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夜。
城の広間では、昨日までと同じように舞踏会が行われていた。
違うことと言えば、ターラーの傍にクラバスがいないと言うことだ。
「すいませんが、ワインを頂けますか」
そう言って給仕からワイングラスを受け取ったターラーは、壁に背をもたれさせワイングラスに口をつけた。考えているのはクラバスとサンドリヨンのことだ。
クラバスはどこにいるのか、そして、サンドリヨンの始末をどうするか。
結局、サンドリヨンからはたいした情報を得られなかった。どうやら彼女は、自分の力を自覚していないようだった
とりあえず、クラバスのことは後でエスタームに聞くとしても、問題はサンドリヨンだ。
当初の計画では大勢の前で能力を使わせて、そこを捕らえると言うことだったが、サンドリヨンに自覚が無いのであれば能力を使わせることは不可能に近い。
かと言って今夜を逃すと、アスクモアがエスタームに結婚を申し込んでしまうだろう。そうすれば、サンドリヨンに手を出せる可能性は限りなく零になる。
「さて、どうしましょうかね……」
独りごちてターラーが視線を広間の中心に向けると、そこではアスクモアとサンドリヨンが踊っている。
今奏でられている舞踊曲は、いくつかの小節の旋律をただひたすら何度も繰り返す。それは、大勢と踊ることを想定されているからだ。一曲が長ければ一人に対して踊る時間は長くなるが、その分踊れる相手の人数に限りが出てくる。
三日目の今日は、アスクモアが多くの女性と踊れるようにとこの舞踊曲が選ばれたのだろう。
もちろん、アスクモア以外にも男性は居るが、令嬢たちの目当てはもちろん王子であるアスクモアだ。
もうそろそろで曲に区切りが付くなと思いながら、ターラーはワインを一口喉に流し込んだ。
ターラーの予想通り数小節後に区切りを向かえた曲に合わせ、アスクモアとサンドリヨンが終わりの礼をする。
ターラーは次の令嬢を相手に踊りだす。しかし、相手が居ないサンドリヨンは所在無さげに辺りを見回し、ターラーを見つけると安心したようにターラーの傍までやってきた。
「ターラーさん、こんばんは」
「こんばんは、サディさん」
挨拶を交わしたところでサンドリヨンは、不思議そうに小首をかしげた。
「クラバスさんは、今日はいらっしゃらないんですか?」
「ええ……と言っても、僕もクラバスがどこに居るのかは知らないんですけど」
「そうなんですか」
会話が終わり、ターラーとサンドリヨンの間に沈黙が訪れた。
サンドリヨンは他の令嬢と踊っているアスクモアを見つめている。その様子を見て、ターラーはワイングラスをテーブルの上に置くと口を開いた。
「踊りましょうか」
「……え?」
サンドリヨンが聞き返したが、ターラーはその言葉に返事をせずサンドリヨンを広間の中心に連れて行く。
「あの……ターラーさん?」
困惑しているサンドリヨンに、ターラーは向き直るとにこりと微笑む。
「せっかく舞踏会に来たのに、ほどんど踊っていないことに気が付きましてね……もしよろしければご一緒してくれますか?」
優雅な礼付きで誘われれば、サンドリヨンも拒否する訳にもいかない。
「……はい」
サンドリヨンが返事をしたところで、曲は残り数小節だ。それが終わればまた始めに戻る。サンドリヨンとターラーは、丁度曲に区切りがつき、また始めからになった時から踊り始めた。
ターラーの優雅なリードは、サンドリヨンをさらに軽く踊らせる。
曲の四分の一ほど踊り終わったところで、ターラーが口を開いた。
「僕の言葉には不思議な力が宿ってる、って言ったらどう思います?」
「不思議な力……ですか」
「ええ。言ったことが本当になるような、相手にその気にさせてしまうような、そんな力です」
「へえ……なんだか、おもしろそうですね」
「おもしろそう?」
「ええ」
サンドリヨンの答えに、ターラーは思わずくすりと笑った。
「そう答えた貴女の方が、面白い気もしますけどね」
「……そうですか?」
「ええ」
ターラーは続ける。
「まあ、僕はその力のおかげで教皇様に重宝されてるんです。自分で言うのもなんですけどね」
「まだ若いのに……?」
「まあ、ある意味実力主義のようなところがありますからあそこは。……ほら、僕の左耳についている耳飾り。これを教皇様から頂いたんです」
「ターラーさん、ってすごいんですね」
「ええ、なんてったって不思議な力の持ち主ですからね」
