第3話 珍プレー界の新鋭
『それでは今週の珍プレーのコーナーです。金曜日に行われた横浜対東京戦での出来事のようです。スコアは9-1、しかも九回裏で試合の大勢は決したところで5番の長崎がフォアボールを選び、点差もあるので代走が送られたのですが…』
日曜日の夜、わたしたちのチームの独身寮、ブラックスターズというチーム名から名づけられた『黒星寮』。その食堂のテレビにはスポーツニュースが映っていた。皆がニヤニヤしながらわたしを見ている。この後のことをすでに知っているからだ。
『代走で出てきたのは控え捕手の太刀川みち選手、その2球目でした。なかなか珍しい光景に、大差が開いた展開で弛緩した空気の両ベンチから笑いが起こりました』
8点差を追う九回、2アウトからランナーが一人出たところで何も起きやしない。むしろ何かが起こったら困る。こんなどうでもいい場面で万が一にもレギュラーに怪我されたら大変だ。そういうわけで代走としてわたしが一塁ランナーになった。
(…こういうときは走ってもいいんだよね。相手も無理して投げてこないから)
ここでわたしが二塁に向かっても捕手は投げない。投げる必要がないからだ。どうせあと1アウト取れば試合は終わる。悪送球や無駄な接触プレーの危険を冒す必要はない。わたしの進塁を見過ごすだろう。ただしこの場合わたしに盗塁の記録はつかない。捕手に盗塁を阻止する意思がないとみなされるとそうなる。
『ピッチャー宮田、投げました!一塁ランナーがスタートしてます…』
ところが相手にとって想定外だったのは、わたしの足が遅すぎたということだ。短い足を必死にシャカシャカ動かす姿は我ながら情けなかった。
(あれ…?余裕で刺せたじゃん、こんなの!今からでも……!)
一度は捕球して止まりかけたけれどもう一度動いて、慌てて二塁送球。わたしは万が一の時のために滑り込んでおいたのがよかった。間一髪セーフになった。
『これはセーフです!あっと…これは盗塁になるようですね』
アウトにしようとしたから盗塁が成立、これがわたしのプロ初盗塁だった。最終回8点差ゲームで盗塁が記録された世にも珍しいシーンを演出した。
『ちなみに太刀川選手、この番組を毎週見てくださっている視聴者の方ならすでに有名人のはずです。なにしろ三週連続このコーナーに登場しています!』
『でもまだヒットすら打ってないんでしょ、この子。評価に困るよね』
最初は押し出し死球サヨナラ、その次は先週のヒュウズと組んだときの変な捕り方、そしてお笑い盗塁と、どうもおかしな方向で目立ってしまっているらしい。
「面白いっていうよりかわいいのに…わかってないわね。ぷにぷに~」
「うへぇ~…やめてくださひ~~~……」
いつの間にか先輩たちに囲まれてほっぺたをむにむにされた。もう夕飯のカレーは食べ終わっていたけれどこのむにむに攻めにわたしの頬はぷるぷると揺れ続けた。
「………」
わたしを中心とした輪を遠くから冷ややかな目で一瞥して食堂を去っていく、そのチームメイトこそわたしと同い年、そしてポジションも同じ捕手、昨年のドラフト1位の木谷さんだ。どうしようもないものを見ている顔だった。
「なんか感じ悪いわよねあの子。特にみっちゃん相手には」
「あははは…仕方ないですよ。悪い手本として役に立っていればいいですけど」
木谷さんは新人だけどすでに年俸はわたしの二倍、入団時の契約金は1億円と出来高5千万円、つまり最高額だ。二度の甲子園優勝、そして大学ナンバーワン選手として早くも成功が約束されている超大物なのだから当然の待遇だ。ドラフトでうちが一本釣りしたときは、裏でもっと払ったんじゃないかという噂も流れた。
「二軍の試合で毎日大活躍だそうですね。わたしはこの一週間、試合出場があの代走だけですからね。そろそろ二軍に落ちるかも…木谷さんと入れ替わりなら試合に出られるからいいんですけどねぇ」
横浜ブラックスターズ、開幕して一か月と少し。二軍はとても元気だった。期待の黄金ルーキーを見るためにお客さんもたくさん入っているという。その一方で一軍は大惨事だった。スタートダッシュで躓いて、リーグの借金を独占していた。
「あら、逆にみっちゃん待望論が出てるんじゃない?他二人のキャッチャーじゃ投壊を止められないから第三の女にやらせてみろって流れになりそうだけど」
