第72話 魔将の魔空間
テレビやラジオの中継で、『今日の先発〇〇がここまでノーヒットピッチング』と言うとすぐに初ヒットを打たれたなんてことがある。みんな意識しない、黙っているうちはうまくいくのに触れてしまうと終わっちゃいました、そんな話が。
太刀川みちは負けないのではないか、誰が言い出したかわからないけれど、放っておいてほしかった。連勝記録がもう少し続くかもしれなかったのに。
東京ドームでゴーレムズ相手に1勝2敗、いまいちな流れで神宮に乗りこんだ。その初戦がわたしの登板、予定通り前回から中5での先発だ。
先週のハマスタでミルルトと戦ったときは勝ち越し、ただし火曜から始まる相手の裏ローテを打ち崩せたのが理由で、今日は開幕投手の大川と投げ合う。厳しい連戦になりそうだ。
「神宮のマウンド………やっぱりいいね」
高校野球での最後の試合、あれ以来の神宮のマウンド。今日はいいピッチングができそうだ。
「傾斜や土は気になりませんか?」
「はい、普段通り投げられます」
屋外球場にドーム球場、デーゲームにナイトゲーム……特にこれは苦手だと思う条件はなかった。逆に得意だと言い切れるものもまだ見つからない。自分の武器もこれからじっくりと手探りで探していく必要がある。
(もちろん気をつけるのはホームラン………)
わたしも去年は神宮でホームランを何本も打った。ハマスタ、東京ドーム、そしてこの神宮はホームランがとても出やすい。一回のコントロールミスが敗戦に繋がる。
「ホームラン狙いで大振りになるバッターもいるからボール球も使いたいところだけど……」
「……それはおそらく必要ない。ミルルト打線で選球眼の悪いバッターは離脱している。全体がスランプ気味だから強気に押すべき」
何でも振ってくる夕子や川又はケガでいない。ホームランバッターの川田や村下の打率は落ちているけどフォアボールはよく選ぶ。確かにカウントを悪くしての自滅が怖い。
「うん、自信を持って勝負しよう」
最初の2イニングで8点取られた前回の失敗を教訓に、相手のレベルの高さを認めつつもしっかりストライクゾーンに投げ切る。それも直球だけで。
『か、空振り三振!太刀川、最高の立ち上がり!山本、赤木、川田と全球ストレートで三振に!』
今年最高のピッチングができる予感がした。その後三回まで両チーム出塁もなしという投手戦の空気もよかった。試合が動いたのは四回表、先頭打者の上里さんの打球だった。
『打った!打球はライトへのライナー!落ちるか捕れるか微妙なところ、ガイエスがスライディングキャッチだ―――っ!!』
頭からではなく、足から滑って腕を伸ばしたガイエス。ところがグラブは空を切り、ボールは後方へ………。
『あーーっ!!最悪!!後逸だ!上里はすでに二塁到達!山本が大急ぎでボールを拾いに走ります!』
「三塁……いや、ホーム行けるわ、ホーム!」
ミルルトのセンター、山本コウは速い。ガイエスが捕れなかった打球に追いついたとき、上里さんも俊足だけどまだ三塁の手前だった。だんだんベースランニングのスピードも落ちていた。
「せっかくのランニングホームランのチャンス!減速しないで回れ、回れ―――っ!!」
「止められても行きますよっ!!はあ、はあ……」
コーチのゴーサインに上里さんも三塁ベースを蹴ってホームへ向かう。でもベース一周ずっと全力疾走は難しい。ガクッと失速したとき、ミルルトの中継プレーは完璧でボールはすでにセカンド川田の手を離れていた。
『深い位置からのバックホーム!ワンバウンドでキャッチャー宇野が捕る!上里にタッチして………アウト、アウトです!』
ランニングホームランを欲張って暴走の末、憤死。ヘッドスライディングのまましばらく上里さんは動けなかった。まあ打球もかなり深くまでいったし、相手の守備に一つでも小さなミスがあればセーフだった。要するに運がなかった。
「山本も宇野も普段は下手くそなのにどうして今だけ完璧に……」
「…………」
わたしは狂スポの記事を思い出していた。ミルルトの女魔将ガイエス、彼女は空間を操ることができると。四球どころか死球までたくさんゲットして、打率はリーグ最下位なのに出塁率はリーグ4位。空間を歪ませているせいだと主張する狂スポのお笑い記事を。
(まさかいまの守備もガイエスの罠………?)
