第46話 優勝決定送球
安倍のファールフライを追ったわたしはとにかく捕るのに全力だった。ボールがミットに入って初めてフェンスに激突するとわかった。激しい音や頭への衝撃と同時に意識がなくなった。
「うわ―――――っ」 「きゃあああ」
目の前でわたしの激突を目にしたファンたちの悲鳴が響き、球場からも一瞬歓声が消えたようだ。首の骨が折れて死んだんじゃないかと思ったファンもいたとか。それでもボールは落とさなかった。一塁塁審が駆け寄ってきてそれを確認した。
「ア、アウト!」
これで2アウトだけどそんなことを言っている場合じゃないだろうという空気だったそうだ。それでも常勝チームは冷静だった。まだプレー中で、タイムはかかっていない。わたしがこのまま起き上がらなければタッチアップのチャンスだ。
『ファーストへのファールフライ………ですが太刀川は倒れています。頭部、首、それに左手首も……あ―――っ!ゴーレムズの二人のランナー、それぞれスタートしている!』
普通ならどれだけ足が速くても絶対にタッチアップなんてしない浅い内野フライだ。わたしがこのまま気絶して周りの野手たちもわたしを心配してバックホームを忘れる、それがゴーレムズの理想のシナリオだった。うまくいけば一塁ランナーの本塁生還すらあるかもしれない、そこまで狙っていた。
敵の思惑通りになりかけていたそのときだった。わたしを呼ぶ声が聞こえた。このミットに投げこんできて、と。
「………みやこ!」
わたしはすぐに立ち上がる。目がチカチカしていて頭もフラフラ、だけどみやこの姿だけはしっかり見えていた。実はこの数秒間、いま自分が一塁手でランナーは一、三塁という状況も頭から飛んでいた。ただ、みやこのミットにストライク投球をすればいい、それだけを思って投げた。
「うおお〜〜〜〜〜〜っ!!」
試合後、ゴーレムズの原田監督はこのプレーを振り返る。記者たちの前で何も隠さずに語った。
「私は失敗したと思ったよ。采配ミスを犯したと」
「采配ミス?本塁突入ですか?」
「違うね、あれはランナーとコーチの判断だ。それに失敗じゃない。ただ、三塁ランナーが若い舛田で一塁ランナーが経験豊かな鈴井だっただろう?逆だったな、と。舛田のほうが速いけどまずは同点にしなきゃいけない、ワンアウトから鶴井が塁に出たとき先に鈴井を代走に送るべきだったとね」
原田監督は独特な表現や話し方をすることがある。遠回しに選手や審判を批判しているだけのときもあるけど、この日は違った。わからない、という顔の記者たちに対し原田監督は続けた。
「ほら、太刀川がフェンスに激突した瞬間だ。球場が凍りついただろう、重傷は確実、死んだかもしれないと。舛田もそれを見ていたからスタートが僅かに遅れたんだ。でも鈴井はすぐにスタートした。太刀川が死のうが先の塁へ向かう、チームの勝利のほうが大事だと。鈴井は立派だよ」
「だから鈴井が三塁ランナーだったら、と?」
「そう。結局太刀川はすぐに起きてバックホームしてきた。ほんの少し遅れたのが命取りになるかもと思ったから采配ミスだったと悔やんだんだ、そのときはね」
そのときは、つまりいまは違うって意味だ。采配ミスじゃなかった、原田監督はそう言い切った。
「だって……全然惜しくなかったじゃない。誰がランナーでどんないいスタートをしてもセーフになるわけがないでしょう。後悔しなくて済んだよ」
わたしの送球は一直線でみやこの構えた位置に寸分の狂いなく届いた。みやこはすぐにタッチにいくかと思ったけど、ゆっくりと落ちついた動きをしていた。ランナーの舛田がまだ走っていて、ようやくホームベースにヘッドスライディングしようというところだった。余裕を残してアウトにできた。
「アウト!」
ゲームセットだというのに審判のリアクションも薄かった。舛田はホームにうつ伏せのままだ。わたしの脳がようやくまともに働きだしたのもこのへんだった。
『し、試合終了………!この瞬間………外苑ミルルトペンギンズのリーグ優勝が決定しました。黄金軍は最終戦を落とし……2位で全日程終了です!ベンチの選手たちもいまだ動けません…………』
よかった、勝ったんだ。ほっと一息つくとその場に座った。せっかくの決勝ホームランだったのに相手の最終戦だからヒーローインタビューはない。またお預けだな、とぼんやり考えていると、仲間たちが集まってきた。
「みっちゃん!しっかり!いま担架を呼ぶから」
「あんたのおかげで初セーブ……ありがとう!」
石河さん、それに砂川やセト、近いところにいる人たちから順番にやってきた。心配させるといけないからわたしはすぐに立った。少しふらつくけど歩けそうだ。
「急に立ったらいけないわ。担架を待ったほうが」
「担架?大丈夫ですよ。ほら、わたしはケガしないんで。あんなぶつかり方して無事なのはわたしくらいですよ、ははは」
「確かに………でも脳はデリケートだから診察はしたほうがいいと思う。みっちゃんが断ったとしても球団が強制的に連れていくから大人しく診てもらいなさい」
こんなとき真っ先に来ると思っていたみやこは一番最後にゆっくりとわたしのもとに歩いてきた。そしてわたしの手を取る。
「さあ、行きましょう。素晴らしいプレーを見せてもらった。みちがこんなくだらないところで負傷するなんてありえないのだから私は最初からそれほど悲観していなかった」
「さすがみやこ。わたしのことをよく知ってる」
