第257話 怪盗三世②
この物語はフィクションです。現実の出来事とは関係ありません。
半世紀以上前のこと、東京の府中で現金輸送車が奪われた。刃物や銃による暴力や人質を一切使わずに、警察官に化けた犯人が持っていったのは約3億円。そのまま迷宮入りとなり、世間の注目を集めたい『自称犯人』は現れたものの、本物はついに見つからなかった。
単独犯、鮮やかな騙しのテクニック。怪盗ルパンを超えたと言われる犯人はすでにこの世にはいないだろうが、どこかでその子孫は生きている。悪の伝説を継ぐのか、ひっそりと誰にも知られず社会に紛れているのか、それとも………。
『主審の手が上がってプレイボール!最初からいきなり注目の対決です!』
ミルルトペンギンズの1番打者、蔵依夢。どんな手を使ってくるかわからない。昨日までと比べてやる気も感じられるし、要警戒だ。
(ここで警戒するとしたら……)
(内角のボールに肘を出してくるか、セーフティバントか……真っ向からくることはない)
蔵の打力はそこまで高くない。いくら足が速いとしても先頭にするような出塁率もなく、下位打線で自由にやるから怖いタイプだ。打順が変わっていきなり強打者になるというのは考えにくかった。
「うおおおおおおお―――――――――っ!!」
「ストライク!バッターアウト!」
三球勝負、余計なボールを使わずに抑えた。小細工できる隙を与えなければいい、単純だけど曲者相手には一番いい攻め方だった。
「ぐっ……立ち上がりから全力か!ありゃどうしようもないな」
わたしの調子が上がる前を狙って、どんな形でもいいから出塁しようとしていた蔵の出鼻をくじいた。いきなり盗塁、そのあとは送りバントと内野ゴロで簡単に失点という展開もあった。
(こうなると次の私の打席が近づくまでは太刀川を応援しないと………先を越されたらぜんぶパアだ)
裏で特別ボーナスの契約をしている蔵は気が休まらない。わたしの後半戦初失点に打点か得点のどちらかの形で関わらないといけない。
『村下打った、大きいぞ!』
「あっ!?」
『ぐんぐん伸びる、ライトスタンド…いや、足が止まった!兜が構えた、捕りました!ヒヤリとしましたがスリーアウト、チェンジです!』
打たれた瞬間はまずいと思ったけど、失速してくれた。わたしのパワーが押し勝ったみたいだ。そしてわたしよりもほっとしているのは蔵だった。
(おいおい……頼むよ太刀川。2千万が……いや、1億もなくなるところだったじゃないか)
試合に勝ち、野手のヒーローになれたら1億円というボーナスがかかっている蔵。そんなことは当然知らないわたしからすれば、まさか敵の蔵に応援されているだなんて思わない。
「いいかハイセイコー!チームの勝利のためには自分を殺せ。プライドを捨ててチームを第一に考えろ!」
「は…はい!」
1点勝負にしてどこかで出し抜いて逃げ切り、それしか勝ち筋はないと蔵は考えていた。先に取られたら終わりだと。
「………ボール」
『やはり歩かせます!木谷にツーベースを打たれ一塁が空いているのですから、太刀川にはストライクを投げる必要がありません!』
全球ボールになる変化球で、四球にするつもりだったようだ。強引に打ちにいっても仕方がない球ばかり、敬遠同然だ。
『ブラックスターズ無得点!高井聖子、ピンチで踏ん張りました!』
ミルルトバッテリーの作戦勝ちだった。わたしの前後、みやこや牧部の頑張りが鍵になる試合だ。
「中軸はホームラン、下位打線はフォアボールを狙ってくる。連打はできないと相手もわかっている」
「ペターニとガイエスには普段以上に気をつけて投げないとね。みやこの構えたところに狂いなく投げられたら相手のヤマが当たっていてもホームランは打たれないから」
長距離打者には正確なコントロールでホームランを許さず、ほかの打者にはどんどんストライクを取りにいって常にわたしたち有利のカウントで進める。ミルルトが意表を突いたスタメンを組んできても、やることはいつもと同じだった。
『セカンドフライ!太刀川、ミルルトの中軸を難なく退けました!今日も絶好調!』
(よ〜し、よしよし、6番くらいまではしっかり抑えといてくれよ)
蔵が心のなかでわたしに拍手をしていた。自分の手柄にするためにはこのあたりの打者に仕事をされたら困るからだ。
(次の回は違うぞ、太刀川。ノーアウト満塁、それかワンナウト二、三塁くらいのピンチで私を迎えてくれ。死ぬ気で犠牲フライくらい打ってやる)
チャンスで回してくれたらなんとかする、強気の打者はみんなそう考える。とはいえ現実はそんなに甘くない。
『あっと、ピッチャー真正面!太刀川は二塁へ送球、アウト!一塁も…アウトだ!ダブルプレー!高井、バント失敗ゲッツー!』
「バカか!ファーストに捕らせるように転がせよ!練習してんだろ!」
池田にヒットを打たれたものの、押見を三振、そしていま高井のバントを処理して併殺に仕留めた。蔵はまた無死走者なしで次の回の先頭打者だ。
(くそっ!これで四回表はまた出塁が絶対条件になった!)
