ。くすんだ色の服にはつぎはぎがあり、前掛けは汚れでくろずんでいる。
サンドリヨンは悲しげに一度小さくため息をついた。
「……ええ。昨日の格好は唯一のドレスですから」
「そうですか」
消え入りそうなサンドリヨンの声に、ターナーはさらりと相槌を打つと続けた。
「ところで、まだお名前をお聞きしていませんでしたよね?」
「あ、申し遅れました。私、サンドリヨンって言います」
「灰かぶり……」
サンドリヨンというその名はターラーのいう通り、灰をかぶっているという状態を意味する。
「ええ」
「本当にその名前でお呼びしても?」
「大丈夫ですよ」
そう言って微笑むサンドリヨンの笑みは悲しげだ。
ターラーは唇に手を当てて少し考えてから口を開いた。
「貴女は大丈夫だと言いますが、呼ぶには少し長い名前ですね。サディとお呼びしても?」
「え、ええ。構いませんけど」
一瞬何を言われたのか分からなかったのか、サンドリヨンは数回瞬きをしてから答えた。そして、思い出したように続ける。
「あ、申し訳ないんですけど、私、お使いがあるからもう行かなくちゃ」
「ならば、もし良ければお手伝いいたしましょう。女性に重い荷物を持たせる訳にはいか
ないですし」
紳士らしく微笑んで、ターナーは続けた。
「それよりも、お話をもう少し伺ってもいいですか?」
10/02/09 本文修正