第390話 伝説を超える新記録
『フルカウント!しかし球が見えている的場のほうが勢いは上!オールスターゲームでの9連続奪三振という偉業に挑む太刀川と木谷のバッテリーは苦しい!』
記録を止めることができればなんでもいい。死球や打撃妨害でも…最初はそんな感じだった。でもいまの的場は違う。打って勝つ、その思いが伝わってくる。
(50……いや、60球くらいか?リリーフピッチャーのつもりでそれだけ投げたらいくら太刀川みちでもバテる。本来なら私なんか簡単に打ち取れていただろうに、まだ勝負は続いている!)
この驚異の粘りがなければスタミナが切れる前に終えられた。根性には自信があるけど、的場もすごい。わたしと同じでこれが最大の武器なのかもしれない。
(もう慣れた!ストレートでもカーブでもスライダーでもわかる!次は絶対ストライクを投げてくる、どれが来ても打ち返してみせる!)
みやこのサインは意外すぎるものだった。でも不安や疑いはない。二人で勝利と笑顔を分かち合う未来を確信していた。
『今年のオールスター、まだ初戦の三回表ではありますが最高の山場となりました!興奮のクライマックス、勝つのはどっちだ!』
一生に一度あるかどうかの挑戦。さあ行こう。
『日本のエース、太刀川みち!全国のプロ野球ファンの期待を背に……投げたっ!』
(全身全霊のストレートじゃない!これは……)
残るは普通のストレート、カーブ、スライダー。完璧に見極めることができると的場は強気になっていたし、事実そうだったはずだ。ところが彼女にとって想定外のことが起きた。
(わ……わからない!とにかく振るしかない!)
一番大事なときに読みが狂ったとなると焦る。フルカウントだから万が一のことを考えればボール球はありえない、その常識だけを頼りにスイングしてきた。みやこの作戦にまんまと引っかかった。
「お、落ちた!?」
『空振り!空振り三振っ!空振り三振っ!』
みやこのサインはまさかのフォーク。投手がいつもなら投げない球を投げて皆を楽しませることがオールスターの舞台ならある。でもいまは全力で三振を奪うためにこの球を選んだ。
一昨年の日本シリーズ最終戦でどうにか窮地を凌ぐために投げたのがこのフォークだった。あのときは偽暴投で三塁走者を誘い出してアウトにするのが目的だった。誰もこんな球を警戒しないどころか頭の片隅にもない。見事に出し抜いた!そう心のなかで勝ち誇っていたらわたしにも全く予期していないことが襲ってきた。
「あっ……ああっ!?」
『木谷が逸らしている!というよりよく見たら大暴投!こんな球捕れるはずがありません!』
普段ほとんど練習していない球種で、しかもわたしは疲れのせいでコントロールが乱れている。こうなっても無理はない。
「おおおおおっ!」
『送球は来ない、的場が一塁を駆け抜けた!これは振り逃げ!とんでもないボールを空振りしてしまった的場でしたが、どうにか出塁できました!』
冷静に見送られたら終わっていた。わたしを倒してブレークのきっかけにするんだと熱くなりすぎていたようだ。
「どっちが勝ったのかわかんないけど……」
「三振は三振!つまり………」
『9連続三振達成!次々と球史に名を刻んでいく太刀川みちが、オールスターでも永遠に残る快挙達成!史上二人目となります!』
とても大きな拍手と大歓声が祝福してくれた。でもみやこや守備陣がわたしのもとに集まって大喜び、とはならない。暴投のせいでまだ2アウト、パ・リーグの攻撃は続いている。
「終わらないか……いったん呼吸を整えよう」
打順は1番に戻ってフェニックスの東、のはずだった。
「………ん?」
『あっと、渡部監督が出てきてピンチヒッターを告げた!甲斐田を打席に立たせず交代させた直後、今度は自分のチームのレギュラーにも非情な采配!東が下がります!』
大記録を食らうか阻止するかの場面で打力の低い甲斐田を下げるのはわかる。でもここで代える理由はわからない。ベンチから出てきた打者を見て、ますます理解できなくなった。
『バッターは……星野ですか!?同じフェニックスのピッチャー星野巻花!野手顔負けのバッティングを誇るのは誰もが認めるところですが、まさかまさか……』
渡部監督の狙いは何か。それをすぐに、しかも完全に言い当てることができたのはほんの一部の賢い人だけだった。そのうちの一人みやこが、タイムを取ってマウンドでわたしに説明してくれた。
「なるほど……オールパシフィックの監督としての特権を最大限に行使している。渡部直枝、なかなか知恵がある」
「………どういうこと?」
「まずは東を下げた、あれは懲罰交代であり反省を促している。先頭の東がホームランしか狙わない大振りを繰り返したせいで後続も真似をした、その結果がこれだと教えている。長距離バッターでもないのに調子に乗ると大惨事を招く、昔から何度も言われていること」