三回まで両チーム無得点。休養を挟んだのがよかったのか、ハイセイコーこと高井聖子の投げる球が前回とは全く違う。正子やクリフジに新人王レースで大きく差をつけられたものの、そのおかげで気楽になったのかもしれない。これまでは騒がれすぎていた。
『1番、キャッチャー…蔵』
四回表、蔵依夢との二度目の対決だ。バットをとても短く持っていて、とりあえず当てさえすれば何かが起こると思っているようだ。
「…………」
『木谷のサインに頷く太刀川!小さな体をダイナミックに使って振りかぶる!』
みやこの要求はど真ん中ストレート。初回は3球連続でこれを打てなかった蔵も、さすがに目が慣れていたようだ。
「ぐっ!?」
『ファール!狙い球だったのでしょうが前に飛びません!ワンストライク!』
ただしほんとうに当てただけ。ファールでは蔵の期待する偶然の出来事すらない。2球目も自打球になるファール。そして最後は、
「あっ!」
『空振り三振っ!ここで外角に逃げるカーブでした!ずっとストレートだっただけにこれは予測できなかったでしょう!』
手玉に取るとはまさにこのこと。蔵が変な手を使う前にこっちが裏をかいて三振を奪った。この調子なら蔵を黙らせたまま終わらせることができそうだ。
(……だめだ、打つ手がない!私クラスのバッターがいろいろ策を練っても実行できない。それくらい力の差がある!)
頭のなかではわたしを攻略するイメージがあるようだ。しかしいざやってみようとすると思い通りにならない、まあよくある話だった。イメージや妄想の世界だったら180キロの剛球を投げたり飛距離200メートルのホームランを放つのも楽勝だ。体の限界が頭についていかない。
(だが私はこれから何年プロ野球選手でいられる?引退までに3億も稼げるか?いや、稼ぎの総額じゃないんだ。自由に使える金が3億必要なら実際はその倍以上もらわないといけない。無理だ!絶対にボーナスを獲らないと!)
たった1試合の活躍で最大1億2千万円が手に入るのだから、蔵の心は簡単には折れない。お金に執着していないわたしですらこんなチャンスをもらったら死ぬ気で頑張る。それなら球界で最もお金が欲しい選手の蔵の炎が消えるわけがない。
「残念だったね。狙い自体は悪くなかったから今日のうちにヒットは出るんじゃないかな」
「……月光マスク………」
「いまの太刀川からホームランはまず打てない。君が相手をかき乱すくらいしか得点の方法はない」
正義を貫く月光マスクと邪道を極める蔵依夢は水と油、仲は悪いだろうと思われていた。ところが三塁側ベンチで二人が穏やかに話しているのがマウンドのわたしからも見えた。
「君には信念がある。お金儲けだけを追い求める強い意志、太刀川みちを倒すものになるかもしれない」
「……私が何のために金を稼ぐか知っているのか?」
「さあ?君が話したがらないのだから私が知ることはできない。しかし私にはわかる、君は『喜んで許される悪』だと。そのプレースタイルでは決して善にはなれない。しかし正義の悪というのもあるのではないか………」
「………」
正義の悪。そんなの現実世界ではまずいないけど、漫画やアニメでみんなが好きなテーマだ。
「以前にも言ったように、私は正義のヒーローではない。正義の味方、つまり正義の道を歩もうという人々の味方だ。君のスタイルは好きになれないが君の生き方は別だ。私はいつでも君の力になるつもりだよ」
「………ふっ、私と組むと後悔する、絶対にな」
裏の攻撃はみやこから。わたしに対しては過剰なくらい警戒しているミルルトバッテリーが全く考えなしに投げた球だった。
『一、二塁間!簡単にヒットを打ちます、木谷都!これで打率は4割と5厘!』
