第11話 女子アナ<焼肉<???
『そうですね、連敗中というのは意識していませんでした。どのような状況だとしても求められているプレーをするだけで、その結果最高の形になってくれたと思います』
木谷さんのヒーローインタビューが続いているけれどわたしたちは先に三塁側の客席前を通ってファンの前から姿を消す。着替えを済ませてから球場を出る予定だ。
「木谷さんを待ってあげたかったんですが……いつになるかわからないですもんね」
「球場のインタビューだけじゃ終わらないでしょ。新聞用のインタビューに監督とのツーショット写真……大物ルーキーだから普通よりも時間がかかるのも当然だわ」
取材攻めが終わった後もきっと首脳陣やスポンサーの偉い人たちと食事に行くのだろうと噂されている。だからこの後のお楽しみ、焼肉にも木谷さんは誘わなかった。先輩の奢りでお腹一杯になるまで大好物を食べられる、試合の途中から待ちわびていた時間だ。
「負けてたらちょっと遠い場所に変えなきゃいけないところでしたねぇ」
「うんうん。さすがに今日も落とすとこのあたりじゃのんびりできないわよね」
男子プロ野球でやっぱり連敗中だったチームの選手たちが試合後に居酒屋で飲んでいたら過激なファンに襲撃されたというニュースがあった。どこまで本気かはわからないけれど集団でレズレイプしてやるとかいう声も観客席から聞こえていただけにみんな不安だった。
それだけ今年の横浜ブラックスターズは負けこんでいる。久々の勝利を祝う意味も含めて、元横浜の選手が店長の焼肉店を貸し切って夕食会の予定だった。
タクシーを数台呼んでいざ宴の場へ、というところで待ったをかける集団が現れた。
「ああっ!ブラックスターズの皆さん!今日はナイスゲームでした!」
三人の女の人が出口で待ち構えていた。一般客は入れない場所のはずだけど……?先輩たちの様子が明らかに変わったから、きっとこの人たちは有名人なんだろう。
「……上里さん、あれは……どんな人たちなんですか?」
「ええっ!?みっちゃん、あの三人を知らないの?テレビはほとんど見ないとは聞いていたけれど……ブシテレビの人気女子アナじゃないか!」
「ブシテレビのCSでミルルト戦を中継しているからね。ブシの女子アナウンサーとミルルトの選手はけっこう仲いいよ。まあ彼女たちはブシテレビの顔、かなりの有名人なわけだけど、わざわざ私たちのほうに来た理由…まあ知れているわ」
すっかり興奮している上里さんや音坂さん、中園さんとは違って戸場さんは冷静だった。焼肉屋に向かうこのメンバーの中ではしっかりしたタイプで落ち着きがある人だから、突然現れた三人組の狙いをすでに見抜いているようだった。
「将来の大スター、木谷都に今のうちに接触しておこうって魂胆でしょ。争奪戦が予想される優良物件に唾をつけておく……それ以外に考えられない。彼女のことは野球に詳しくない人間でも顔や経歴がすらすらと言えるくらいだもの」
「えへへ………」 「わかっちゃいました?」
「残念だけどまだまだ出てこないわ。それに球団がこの一番大切な時期に彼女のガードをフリーにするはずがない。週刊誌やスポーツ新聞のネタ作りを許すと思う?」
戸場さんの言葉にがっかりしたのはアナウンサーたちで、その目当てが木谷さんだけだったことに対し上里さんたちが肩を落としていた。がっかりの連鎖反応だ。そんなくだらない考えでいると、三人のアナウンサーのうち一人が前に出て、何回も首を横に振った。
「ウフフ、確かにこの子たちはそれで正解。でも私は違います」
「……吉野和歌子、29歳!実力派ながらルックスも抜群!BSで平日は毎日やってるクイズ番組のアシスタントで幅広い年齢層の人気を集めている!」
よほどのテレビっ子なのか、女性アナウンサーそのものが大好きなのか。上里さんの解説は何も知らないわたしには助かる。その吉野さんはわたしたちの…いや、わたしのもとに迫ってきた。わたしの無知ぶりを怒っているわけじゃなさそうだけど、不安になる。
