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「ちょっと待ってください」
ターラーの静止の声が掛かる。
「あら? 命乞いかしら?」
「いえ……ただ、殺される理由に心当たりが無いものですから。なぜ、あなたはわざわざクラバスを操ってまで僕たちを殺そうとしたんです? 僕たちはあなたに注意を向けていなかったのですから、そのままにしておけば手間も掛からずに済んだのでは?」
声は純粋な疑問しか含まれていない。
ターラーから少し離れたエスタームは、少し考え込むように閉じた扇を唇に当てていた。
「まあ、自分が死ぬ理由が分からないと言うのはさぞ無念でしょうし、冥土の土産に教えてあげましょう……あなた方、サンドリヨンを殺そうとしてたでしょう?」
「……盗み聞きしていたのはあなたでしたか」
「盗み聞きなんて人聞きの悪い……ただ、聞こえただけですわ」
「で? どうしてサディさんが死んだら困るんです?」
刃が首筋にあろうとも、ターラーが怯むことは無い。
「ターラー様もご存知でしょう? 殿下はサンドリヨンに夢中ですの。もしあの子が結婚したら、私は未来の王妃の叔母ですわ」
「なるほど……と言うことは、さしずめ小鳥が豆を選別したと言うのも?」
「ええ、私が鳥たちを操って選別させましたわ……どう? これで満足して死ねますかしら?」
勝利を確信して微笑むエスタームに、ターラーも余裕の笑みを返した。舞踏会などでの微笑とは全く異なる、冷徹な笑みだ。
「……ぐだらないですね」
「何ですって?」
ターラーの言葉に、エスタームのこめかみがぴくりと動く。
「全く持ってくだらない……最後に一つ、いいことをお教えしましょう」
エスタームが返答しないに関わらず、ターナーは続けた。
「サディさんは、僕のことが好きですよ。もし、アスクモア君が求婚しても断るでしょうね」
「何を根拠に」
「先ほど、あなたが自分でおっしゃったじゃないですか。僕は教皇様も認める手練れ……その能力は、『他人を思い通りに操る能力』ですよ。勿論、操ると言っても言葉を解さないといけないとか、いろいろと制約はありますけど、耳元で囁いたらサディさんは簡単にころりと落ちましたよ」
「このっ、なんてことを……この汚らわしい獣めが!」
「狼」に対する皮肉を叫びながら、エスタームが閉じた扇でターラーのこめかみをぴしゃりと打つ。そして、クラバスに命令を出す。
「殺してしまいなさ――」
しかし、その命令が終わる前に、ターラーがクラバスの頬を思い切り殴った。しかも拳で。
予想外の衝撃に、クラバスがよろめく。そこに追い討ちを掛けるようにターラーはクラバスの胸板を蹴飛ばして距離を開けると、奪った剣の切っ先をクラバスの喉元に当てた。
「形勢逆転……ですね」
一連の動作をあっけにとられて見ていたエスタームは、ターラーの言葉で気を持ち直した。
「なら……っ」
エスタームのその言葉で通じたのか、クラバスは躊躇うことなく自らの喉に当てられた切っ先を掴んだ。
切っ先はさきほどよりも喉に近づき、皮が切れて血が垂れる。
それは、ターラーの意思ではない。クラバスが自分から切っ先を自分の喉に押し当てているのだ。もちろん、切っ先を持っている手からも血が滴り落ちる。
これならばさすがに焦るだろうとエスタームはターラーを見やったが、当のターラーは、とてもめんどくさそうに盛大なため息をついた。
「クラバス? もういい加減にしてもらえませんか。茶番は飽き飽きです……耳は聞こえてるみたいですから、分かるでしょう? 僕が今から何を言うのか」
ターラーの能力は、「相手が、次にターラーが何を言うかを理解している状態」で最も強く作用する。
「早く元に戻ってロンデミア女史を殺してください」
言葉と同時にターラーが切っ先を外して剣を放ると、それを受け取ったクラバスが踏み込みと共にエスタームの首を横一線に刎ねた。終わりは、あっけなく一瞬だった。
遅れて倒れた胴体の上に、クラバスが剣を投げ捨てる。
「はい、お疲れ様です」
「お疲れ様。って、お前なー」
笑顔で労うターラーに、クラバスが非難の声を浴びせる。
「思いっきり殴りやがって。そもそも殴る必要なんて無いだろうに……痣になったらどうするんだよ。良い男が台無しになるじゃねえか。喉も……あーあ。血が垂れてる」
クラバスのその言葉に、ターラーは笑顔のまま応えた。ただし――
「元はといえば、あなたが操られてるのが悪いんでしょう?」
目は笑っていなかったが。
その笑っていない目に、クラバスは一瞬で屈服した。
「はい、その通りです……ごめんなさい」
「それに、ちゃんと上手く殴ったでしょう?」
「あ、確かに。それは綺麗だった」
殴る箇所を間違えると、頬骨と手の骨が当たって痛さが増すのだ。
「んで……これ、どうする?」
「これ」とは、二人の足元に転がっているエスタームの死体だ。外れ物の死体は所詮「物」である。
「では、陛下の元へいきましょうか」
アスクモアの父、この国の国王のことだ。
「この格好で行くのか? 不敬だと思うんだが」
「元々僕たちはあの人に忠誠も敬意も誓ってませんしね……それに、この格好のほうが説得力があるでしょう」
「……どういう意味だ?」
クラバスがターラーの言葉の意味を理解するのはもうしばらく後のことだった。