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「で? よくも勝手なことを言ってくれましたね」
自室に戻ったクラバスを待ち受けていたのは、ターラーの冷たい言葉の雨だった。
「教皇様に内密にしておく、ですって? そんな選択肢があるとでも? この国の弱みを握るところだったというのに……あなた馬鹿ですか? というか馬鹿でしょう?」
扉を閉めたクラバスは、今はターラーに背を向けている状態だ。しかし、いつまでもこの体勢で居るわけにもいかない。
自らを叱咤激励して、クラバスは振り返った。思わず、両手は降参を表す万歳の状態だ。
「い、いや、あのさ……オレにもちゃんと理由があったんだよ」
「理由? ……まあ、あなたに大した理由があるとは思えませんが、一応聞いてあげましょう」
ターラーの凍てついた瞳に怖ー、と内心震え上がりながら、クラバスは口を開いた。
「あの、さ、ほら。アスが手にサディちゃんの靴を持ってたからさ、もしかしたら殺しちゃったのかなーって思ってさ。そしたらアスがかわいそうじゃん? せめて、これ以上アスの胃が痛まないように……なんて、駄目?」
ついつい言葉が尻すぼみになってしまうクラバスである。
腕を組んでいるターラーが無言のままであることが、逆に恐ろしい。
とりあえず、あとはターラーの判断に任せることにして、クラバスは口を閉じた。
口は災いの元。慌てて言い訳を重ねると迂闊な言葉が零れてしまうことを、クラバスは悲しくも経験上知っていた。
数拍の沈黙の元、ターラーの口が開く。
「……まあ、それならば仕方がありません。良しとしましょう」
「へ? いいのか?」
ターラーの意外な言葉に、思わず拍子抜けのクラバスである。
「ええ」
ターラーの返答に安心して息をついていたクラバスには、ターラーの呟きは聞こえなかった。
「……サンドリヨンさんに能力を使ったという点で、アスクモア君に悪いことをしたという事実は変わりありませんからね」
「ん? なんか言ったか」
「いえ、何も」
「なら、手当てしちまおうぜ。確か、あっちこっち斬っちまっただろ?」
そう言ってクラバスは部屋に入り、薬草の準備をし始める。小さな傷でも、細菌が入って膿んだりすることがあるのだ。手当てをしておくに越したことは無い。
「あー、そうですね。君の頬も多分痣になるでしょうし」
「だよなー」
頬が痛むのか、クラバスは苦笑するのも少しつらそうだ。
「そう言えば、ロンデミア女史の薬草云々の話はどこから仕入れたんですか?」
「初めてこの城に来た日、オレ厨房のほうに行っただろ?」
「行きましたね」
「その時に聞いたんだよ」
「なるほど……っていうことは、それを知ってて彼女の館へ行ったのですか?」
クラバスがエスタームに招かれたのは、クラバスが厨房へ行ったずっと後のことだ。
「ああ。ホントはそこで尻尾捕まえるつもりだったんだけどな」
「どうして僕に言ってくれなかったんですか!」
ターラーが珍しく苛立った口調でクラバスを責め立てる。
「いや……外れ物とは関係無いと思ってたし、お前はお前で用事があったみたいだし」
クラバスの弱気な回答にターラーがため息をつく。時々クラバスは、自分の身の危険に無頓着だ。
「それで?」
クラバスは作った薬を布で包んでターラーに渡した。
「とりあえず一段落の付いたオレたちの明日の予定は?」
「確か朝に馬車が迎えに来るはずですから、それに乗って帰りましょうか。ただ、帰りに一箇所だけ寄ってもらうところがありますが」
「でもさ、それやばいんじゃね」
「どうしてです?」
「教皇様の今回の指令って、『次代国王の結婚相手を見定めろ』だったよな」
「そうですね」
ターラーが、薬を傷口に塗りながら相槌を打つ。
「アスとサディちゃんの結婚を見届けなくていいのか?」
「あー……どうなんでしょう?」
「一応、見届けといたほうがいんじゃね?」
「なぜです?」
「なんかさ……サディちゃん逃げたらしいぜ」
クラバスは言いにくそうに軽く口ごもりながら言った。
その内容を理解したく無かったのか、ターラーは反射的に聞き返す。
「はい?」
「なんかさ。アスが求婚しようと思ったら、サディちゃんアスの言葉を聞かずにそのまま逃げちゃったらしいぜ」
「逃げた……?」
それは明らかに、ターラーのせいだった。
そうとは知らずにクラバスは続ける。
「だからさ。もしかしたら、アスの相手は違う人になるわけだろう? 一応めげずにがんばれとは言っておいたけど、正式な求婚を受けてもサディちゃんが断ったりなんかしたら、もうアウトだろ? また新しい花嫁候補の調査をしないといけない訳だし……ってかそれ以前に、叔母が外れ物だったのに大丈夫なのか? サディちゃん自体」
少し頭痛を感じたターラーはこめかみに手を当てた。
「とりあえず、サディさんの叔母が云々は大丈夫だろう思います」
「なんでだ?」
「外れ物はサディさんでは無いようです。外れ物の手記に書いてありました。サディさんをただ利用しているだけだと。ってか、そもそも血縁関係も無かったみたいですね」
「マジでか。んじゃ、あとはサディちゃん次第か」
「……それなんですが」
額を軽く揉みながら、実に言い難そうにターラーが口を開いた。
「大丈夫だと思いますよ」
「何でそう思うんだ?」
変に確信を持っているターラーにクラバスが問う。
が、ターラーは気まずそうにしているだけで何も答えない。
数拍の沈黙が部屋に訪れる。
口を開いたのはクラバスだった。
「お前、もしかして……能力使ったのか!」
「いやだってほら、舞踏会の時点ではサディさんが黒だと睨んでた訳ですし、でも決定的な証拠も無いから殺した後に勘違いだったら大変ですし、だからと言ってこのまま結婚させてしまったらもっと大変そうですし……」
先ほどのクラバスよろしくだんだん尻すぼみになっていくターラーである。
「お前なぁ」
クラバスは盛大にため息をついた。
「んで? なんて言ったんだ?」
「……あなたは僕のことが好きですよね」
「よりにもよって確定形かよ」
僕のことが好きですか、という疑問形より好きですよね、という確定的な言い方のほうが相手に与える影響は大きい。
「んじゃあ、とりあえず明日になったら馬車は待ってもらおう。んで、オレが使いの人間をサディちゃんところに連れて行くようにするから、それまでにお前はサディちゃんの心を縛ってる言葉を解くこと……一人で迷わず行けるか?」
「分かりました。大丈夫です」
さすがに今回ばかりはすまなさそうにターラーは頷いた。迷子云々に関する言葉に対しての文句も無い。
「とりあえず、サディちゃんの家の場所だけ教えてくれないか?」
「ああ、それなら城下町の中心の噴水を――」
事が一件落着するまではもう少し掛かりそうだ。