「私はこの太刀川選手と仲よくなりたくてこうしてお邪魔させていただきました。野球選手としては決して恵まれた体格ではないですが昨日今日の全力プレー、とても感動しました」
「は、はぁ。どうも……」
「私のことをよく知らないというのならこれから知ってもらえばいいだけのこと。太刀川選手、これからイタリアンレストランでいっしょに夕食でもいかがですか?静かなムードでじっくりお話をして親交を深めましょう」
わたしが誘われている。周りの先輩たちはニヤニヤしながらわたしの肩や背を叩く。
「行っておいでよみっちゃん。こんな機会めったにないんだから」
「ちぇっ、いいな~っ……吉野アナってロリ好きだったのか」
盛り上がる先輩たち。でも当のわたしは乗り気じゃなかった。
「いや~……いきなり知らない人と二人で食事というのは。門限もあるし……」
プロになってからは野球関連以外のテレビ番組をほとんど見ていない。こんなわたしが吉野さんと二人きりだなんて絶対に場が持たない。どちらか、もしくは両方が気を遣う。
それにわたしは今日は満腹になるまで食べたいんだ。上品な空気なんていらない。先輩に奢ってもらうつもりでいたからあまりお金を持ってきていないのも辛いしなぁ。
「門限………?ウフ!まだ夕方ですよ?そこまで考えているだなんて……。でもあなたがそれを望むなら私もお付き合いしましょう。場所はお任せください」
門限どころか一時間もしないうちに会話がなくなっちゃうよ。この場にわたしの味方はいないみたいだ。吉野さんの腕がわたしの手を掴もうと伸びてくる。
もはやこれまで、さよなら焼肉……観念しかけたその時だった。何者かがわたしを魔の手から守るようにして自分のもとに引き寄せる。あっという間にわたしは後ろに引っ張られた。
「失礼します。申し訳ありませんが今日は私が先約ですので」
記者や監督たちから解放されたのか、木谷さんが着替えを終えて出てきていた。ちなみにわたしと木谷さんの身長差のせいか、それとも焦っていたのかはわからないけれど、木谷さんの腕はわたしの首あたりを捕まえていた。だからその腕に包まれた瞬間、わたしは「ぐえっ」という動物の鳴き声のような情けない声を出していた。
「先約……?」
「私とこの太刀川は同じ捕手というポジション。彼女は昨日、私は今日一軍で初の先発出場となりましたが、収穫以上に多くの課題が明らかになりました。浮かれていてはいけない!反省会を開き互いに今後もチームに貢献できるようにしようと決めたのです。内密の情報もありますので部外者の方はお断り願います、それでは失礼……」
先輩たちやアナウンサーたちが唖然としているのも気にせず、わたしに一言も語らせないままタクシーに連れ込み、わたしと木谷さんを乗せた車は球場を後にした。ちなみに以下はわたしたちがいなくなった後のその場の様子だ。
「………え?ホ、ホントに行っちゃったわ」
「同行っていうよりは………拉致?」
わたしがどこかわけのわからないところへ連れ去られたのではないかと心配する先輩たち。でも『事情を知っている』石河さんたちごく一部の人はやれやれといった顔だったそうだ。
「……先約があったらみっちゃんが焼肉に来るわけないでしょうに」
「キャプテンが試合中に木谷にボールを渡したおかげで吹っ切れたんじゃないですか?これ以上隠せないと開き直って積極的になったみたいですね」
上里さんや音坂さんはチャンスを逃すまいと粘り強く交渉を続けたらしい。
「今日のところはどう?ボクたちといっしょに遊ぼうよ。今度木谷も連れてくるからさ」
「そうね。あなたたちもなかなかカッコいいし面白そう。行きましょ」
そして一人、不敵な笑みを浮かべる人もいたみたいで……。
「………ウフッ。ますますあの子を手に入れたくなったわ。チャンスはいくらでもある……」
気がつけばタクシーの後部座席、わたしたちは試合中と同じように並んで座っている。
「いや~……さっきは助かったよ、木谷さん。このままみんなと合流するんだよね?運転手さんに目的地を伝えていたようだけど、木谷さんも行ったことあったっけ?」