みやこに手を引かれているとはいえ自分の足でベンチに歩いていく。帽子やミットは石河さんたちに預けた。ラメセス監督たちの拍手に迎えられ、そのまま医務室に直行した。
「………心配させてごめん。二度とあんなプレーはしないよ」
「…………ちゃんと約束してくれないといや」
周りに人がいなくなったとき、ぽろぽろと涙を流して震えるみやこに謝り、抱きしめた。さっきは人前だからどうにか冷静を装っていただけみたいで、すぐにわたしのところに来なかったのも、最悪の事態が頭を過ったせいで、怖くてしばらくその場から動けなかったからだった。
「あれだけの送球ができたんだから大丈夫だなって思わなかったの?自分でも驚くほどいいバックホームだった」
「最後の力を振り絞って投げただけかもしれなかった。そのまま前のめりに倒れてしまうんじゃないかと………」
わたしはケガとは無縁だから経験はないけど、確かに打球が利き腕を直撃した投手が一塁に投げて、それから痛がる。アキレス腱を断裂した打者がその場では止まらずにベースに到達してから倒れこむ。プレーが終わるまではなんとか体が動くらしい。
「目の前のプレーに全身全霊、それがわたしの武器だと思っていたけどちゃんと周りを見て動かなきゃだめだね。フェンスだからよかったけどセカンドやライトと激突していたら酷いことになった。わたしはよくても相手が」
「相手なんてどうでもいい、あなたが無事なら!だからフェンスだったらいいなんて考えないで!」
「………そうだね。わたしだけの問題じゃなかった。もうみやことは他人じゃないんだから………」
「ええ、私たちは結ばれた。これから幸せを得ようとしているのにみちがいなくなったら私は生きていけない」
よくよく考えたら背の低いわたしがみやこを抱いても全然カッコよくないな。必死で背伸びするかみやこにしゃがんでもらわないと厳しいからなぁ。誰に見せるわけでもないからいいんだけど、身長伸ばしたいな。
こんなことを思う余裕があるくらいだからやっぱり異常なし、翌日の試合にも出場可能という診断書がもらえた。
敗軍の将、原田監督は試合後インタビューの締めくくりにこう言っていた。わたしも後でニュースで見た。
「しかし……あの送球は敵ながらあっ晴れだった。オールスターで投手をやってくれたし肩の強さは知っていたんだけど、まさかあんな美しい送球が見られるなんてね。彼女が黄金軍の一員だったらきっと………いや、それは言わないでおきましょう」
その日の夜に、クライマックスシリーズの結果がどうであれ今シーズン限りで原田監督が退任するという発表があった。
『バンザ~イ!バンザ~イ!バンザ~イ!』
ミルルトの胴上げも夜のニュースでちゃんと見た。その後のビールかけまで歓喜の様子が映し出され、ゴーレムズに勝たれるよりはプロに入るまでファンだった選手たちが喜んでいるほうがずっといいけれど、来年はわたしたちがあの瞬間を目指さなきゃいけないと思わされた。
『あはは、ちょっと!ユニフォームの中に直でビール入れんのやめてくださいよ!下着までべちょべちょ………』
『楽しんでる〜〜?イェ―――…………』
さすがに明日の試合までには元通りになっているはずだ。ナイターだから酔いも抜けている。相手がべろんべろんになっているところを一方的に攻めて楽勝、とはいかない。
ただし優勝が決まったから何がなんでも勝ちにくるようなことはなくなった。調整に重きが置かれる。先発の大川も三回くらい投げたら代わって他の先発投手がリリーフ登板、そんな継投になる。相手もわたしたちも余計なプレッシャーなしに戦える。
「ペンギンズの優勝が今日のうちに決まってほんとうによかった理由………わたしはこれが一番大きいかな」
勝敗にこだわらなくていい、つまり引退試合ができる。わたしが大ファンだった投手、『木更津昌子』さんの引退セレモニーが明日、ミルルトの今季最終戦で行われるからだ。一軍選手登録は以前からしてある状態だけど優勝がかかった大事な試合に引退する投手を登板させるのは厳しい。
「何度も手術をしながら這い上がったエースの現役最後の姿……しっかり見届けよう」
不屈の精神で復活を繰り返した木更津さんもとうとう限界だと引退を決断した。ここ数年二桁勝利はなかったし今年は未勝利だった。みやこのプロ初ホームランも木更津さんが相手で、甘いストレートを簡単に打ち返していた。
「引退試合か………」
去年までのわたしはシーズン最終盤は二軍だったから、二軍で引退試合や戦力外通告を受けることが確実な選手の最後の試合に出場して見送ったこともある。バッターだったら打ちやすい球を投げてあげて、ピッチャーだったら相手はわざと凡退してあげる。一軍でもチームの順位や個人タイトルがもうどうでもいい場合はその『お約束』がだいたい守られる。
「一軍で引退試合とセレモニーができる選手はほんの一握り……わたしはまだまだ先の話にしたいからあまり考えないほうがいいな」
もし二軍に落ちていたら自分でチケットを買ってでも見に行こうと決めていた木更津さんの最後の舞台。幼い日の思い出やいろんな感情が邪魔して珍しくわたしはあまり眠れなかった。
舛田、鈴井(東京ゴールデンゴーレムズ野手)
ゴーレムズの足が速い野手たち。他のチームならレギュラーだが、こういう選手を代走の切り札にできるチームは層が厚く、接戦を物にできる。
元になった選手たち……巨人の近年の足のスペシャリストたち。片方は公式戦登板でも有名になり、もう片方は引退後コーチになったが………。