シングルヒットでもノーアウト一塁、そこから石河さんが送れば先制点の確率は高かった。やっと調子が出てきたロメック、そして好調の紀子さんならどっちかは打てる。それがランナーなしになってしまった。これも魔空間の………。
(あはは、狂スポに毒されすぎだな)
結局この回、そして次の回も無得点だった。わたしも四回に初ヒットを打たれたけど併殺ど凌いだから、お互い三人で攻撃が終わる展開が続いていた。五回裏もあっさりツーアウトまでいった。
後で聞いた話だと、ちょうどその場面でテレビの解説が口にしたらしい。今日はもうこのまま何事もなく九回まで進みそうですね、と。そんなことを言うからあの事件が起きたんだ、と怒るのは八つ当たりかもしれない。
『6番のガイエス!先程は見逃し三振でした』
フォアボールが多いのはガイエスが助っ人にしては珍しく球をよく見るから、デッドボールが多いのは避けるのがうまくないだけ。ストライク先行でいけば問題ない相手だ。
「うおお〜〜〜〜〜っ!!」
「ムッ………!」
2ストライクから三球勝負を狙った全力の直球。ホームランバッターのガイエスを完全に力負けさせた。打球はふらふらとショートの後方に飛んでいった。
『平凡な高いショートフライ!大和が追うが意外と伸びるか?しかし名手大和なら…………あ――――――っ!危ないっ!』
風に流されたのか、ショートフライにしては深かった。でも最初からレフトが捕ろうとする打球じゃないし、大和さんなら難しいフライでも追いつけば捕れる……そう思っていたら、レフトの佐々野さんが自分の守備位置まできた打球に焦って猛ダッシュしていた。大変な事態になった。
「うわっ!」 「あぐっ………」
『衝突だ!ショートの大和とレフトの佐々野が衝突!二人とも倒れたまま動かない!打球は無人のレフト側ファールゾーンへとコロコロ転がっていく!』
これはまずい、と青ざめながら倒れる二人を見ていると、わたしの視線の先をガイエスが凄いスピードで駆けていった。もう二塁と三塁の間まで……!
ガイエスは俊足が売りの選手じゃない。でも加速力があった。上里さんよりも二塁到達は遅かった、でもそこから先はガイエスのほうが速かった。あっという間に三塁を蹴ったとき、ようやく上里さんが打球を拾っていた。
「ダメだ、もう………」
『ガイエス、ホームイ―――ン!!いまボールが木谷のもとに送られましたが全く間に合いませんでした!記録はホームラン!ガイエスのランニングホームランです!』
1試合でランニングホームラン未遂と本物のランニングホームランが出る……こんなのプロ野球の試合ではありえないはずだ。
(風のせいじゃない、やっぱりガイエスの魔空間だったんだ………!)
大和さんは起き上がってプレー続行できたけど、勢いよくぶつかっていった佐々野さんのほうが深刻だった。肩を脱臼していた。もちろん交代、明日には抹消になるだろう。
『ファーストの村下、自らベースを踏んでアウト!試合終了!1ー0!ブラックスターズの太刀川、プロ初黒星はまさかの形でした!あのランニングホームランがこの試合唯一の得点、佐々野の負傷を含め、ブラックスターズは厳しい敗戦になりました』
わたしは8イニング投げた。つまり完投負け。打つ方でノーヒットだったのが悔やしい。そしてこの負けはチームにとっても悪い流れに入りそうな内容……重い足どりでグラウンドを後にした。
「魔空間対策なんてないもんなぁ〜………」
「………?魔空間………とやらの意味はわからない。ただあのプレーはほぼエラーのようなもの。いくら追い方がまっすぐでなかったとはいえ最初から大和は手を上げていたのだから佐々野は任せるべきだった。みち、あなたは負けていない!」
負けていない!って言われても現実としてわたしもチームも1敗がついちゃったよ。確かに負けた気はしない試合だったけど。
「ま、いつか負けるんだから早めにそうなってよかったと思うしかないよ。10連勝くらいしてから負けるとそこからなかなか勝てなくなるかもしれなかったからね」
「………ええ。明日からまた出直しましょう。シーズンが終わるときに最も多く勝っていればいい」
