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広間を一歩出ると、夜風がターラーの頬を撫でた。どうやら、風の通り道が出来ているらしい。
「クラバスは、具体的にはどこに居るんですか?」
エスタームと並んで歩きながらターラーが尋ねる。
「中庭ですわ。行き方、ご存知だったかしら?」
「いえ、知りませんね。助かります」
と言っても広間から中庭へはそう時間は掛からない。階段を二階分下り、曲がり角を三つほど曲がる。そしてそのまままっすぐ向かえば、やがて左手に中庭が見えてくる。中庭に面した廊下には壁が無く、すぐに中庭へ至ることが出来る。
三つ目の曲がり角を曲がり終えたところで、エスタームが口を開いた。
「ターラー様のその耳飾り、とても綺麗ですわね……特別なものですの?」
「そうですね……特別と言ったら特別かもしれません」
「左耳だけに付けてらっしゃると言うことは、恋人でもいらっしゃいますの?」
耳飾りは古来より二つで一つ。そのため長い間会えない恋人たちの間では、一組の耳飾りの片方ずつお守り代わりに持っていることがある。男性は左耳に、女性は右耳に付けておくのだ。
「……そう、ですね」
答えるターラーの口調は心なしか暗い。が、それはほんの一時のことで元の口調で続けた。
「昔は居たんですけどね。今でも未練がましくつけているんですよ」
「本当に?」
冗談交じりなターラーの言葉に対するエスタームの言葉は、やけに真剣だ。
「本当にそれだけかしら?」
「……どういう意味ですか」
既に中庭は姿を現している。
エスタームはターラーの問いかけを無視し、扇で中庭の中心を示した。
廊下の壁にある燭台に明かりが灯されているとはいえ、辺りは未だ薄暗い。それでも、この時間に中庭に居るのはクラバスくらいだろう。
エスタームの言葉の真意が気になったものの、ターラーはクラバスのもとへ向かった。
ちょっとやそっとのことじゃ風邪を引かない体力馬鹿のクラバスが、気分が悪いと言っているのだ。それならば、きっと余程のことなのだろう。
「クラバス。体調が悪いと聞きましたが、大丈夫ですか?」
普段よりも優しげにターラーが言葉を掛ける。が、クラバスの返事は剣による一撃だった。
「っ!」
なんとか薄皮一枚切らせただけで避けたターラーは、切られた左手の甲に薄く滲む血を舐め取った。
「……なんとまあ、威勢のいい挨拶を返してくれるものですね」
脅すように言っても、クラバスはぴくりとも言葉に反応しない。いつものように悪かった、とか、わざとじゃないんだ、と弁明してくる様子も無い。
「ロンデミア女史、クラバスに何をしましたか」
状況を把握したターラーは、いつの間にかクラバスを挟んだ向こうに移動していたエスタームに尋ねた。
「大したことはしてないのよ。ただ……ほんのちょっとお香を、ね」
「人を操れる匂いのどこが、ほんのちょっとのお香ですか」
「だって、こうでもしないと貴方はうろたえないでしょう? 教皇から耳飾りを貰っている貴方は」
「……どこまで知ってるんですか」
「例えば……その耳飾りは『狼』の手練れに贈られるものだとか」
もったいぶってエスタームが言った言葉に、ターラーは短い嘲笑で返した。
クラバスは始めの一撃以来、ターラーに攻撃を仕掛けてこない。しかし、何かあればすぐに動けるように隙無く剣を構えている。ターラーとエスタームの間に立っているから、隙を見てエスタームの元へ行くのは無理だろう。
「そこまで知っているなら、これからどうなるかぐらいは分かるでしょう? 第一、あなたはさっき教皇様に敬称を付けなかった。それだけでも、十分な不敬罪ですよ……覚悟はおありでしょうね」
ターラーの言葉に、今度はエスタームが笑い返した。
「そんな覚悟はする必要など無くてよ。だって、この国でお二人とも行方不明になるんですもの」
「それはどうでしょうね。『狼』一人一人に特殊な能力があるのはご存知なんでしょう?」
ターラーの言葉にエスタームが付け足す。
「外れ物のような、ね」
ターラーが不快そうに眉根をひそめる。
「だからクラバス様をこちらに引き入れたのですのよ。どのような能力をお持ちかは知りませんけれど、さすがにいくら『狼』とは言え、大切なご友人を傷つけることは出来な――」
「出来ますよ」
エスタームの言葉を遮ってターラーが答えた。
「何を……?」
「だから、クラバスを傷つけるくらい簡単だ、と言ったんです」
表情を変えることなく言い切ったターラーに、エスタームは背筋を悪寒が走るのを感じた。思い出すのはクラバスの言葉。クラバスもターラーも、ターラーがクラバスを傷つけることに疑問を感じていない。
疑念を通り越した気味悪さを押し隠すために、エスタームは持っていた扇で口元を隠した。
「それでは……試してみましょうか」
エスタームのその言葉を合図に、クラバスがターラーに向けて飛び出した。
剣の鍛錬を重ねていたクラバスと、剣を全く持ったことの無いターラー。もとより、ターラーの勝ち目は無い。さらにターラーは広間からそのまま来たので、武器となるものを持っていない。右に左にと必死に避けるが、ところどころ服は裂け、だんだん壁際へと追い詰められていく。
「大きな口を叩いたくせに、反撃はなさらないのかしら」
エスタームの言葉にターナーは答えない。答えるのが面倒なのか、答える余裕が無いのか。
どちらにしてもターナーは無言のまま、あっという間に追い詰められてしまった。背には壁。首筋には剣の切っ先が当てられている。これ以上、ターナーに逃げ場は無い。
「あらあら、あっという間だったわね」
嘲るような口調で話しながら、エスタームも二人の元に近づいてくる。
「なんて無様な格好……これが本当に教皇が認めた手練れなのかしら? 耳飾りが泣いてましてよ」
耳飾りをなぞるエスターム。首筋に切っ先のあるターラーはされるがまま、だ。
「さて、もうそろそろ舞踏会も終わってしまうでしょうから……」
エスタームの扇を閉じる乾いた音がターラーの耳に残る。
「止めを――」