「いやいや。誰がやってもダメなら第三捕手なんていらないから中継ぎの弾を補充しろって話になっちゃうんですよ。枠を無駄にするなってね」
それだけ投手陣は厳しい状況に置かれている。先発も中継ぎも崩壊している。こうなったのは去年までの監督の運用に問題があるという意見と、Aクラスに入ったことで選手たちが浮かれて練習しなかったせいという意見が対立する。
「やっぱり酷使し過ぎでしょ。いつかこうなると思ってたわ」
「でもオフにテレビに出たり遊んだり…原因はそっちでしょう?去年も一昨年も一番投げていたエス子は今年も相変わらず元気じゃない。個々の責任でしょ」
ここでもラメセス監督をどう思っているかがみんなの言葉から明らかになる。親ラメセス派と反ラメセス派、目に見えて険悪ではないけれどこの先チームに大きなダメージを及ぼしかねない危うさがあった。それとは別の派閥もある。
日本の4番とも呼ばれている、『大筒嘉恵』さんを中心に、地元の高校、横浜女子学園出身の選手たちによるグループで、いま一軍だけでも8人いる。チームのキャプテン大筒さんやグループの最年長石河さんが野手陣をまとめている。ラメセス監督とは密接でもなければ衝突もしないけれど彼女たちの影響力は大きく、一部のコーチよりも力を持っているとも言われている。
わたしはどのグループにも所属していない。そのぶん自由に動ける気がする。今回の件に関しても誰が悪いと決めつけずに考えることができる。似たような出来事が去年もあった。わたしと同学年、同じ年のドラフトで入団した一人の左腕ピッチャーがいる。親しくはないけれど同期ということで一定の思い入れはある。
わたしはドラフト7位で横浜ブラックスターズに指名された。契約金2千万円、年俸600万円だった。プロ志望届は出したけれどまさか名前が呼ばれるとは誰も予想できなかったから大慌てでいろいろな準備をしたのを覚えている。7位という順位は最下位、でも更に育成指名というものがある。その1巡目で指名されたのが『砂川 樹美』。わたしも彼女も無名の公立校出身で、当然甲子園なんか行ってない。彼女は支度金、年俸共に300万円という条件で入団し、育成選手としてもの凄くハングリー精神に溢れていた。
一年目からいきなり彼女は覚醒した。二軍戦では敵なし、6月には支配下選手になって背番号3ケタを卒業した。その年のうちに一軍のマウンドで先発し、契約更改では二軍の試合にすらろくに出られなかったわたしをあっさり追い越した。二年目の途中からラメセス監督の意向で中継ぎに転向すると、左打者殺しとして大活躍した。
「大事なのはプロに入ってから。私よりも評価が高かった人たちはいったい今どこで何をしているのやら。誰がほんとうに優れているか、明らかになったわ!」
三年目には勝ちパターンに定着、なんと75登板した。わたしがようやく一軍デビュー、1試合だけ出場できた年に彼女はチームの中心選手になっていた。たった三年で年俸は6千万円となり、高級車を買って独身寮を後にしていった。
でもプロの世界というものはほんとうに厳しい、彼女本人はもちろん外のわたしたちもそれを思い知ることになったのはプロ生活四年目、つまり去年のシーズンが始まってすぐだった。
『これもボール!リリーフ砂川、出てきていきなり二者連続四球!何をしにきたのかわからないまま降板です!三試合続けてアウトが取れませんでした!』
「ハァ…ハァ……」
敵が研究してきたから、というわけじゃない。体のキレが失われ、肩が重くなって通用しなくなった。一軍と二軍を行ったり来たりして7月、肘の痛みを訴えてそのまま彼女の昨シーズンは終わった。オフに肩と肘、両方の手術と育成契約の発表があった。
登板過多が原因の一つなのは明らかだ。まだ完成していない身体には耐えられなかった。でもそれに加え、三年目の終わりに寮を出てから彼女は大金を手にして豪遊した。自主トレを怠り天狗になった代償だと言う先輩たちも多かった。
「育成契約になったはいいけれど今年復帰できなかったらクビなんでしょ?酷使で潰したくせに…こんなんじゃ選手みんな逃げちゃうんじゃないかしら」
「いいえ、そうでもないみたい。樹美がファンの女の子たちと遊びまくってそのうちの何人かとトラブルになったって週刊誌に載ったじゃない、それが原因よ。だって中田さんも手術したけどそっちは完治するまで面倒見るって球団は言ってるわ」
