1日目 1
前のシリーズは
「狼と狼の物語 −赤−」
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です。
ある森の中を、一台の馬車が進んでいた。
森と言っても国境を跨いで位置しているためか、意外にもこの道を商人や旅人が良く通る。
そのため目立つ石などは取り除いてあり、道の幅も木を切り開いて広くしてある。
しかし整備されているとは言え、やはり地面はむき出し。さすがに馬車が転倒ほどではないが、それでも馬車に振動は伝わる。
ガタガタと揺れるその馬車には、二人の男が乗っていた。
「名前、どうする?」
尋ねたのは、進行方向に背を向けて座っている男。こげ茶色の長い髪の下方を、藍色のリボンでゆるく結んでいる。目は澄んだ琥珀色。服には華美にならない程度に刺繍がなされており、動きやすくも上品な装いになっている。
「そうですね……」
答えたのは、長髪の男に向かい合って座っているもう一人の男。左耳には、細かい装飾が成された耳飾りをつけている。埋め込まれた石は赤い。髪も目も黒く、髪の長さはぎりぎりうなじで束ねられるぐらいだ。この男も長髪の男と同じように上質な布を使った服を着ている。
「僕がターラー=ヴァネッグ、君がクラバス=アレクレーアでどうでしょう?」
耳飾りの男――ターラーが、あごに当てていた手を離し提案した。
「いいけど……よくそんな長い名前が思い浮かぶな」
クラバスは感心した様に言った。
その様子にターラーは微笑する。
「舞踏会に出席しますからね。姓も無いと不思議がられるでしょう?」
「まあ、確かにな。でも、今回は『狼』にあやかってないんだな」
狼、と言うのは彼らが所属している組織の名前である。普段は個人を特定させないために組織の中でも外でも「狼」と名乗るのだが、二人以上のときは一時的に区別を付けるために偽名を名乗るのだ。ターナーは、普段偽名をつけるときは狼にあやかる名前――例えば狼を意味する異国の言葉などを使う。
昔からの付き合いでその事を知っているクラバスは、不思議に思って聞いたのだった。
「今回は人から取らせて頂いたんですよ。前回の任務で死んだ医者と、その弟子のね」
「まだその癖治ってなかったのかよ」
「癖?」
ターラーは首を軽く傾けた。
「気付いてなかったのか?」
ターラーの返答があまりにも意外だったらしく、クラバスが心底驚いて言うと、ターラーは不思議そうな顔で無言のまま頷いた。
「お前は、任務で死んだ奴がいると、次の任務でその名前を使いたがるんだよ」
「へー」
ターラーは心底感心した様子で頷いた。どうやら、本当に意識していなかったようだ。
「へー。ってお前な」
クラバスがあきれていると、いきなり馬車の中に光が差した。
「森を抜けたようですね」
ターラーが窓の外に視線を向けて言った。
窓から見える太陽はかなり傾いていて、もうしばらくすると世界を赤く染めそうだ。
「この調子で間に合うのか?」
クラバスが心配そうに尋ねると、ターラーは外から視線を戻して言った。
「大丈夫でしょう。城はどちらかと言うと僕たちの国寄りですし。日が沈みきるころに着くでしょう」
「そうか。なら大丈夫だな」
クラバスが安心して座席に深く座りなおすと、ターラーは両手を軽く組んで目を閉じた。
話題が止まり手持ちぶさたになったクラバスは、袖の刺繍をなぞり始めた。
幾分かましになった振動が馬車を揺らす。
「そういや」
クラバスの声にターラーが目を開ける。開いた目が、クラバスに疑問を投げかけている。
その視線に答えるように、クラバスは口を開いた。
「新入りとの任務はどうだったんだ?」
「ああ、トートのことですか?」
トートとは、異国の言葉で狼という意味だ。以前ターラーは一度、新入りを組んだことがあった。
「迷ったのか?」
「迷ってませんよ」
ターラーは珍しく即答すると続けた。
「ただ、お互いがお互いに、相手が道を知っていると思ってたんです」
「……迷ったんだな」
クラバスの呟きはターラーには聞こえなかったようで、ターラーは誤魔化すように視線を外に移している。
「せっかく新入りにお前が方向音痴だってこと教えてやったのに」
ターラーは筋金入りの方向音痴なのだが、本人はいつまでたっても認めようとしない。
クラバスがまたもや呆れていると、ターナーがいきなり声を漏らした。
「どうした?」
「ほら、城が見えてきましたよ」
クラバスが視線を外へ向けると、確かに、夕陽を背にして城が浮かび上がっていた。ただ、距離的にはまだ遠いだろう。
城は攻められ難いように丘の上に立てられているので、ある程度遠くから見えるのだ。馬車のいる場所から城へ着くのには、さらにもう少しかかるだろう。
「城では、出来るだけ礼儀正しくしていてくださいね」
ターラーの言葉に、クラバスは首もとのスカーフを整えながら答えた。
「おう。気の良い好青年を演じればいいんだろう」
「ええ、そうです」
ターラーが頷く。
「別に従者役じゃなくていいんだよな?」
確認がてらクラバスが聞く。
「ええ。君は僕に丁寧な口調で話しかけたくないでしょう?」
ターラーが少しからかうような口調で言うと、クラバスは大仰に頷いた。
「もちろんですとも、ご主人様」
ターラーは軽く笑うと続けた。
「それに、今回は向こうの方々も僕たちが教皇様の命で来てることは知っていますし」
「『狼』は?」
「それは知りません」
彼らが所属している部隊、狼は教会組織の中でも特異な力関係に納まっている。狼は教皇直属の部隊で、そこらの司祭などよりもよっぽど権限を持っているのだ。
「じゃあ、もうちょい司祭っぽい格好をしたほうが良かったかな?」
クラバスが自分の胸元に親指を当て、服を示しながら言う。
その質問に、ターラーは別段気にする風も無く、軽く肩を竦めた。
「まあ、別にいいんじゃないですか? ――あ、もうすぐ着きますよ」
進行方向と逆向きに座っているので、本来ならば気付きにくいはずのターラーがそう言うと、クラバスはつられて外に目を向けた。
遠くに見えていた王城は、視界に捉えきれないほどに近くなっている。辺りはいつの間にかもう暗く、空には月が浮かんでいる。
クラバスが月に見とれていると、馬車が止まった。
御者は無言で馬車の扉を開けると、二人が降りたのを確認して、再び無言のまま馬車で走り去った。向かえが来るのは三日後になる。舞踏会は三日間続くので、その間は主催側の取り計らいにより王城に二人は住むのだ。
クラバスは改めて見上げる王城に軽くため息をついた。