ターラーは冗談めいて言っているが、それは全て真実だ。「狼」に所属しているターラーにも、もちろん能力はある。その能力とは、「ターラーがいった行動を相手にさせることが出来る」と言うもの。ターラーがわざわざそんなことを説明しているのはその行程がターラーの能力には必要だからだ。例えサンドリヨンが冗談だと思っていても、「ターラーに何らかの力があるかもしれない」と、心のそこには確かにその考えが植えつけられるからだ。
ターラーは続ける。
「だから……こういうことを言っても本当になったりしちゃうんですよね……」
ターラーはそういうと、サンドリヨンの耳元に顔を近づけて囁いた。
「サディさん、僕のこと好きですよね」
「えっ!」
余りの驚きにサンドリヨンのステップが乱れる。ドレスの裾を踏んでしまいこけそうになったサンドリヨンの腰を、ターラーが素早く引き寄せた。二人の顔の距離が近づく。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です……」
サンドリヨンの顔が心なしか赤い。
再び踊りだすと、少し落ち着いたのかサンドリヨンがターラーを見上げながら口を開く。
「もう、冗談は止めてくださいっ」
精一杯の言葉だったのだろう。言葉は軽く震えていた。しかし、
「冗談なんかじゃありませんよ」
ターラーが微笑みながら答えると、サンドリヨンは顔を赤くして俯いてしまった。どうやら、ターラーの言葉は効果てきめんだったようだ。
「そういえば……」
何気ない風にターラーが呟く。
「舞踏会の最終日ですから、今日アスクモア君はサディさんに結婚の申し込みをするかもしれませんね」
「え?」
サンドリヨンが思わず聞き返したときに、舞踏曲の区切りが付いた。
ターラーがサンドリヨンから一歩離れる。
「踊っていただきありがとうございます、サディさん。さて、テーブルに戻りますか」
ターラーがそう言ってサンドリヨンをエスコートしだしたので、サンドリヨンは先ほどのターラーの言葉について尋ねるタイミングを逃した。
ターラーはサンドリヨンにワイングラスを渡しながら、一つの確信を得ていた。アスクモアはターラーとクラバスの話を聞いていなかった、と。
サンドリヨンがターラーと踊り始めた瞬間、アスクモアは一瞬視線をサンドリヨンに向けた。しかし、相手がターラーだと分かると安心して自分の踊りに集中し始めたのだ。
もし、アスクモアが昨日の晩にターラーとクラバスのバルコニーでの会話を聞いていたとしたら、アスクモアが安心するはずは無い。ターラーはサンドリヨンを殺すと話て居たのだから。
「となると、一体誰が……?」
思わずターラーは口に出して呟いていた。
「ターラーさん、何かおっしゃいました?」
「あ、いえ。何も」
とりあえず笑顔で誤魔化すと、ターラーは自らもワイングラスを手に取りワインを一口含む。と、目の端にきらりと輝くものがあった。
「ガラスの靴ですか」
「ええ、叔母様が準備してくださったんです」
「……あら二人ともこんばんは」
噂をすれば何とやら。声をかけてきたのはエスタームだ。深い藍色のドレスに、黒の扇を携えている。
「こんばんは、叔母様」
「こんばんは、ロンデミア女史」
ターラーとサンドリヨンがワイングラスを置いて挨拶を返すと、エスタームは優雅に扇で自分を扇いだ。
「ターラー様は相変わらずダンスがお上手ですのね」
「見てらしたんですか?」
サンドリヨンが恥ずかしそうに尋ねる。
「ええ。良かったわね、あなたも。上手に踊らせてもらって」
「はい」
頬を軽く染めて頷くサンドリヨンを、エスタームは無言で見つめている。
「そういえば……」
ターラーが思い出したように口を開いた。
「クラバスの居場所を知ってませんか? まだ帰って来ていないんですけど」
「それなら、知ってますわ。私はクラバス様からの伝言を伝えるために来たんですもの。クラバス様は少しご気分が優れないとかで外で少し風に当たってらっしゃるそうです……もしよろしければ、ご案内致しましょうか?」
「そうですね……」
ターラーは顎に軽く手を当てて思案すると、数拍後に口を開いた。
「では、お願いしてもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんですとも」
「じゃあ、サディさん。また後で」
サンドリヨンに一時の別れの挨拶を済ますと、ターラーはエスタームの先導に従って広間を後にした。