栄光を掴みかけても一瞬で転げ落ちるのがこの世界だ。いや、ほんのひと時でも光り輝けるなら十分成功なのかもしれない。わたしなんかまだ何もしていない。努力を続けても報われないことが大半、それでも手を緩めたら僅かな可能性も消える。食堂を出たわたしは一人トレーニングルームに向かった。今日は一軍も二軍も昼間に試合があったからきっと貸し切りだろう。みんな休んでいるはずだ。
(やっぱり誰もいない。道具もスペースも使い放題だ、やったぁ)
この寮の練習施設はとても充実している。一軍本拠地とほぼ同じ広さ形のグラウンド、ランニングコースが屋外にあれば、室内にも三つのスペースが用途別に用意されている。軽めにストレッチがしたい人たちが集まるフロアなら今日も何人かいる。素振りのための広い空間もあって、さっき見たら二人だけいた。でもわたしがいる筋トレ専門のしっかりとした運動の場所にはいま、わたしだけが立っていた。
「昔と比べて最近の子たちは練習しなくなった。皆でゲームばっかりしてる。でもみっちゃんは毎日遅くまで一人で立派だわ。あとはそろそろ結果を…」
育成選手から一軍のレギュラーに定着しつつあるスター候補まで一緒に暮らすこの寮でわたしは一番練習していると寮母さんに褒められたことがある。けれどそれは偉くもなんともない。訓練の成果を試合で出さないと意味がない。
「ふ―――っ……みんなでワイワイもいいけれど一人のトレーニングも……」
その瞬間、わたしは気配を感じた。まさか他に誰かいた?鼻歌やひとりごとを聞かれていたと思うと…顔が熱くなってきた。でも確かに誰もいなかったはずだし途中でドアが開いた音もしなかった。どうやら気のせいみたいだ。
「でもこの球団はたまに隠しカメラを仕込んで動画を作ってるからわかんないぞ。わたし一人しか映っていない映像なんて需要は皆無だろうけど」
選手たちのリアルな素顔をファンに届けるためにとか言ってベンチやロッカールーム、この独身寮にもカメラが不定期で隠されている。カメラマンが堂々といるときはそっちを囮に選手が油断しきった姿を公開するなんて悪だくみも日常茶飯事だ。ただ、皆が知る有名どころの選手にしかそういうことはしないから今回はきっと違うはずだ。誰だかよくわからないやつの映像を出しても盛り上がらないしね。
(気を取り直して…お風呂に行こう。こっちもこの時間なら独占だな)
大浴場で汗を流す。練習が終わった直後や試合から帰ってきた後なんかは大混雑でも今はわたしだけの空間だ。最近新築された施設なだけにとても豪華で快適だ。小さいけれどサウナまである。
わたしがこの先どれだけ活躍すればこんな広いお風呂が自分の家に作れるんだろう。年俸4億、ほんとうはそれ以上貰っているらしい大筒さんや裏金を渡されたと噂の木谷さんなら今からでも手に入るんだろうけど。
シャワーで汗と汚れを落として…一人きりならではの遊びをやることにしよう。音と波を激しく立てて浴槽に飛び込んだわたしはクロールを始めた。
「うひゃ~!気持ちいい~~~っ!これがぼっち風呂の醍醐味!」
さすがの黒星寮にもプールはない。だけどいま、ここはわたしだけのプールだ。行儀悪いことこの上ないけれど、どうせ誰も見ていない。さすがにカメラも絶対に入れない場所だ。今度は潜水して平泳ぎ、それから顔を出してバタフライ……。
「そして壁で華麗にターン………うわあっが!?」
思わず後ろに吹っ飛んだ。お風呂が浅くなかったら溺れていたところだ。わたしがこれだけ驚くのも大げさじゃない。ついさっきまでわたしだけの世界だと思っていたはずの大浴場、しかもこの浴槽に一人の長髪の女性が座っていたからだ。
「……あ……え、ええっ…!?き、木谷さん……」
「…………何をやっているの、あなたは」
これまで会話はおろか目を合わせたことすらほとんどない、今年の新人選手の中でも一、二を争う期待の星。引退後の幹部手形すら保証されているという、『木谷 都』。
いまのうちに媚を売っておこうと同年代や年下はもちろん、先輩たちのなかにも木谷さんの前では腰が低くなっている人もいる。木谷さんは彼女たちを相手にもしていないようだけど、いつも無表情でクールだから何を考えているかを読み取るのは難しい。取り巻きの人たちに心を許していないのは確かだろうけど。
「い、いや……その、見ての通りというか何というか……ははは」
「…………」