後に引きずりそうな敗戦はすぐに気持ちを切り替えないと大連敗の入口だ。糧とするところは糧として、忘れたいところは気にせず忘れちゃうのが一番。そう言っておかないとみやこの怒りが爆発しそうで怖かった。打てないくせに守りでも荷物になる無能ども、いつ皆の前でそう言い出すかわかったものじゃない。魔空間のせいにしておいたほうがいいのかもしれない。
明日には狂スポが『ラッキー任せの太刀川、化けの皮が剥がれる惨敗』だの『春の珍事は終わった』だの書くんだろうな。いまから中身を予想してやろう。『借金を作らないうちに大人しく敗戦処理に戻ったほうが身のためのような気がする』……締めの一文はこんな感じかな?あとは…………。
そして夜が明け、狂スポの野球面を見ると、やっぱり賀瀬さんの過激な見出しが目に入った。でもその攻撃先はわたしじゃなかった。
『太刀川を見殺しの横浜、醜態だらけの無様な姿』
チームに対して喧嘩を売っていた。中身を読むと、
『そもそもこのゲームのみならず、太刀川に依存しているチーム状態は貧相の一言に尽きる。先発投手の完投数増を誓った新浦監督だが、完投どころかまともに働いているのは太刀川だけ、あとの先発投手は顔と名前がそれぞれ違うだけで投球内容は全員大差なく、誰が投げても見るに耐えない惨めな結果だ』
「………………」
『守備走塁を重視するという方針ながら結局チームから長打が失われただけで小技がうまくなったわけでもない。基本は太刀川と木谷、ときどき奈村紀子が打つくらいであとは試合の大勢が決してから打ち出すバッターばかり、打率詐欺の女が並ぶチームになっている』
狂スポは相手にしない、というのがチームの方針だけどあまり悪く書くと球場出禁になっちゃうよ。大丈夫かなあ。
『拙攻拙守でチームは波に乗り切れず、今年も必死に3位を狙うのが限界か。太刀川を無駄遣いせず、久々の大物を潰さないようにしてもらいたいものだ』
記事を読みながらみやこは何度も頷いていた。共感できる部分が多かったからだろう。またしてもわたしが心配していた方向に進んでいきそうで怖いな。
「フフ……そのうちチームはよくなる………攻撃力がダウンしても守備さえ安定すればみちの試合は勝てる。残りの投手はどうでもいいとして……やはり守りが一番大事かしら、現状は」
打、走、投、守……そのなかでみやこは守備を重視した。数字だけならいまのチームは打撃が優秀だけど、狂スポの指摘通り大量点を奪って楽勝する試合と1点が遠く惜敗する試合を繰り返していて効率が悪い。ならば多少攻撃力は落ちても余計な失点を防げるメンバーで固めたほうがいいというわけだ。
「みちがホームランを打って完封すれば勝てる、皆がそう思うようになる日は近づいている。横浜の、そして日本の中心にあなたが立つ瞬間はもう目前に迫った」
敗北の翌日だというのにみやこは少しも下向きになっていない。わたしも前だけを見て今日こそ勝つぞ。
『ああ――――――っ!?センター山本、目測を誤って捕れません!センターフライのはずが記録はツーベース!太刀川、昨日の不運から一転、ラッキーなヒットです!山本は不思議そうに首を傾げるばかり……』
魔空間の誤作動かな?まあこれもその都度自分のいいように考えよう。ただの幸運不運か、ガイエスの力か……。謎を研究するだけ時間の無駄だから。
アーバンシー・ガイエス (ミルルト外野手)
カナダ出身のベテラン助っ人。右投左打。低打率高出塁率、加速してからは俊足、謎のネット人気………何より人柄がファンにも選手にも裏方にも愛される。みっちゃんはやや苦手意識を持っている。
元になった選手……魔空間を操るあの魔将。今回の話の元ネタは2007年の古田兼任監督の引退試合でのランニングホームラン、2008年の対日ハムのオープン戦でのランニングホームラン未遂(打者は後に横浜移籍の森本)。面白エピソードはそれ以外にも多々ある。
当時のヤクルトは助っ人の発掘がうまく、彼クラスの野手がゴロゴロ来日した。いつからか投手も野手も12球団でぶっちぎりの最低クラスばかりを呼ぶようになってしまった。
山本コウ (外苑ミルルトペンギンズ外野手)
足の速い若手外野手。左投左打。内野安打が多いが走塁技術そのものはいまいち。守備でもたまにやらかす。
元になった選手……名字が山本だったらまさに「走れコウタロー」だったあの選手。追いつけ追い越せ引っこ抜け。