規定打席はすでにクリアしている。ここから全休でも夢の4割だけど、みやこは逃げずに最終戦まで扇の要であり続ける。
「……蔵さん………」
「平気だ。木谷は最悪でもツーベースだし太刀川は歩かせるから、残りのバッターに全力でいける。いいか、何度も言うように絶対失点するなよ!もし失点したらあとはどんどん取られちまえ、10点くらい!」
「………大丈夫かな?この人………」
仲間に心配されながらも蔵の作戦は成功した。無死一塁からわたしを歩かせると、牧部を6ー4ー3の併殺、紀子さんを三振に打ち取ってピンチを凌いだ。
「今日の高井……やっぱりいつもよりいいですよ」
「太刀川さんとの勝負を最初から捨てているからほかに集中できているんでしょうね」
わたしへの四球は最初から歩かせると決めているはずだし消耗はない。スタミナに課題が残る高井でも九回まで投げそうだ。ただしまだ四回、このあと突然崩れるかもしれないし、チャンスで打席が回ってくれば代打を出される。
「どこまで投げようなんて考えるなよ!目の前のバッターに集中するんだ!先のことより今のこと、それを忘れるな!」
「は、はい……(たまに変になるけど基本は野球に熱い人なのかな?)」
蔵の言葉そのものは正しい。チームや高井のためではなく自分の臨時収入のためではあるけど、試合に勝てば結果的にはチームのためになる。
「うおおおおおお―――――――――っ!!」
「ヌゥッ………!」
ペターニ、ガイエスと二者連続三振。ここで安心して気を抜いたり体力温存ばかりを考えたりするようになると、伏兵の一発で失点なんてこともある。
去年のわたしの失点パターンはほとんどそれだった。今年は徐々に減っていって、後半戦は全く許していない。球速やキレの成長のほかにスタミナがこれまでより豊かになっているという自信が大きかった。
(もうじゅうぶんすごいから鍛える必要はないって言われたけど、ここは自分を押し通して正解だった。伸ばせるものだなぁ)
思っていた以上にわたしはまだまだ成長できるみたいだ。30代になってから身体能力を上げてくる選手がたまにいる。もしわたしがそうだとしたら、とても楽しみだ。
セ・リーグの優勝最有力候補、横浜DeNAベイスターズが広島相手に完勝、引き分けを挟んで5連勝でAクラス入り、更には首位を奪う態勢が整った。
これまで広島には大幅な負け越し、今回も手も足も出ないだろうと宣う者たちもいたが、力負けは一度もなく全ての敗戦がスタート直後に馬が躓いて落馬クラスの不幸が重なっただけに過ぎなかった。運の偏りはいつまでも続かず、横浜反撃となるのは当然だった。
連勝中は先発投手陣が安定し、理想の投手王国が完成した。元々鉄壁のリリーフや強力打線の調子も上がり続け、全てにおいてセ・リーグの頂点にいると言っても過言ではなく、もはや相手になるチームは日本のどこにもいない気がしてきた。
横浜反撃という言葉の意味は、ギリギリ3位に入ることでも1強5弱のなかで弱のトップに立つことでもないはずだ。現在独走中のヤクルトを捕らえ首位に立ち優勝、そう考えるのが普通だろう。少し前までは嘲笑われておしまいだったが、この勢いであれば2位争いを並ぶ間もなく制するのは確実、首位争いに参戦する資格があるのはDeNAだけだと認められないのは現実を見ようとしない哀れな他球団ファンだけだ。
選手たちはもちろん、この連勝は名将三浦大輔監督の力も大きい。このまま大逆転優勝まで突き進めば史上最大の下剋上となり、名将の偉業は永遠に讃えられることだろう。ハマの大魔神社は短命だったが、今度は横浜市内に立派なリーゼントがポイントの番長像を何十体も設置し、末永く市民に崇められるようになる、それは近い将来のことだと大勢の横浜ファンが確信している………ような気がする。