同じ捕手で、わたしからすれば学びたいところだらけだけど木谷さんはわたしから得るものは何もないだろう。全てにおいてあっちのほうが上なんだから。わたしのような無駄にプロ生活を送ってきた人間に心底呆れているはずだ。とても会話が弾みそうな感じはしなかったから、早々に上がろうとしてくれてわたしは安心した。きまずい空気が続けば疲れも残っちゃうから心身どちらも助かった。
「…あ、明日は月曜だけど二軍戦はあるようだから…が、頑張ってくださいね」
「………同い年なのだから敬語は不要。私から一言言わせてもらえるとしたら、今日の筋トレのような基礎練習よりも実戦形式のトレーニングをもっと増やすべき。練習すらしない掃き溜めのやつらより余程マシではあるけれど」
それだけ言うと足早に出て行った。わたしが来る前からサウナにでもいたのか、それともわたしみたいなヘボと話しても無益どころか悪影響と思って逃げたか、彼女の真意はどうでもいい。一人の時間を取り戻したわたしはほっと一息ついた。
「は~~~っ……緊張したぁ。印象通りの人だったなぁ」
一応わたしにアドバイスのようなものをしてくれたから悪い人じゃない。でも誰に対しても一定の距離を置いて深く接しようとせず、自分のルーチンを崩さない。これが数年後球界の頂点に立つ人間の徹底したプロ意識なんだと感心した。
「わたしがいきなり目の前に飛び出してきてもちっとも驚かなかったもんなぁ」
あの冷静さが打者としても捕手としても超一流である理由か…。わたしはまた別の武器を磨かないと生き残れないぞ。今年は開幕してからずっと一軍とはいえ一回二軍に落ちたら今年どころか引退まで二度と上がれないかもしれない。次の出場機会こそ珍プレーじゃない、好プレーを見せるんだ。
(でもわたしが筋トレしてたって何で知ってたんだろう?トレーニングルームに行くまで誰ともすれ違わなかったはずなのに…ま、いっか)
決意を新たに臨んだ火曜日のナイターゲーム。わたしは筋トレの道具になっていた。
「ハッハッハ!イチニ、サンシ!」
「うへ~…酔う~~~っ」
わたしを抱えて上下させているのは皆がエス子と呼ぶ来日四年目の外人投手、『E・エスバーン』だ。毎年リーグで1、2を争う登板数でありながら球威が年々増しているタフな中継ぎで、ラメセス監督と同郷であることも日本での活躍の理由と言われる、その『鉄の女』が試合前の運動でわたしを使っている。
凄いパワーでわたしを自身の頭の上まで軽々と持ち上げるエス子。筋トレを続けたまま監督とスペイン語で談笑しているけれど内容はさっぱりわからない。
「ちょ、ちょっとエス子!集中集中!落ちるって!わ~~~~っ!!」
この様子が週末のニュースで取り上げられ、わたしは四週連続の登場となった。ちなみにその後、この日どころか一週間で出場は一度もなく、私の立場はいよいよ危うくなるのであった。
木谷 都 (横浜ブラックスターズ捕手)
活躍が約束されている黄金ルーキー。右投右打。しばらく二軍で経験を積ませた後に一軍デビューの予定だが、そんな必要はなかったと誰もが口を揃えるほどの実力をすでに有している。なぜ横浜が一本釣りできたのか、現時点では不明。
元になった人物……特になし。攻守に万能であり、全てにおいて優秀なので平成一の名捕手、古田が完成形か。リード、肩、打率にパンチ力、チームに黄金期をもたらす素質がある。
砂川 樹美 (横浜投手)
みっちゃんの同期で、育成枠からチームの主力にまで成り上がった左腕投手。中継ぎ転向後に覚醒するもまだ若い身体が登板過多に耐えきれず故障。再び育成落ちしリハビリに励む。スキャンダルのせいで早く復帰できなければ首になる。
元になった人物……ベイスターズ日本シリーズ進出の年にフル回転したあの投手。翌年以降は不振が続き、2020年は二軍成績がいいのになかなか一軍に呼ばれなかったのでいよいよ解雇かと思われたが、終盤昇格するとそれなりに活躍した。
エネイブル・エスバーン (横浜投手)
勝ち負け、点差、イニングに関わらず投げる『鉄の女』。黄金の左腕から投じられるパワーボールが相手打者を粉砕する。回跨ぎさせたり変化球を多投させると打たれる。球種が少ないがそのせいでやられることはない。
元になった人物……男ハ黙ッテ投ゲルダケ!なあの投手。勤続疲労は心配していないが監督の退団・交代が悪い方向に転ぶ不安がある。使い方を間違えなければ安定しているので、この投手をどう使いこなすか、新監督は試されている。