東は前半戦最後の連戦の初戦で2本ホームランを打って、その後は雑な打撃で出塁0という状況でオールスターを迎えていたと試合後に知った。今日だけの問題ではなかった。
「そして星野を代打に選んだ、これが実に狡猾。確かに打力はそこそこある、すでに決着はついているとはいえ昨年の日本シリーズでの戦いを皆が覚えている。代打起用の正当な理由が二つもある」
最初は驚いていたスタンドの観客たちもすぐに納得して声援を送っている。あの激闘の再現、どうして起用したのかと説明を求められてもそれだけでじゅうぶんだ。
「しかし真実は星野を守るため。専属捕手の神音が落選したせいで別のチームのキャッチャーと組まされる、そのせいで調子を落とすのではないか、弱点が見つかるのではないかと彼女たちはずっと危惧していた」
「あっ!そうか………バッターとして使ってそのまま下げちゃえば!」
「辞退のペナルティはなく、出場の義務は果たした。あとはいくらでも言い訳できる。肩の違和感、体調不良……」
何年か前に代走で出場した投手もいた。その選手はほんとうに投げられるコンディションじゃなかったから仕方ない。でも今回の星野は仮病だ。そこまでするくらいなら神音も監督推薦か辞退者の補充で呼べばよかったのにと思ったけど、さすがにあの成績では厳しかったか。
「小物どもが何を考えていようが関係ない。私たちのすべきことに変わりはない」
「あと一つアウトを取る!集中しよう。三振しかだめっていうプレッシャーから解放されて、最後はいつも通り投げられるね」
『バッターは代打の星野!一塁に振り逃げで出塁した的場がいますが、2アウトで点差も開いているからか太刀川はランナー無視!第1球、投げた!』
「うおおおおおお―――――――――っ!!」
「………!」
初球から全力投球はないと思ったか、星野はど真ん中に手が出なかった感じだ。打つ気そのものはあるようだ。
『見逃し、ストライク!9連続を成し遂げた太刀川、肩の荷が下りたか体のキレが戻ってきました!なおランナーは投球の間に進塁しています』
2球目、みやこのサインはいまの球に続いて真ん中に本気のストレート。星野なら今度は反応するだろう。
(どっちに転んでもここで終わりか……)
大記録はもう達成した。でも予想以上に球数が増えた。もし星野に出塁を許してもこのイニングの終わりを待たずに交代するとベンチから合図が出た。
「ぬおおおおおお―――――――――っ!!」
だから何も気にせず全力で投げられる。打たれてもいいとは考えないけど、三振以外絶対に許されないという状況と比べたら気楽なものだ。
「っ!?」
星野の鋭いスイング。打球は目で追えないほど速かった。
「うわっ!」 「危なっ!!」
『ファール!パ・リーグのベンチに入りましたが全員無事です!』
このオールスターに選ばれた両リーグの野手たちのなかに入れてもベスト10は確実、もしかするとベスト5もありえる星野の打撃センス。そんなに練習もしていないだろうに大したものだ。それでも2球で追いこんで圧倒的有利なのはこっちだ。
『ツーストライク!こうなるとバッテリーは得意の三球勝負か!星野もそれはよくわかっています!』
「………」
天津さんと的場は最後の球を読み間違えた。みやこが相手の裏をかいて三振を奪った。でもこの星野に対しては配球も何もない。わたしと星野のぶつかり合いだ。
(体力も記録も考えなくていいなら話は単純!絶対に勝つ、それだけでいい!)
『勝負が決まる3球目、投げたっ!!』
「うおおおおおお―――――――――っ!!」
「きた―――――――――っ!!」
今年のオールスターは記録にも記憶にも残る、忘れられないものになりそうだ。その最後を締めくくるにふさわしい、今日一番のボールがみやこのミットに音を立てて吸いこまれた。
「ストライク!バッターアウトッ!」
『空振り三振!やはり全球ストレートでした!星野が悔しそうにベンチに帰るのを尻目に、セ・リーグナインはようやく大記録達成をマウンドで祝います!』
暴投のせいで余計な対戦を終えてからの歓喜の輪。だから締まらない空気になるかなと苦笑いしていたらまるで違った。
「やはりあなたは凄い!偉大な大投手と並んだだけでなく軽々と超えてしまうなんて!」
「……え?」
「今度の記録は永遠に更新されない。あと何百年、何千年プロ野球が続こうと……二度とないと断言できる」
わたしはまだわかっていなかった。でもみやこは最初から『これ』を狙っていたようで、ようやく重圧から解放された様子だった。
「史上初……オールスターゲームでの一試合10連続奪三振!唯一無二の新記録!」
「…………あっ!!」
振り逃げが絡んだことによる新記録。確かに並ぶ者も超えていく者も現れないだろう。
本拠地開催あるで