誰かに誘われていたのだろうか。木谷さんと運転手の会話はよく聞こえなかったけれどあれだけすらすらと話していたのだから焼肉屋の場所はわかっていると思っていた。
「………いや、あなたの言うところを私は知らない。私たちがこれから向かうのはそれとは違う店。あと20分程度で到着するだろうから安心してほしい。すでに予約は済ませてある」
「へ……?違うって……ま、まさか監督とかチームの偉い人たちが……」
「他には誰もいない、私たち二人だけ。嫌なら中止するけれど」
「い、嫌だなんてとんでもない。わたしのほうからお願いしたいくらいで……」
木谷さんと二人っていうのもさっきのアナウンサーよりは全然ましだけど緊張するなぁ。わたしの記念ボールについて木谷さんが受け取っていたのだからじっくり聞いてみてもいいけれど、気まずくなるのも嫌だし忘れたふりをしたほうがいいのかな。素直に今日の試合の活躍を褒めちぎるべきだろう。
木谷さんの言葉通り、そこまで時間はかからずにタクシーは止まった。居酒屋やバー、いろんな店が並んでいるなかで案内されたのはお寿司屋だった。プロに入ってからも縁がなかった、『最高級寿司』の店だ。お寿司はわたしもよく食べるけれどそれは回転寿司での話、100皿食べても一万円でいい。ここは全く違う世界の場所だ。
「ひゃ~………今更だけどわたしそんなにお金ないよ?」
「私が無理に連れてきたようなものだから気にしなくていい。さあ」
無理に、というのは自覚があったんだ。未知の扉に圧倒されるわたしを連れて木谷さんが先に店内に入る。他にお客さんは誰もいなかった。
「貸し切りにしてある。余計な遠慮や配慮をせずに楽しめる」
もともと行く予定だった焼肉店も貸し切ることになっていた。とはいえむこうは大人数でたくさん注文するのだからお店のほうもそれでいいはず。いま、たった二人でそこまで広くないとはいえこの高級店を日曜の夜の時間、丸ごと貸し切ってしまうなんて。
(……大丈夫、木谷さんは実家もお金持ち、契約金もたくさんもらってる……)
そう言い聞かせ、後になって請求書が来たりはしないと信じてわたしは着席した。
「えっと……マナーとかルールとか……」
「そんなものを考える必要はない。私たちしかいないのだから」
「ええ、都お嬢さんの言う通り、どうぞ力を抜いて楽にしてください」
そこまで言われたらそうさせてもらう以外ない。お店のなかをじろじろと観察した。
「都お嬢さんのお家には私の修業時代からお世話になっています。この店の開店にも助けをいただきました。今日はそのお嬢さんとご友人であるあなたの活躍をぜひお祝いさせてください。お好きなネタをただで握りますよ」
「本来のコースではあなたは満足しないでしょう?食べ放題を特別にやってもらうことにした。さっきも言ったけれど、遠慮は無用」
お腹いっぱい食べていいというわけだ。これなら焼肉も惜しくなくなった。せっかくだ、ふだんよく知らない魚を頼んでみよう。あとは本物のマグロを味わいたい。あと何回こんなお店に来られるかわからないから、こうなったらとことん楽しむぞ。
「………とりあえずそれで。あとは日本酒を」
「日本酒………ああ、寮でビールを飲んでいたっけ、あなたは」
今回のようにわたしがプロ野球選手だとわかっているところでないと外でお酒を飲むのも面倒だ。この顔と身長ではどう見ても成人しているようには思えないらしい。わたしだってお酒は飲む。しかも結構強かったりするんだよ、これが。
「おほっ!これが真の大トロ……スーパーで奮発して買った大トロと全然違う!」
「うん、おいしい!こんないいものを小さいころから食べて、そりゃあ木谷さんが一流選手になるわけだ………今からでも追いつくためにももっと食べないと!」
「玉子、イカ、ウニ……全部うまい。わたしもグルメになっちゃいそうだ~」
わたしが次々とお寿司を平らげている間、木谷さんたちは……。
「………無料でいいということでしたが……やはり後でお支払いいたします」
「……どうもすいません。まさか太刀川さんがあれほど食べられる方だとは……。これまでスポーツ選手の方はたくさん来ておられますがそのなかでも……」
わたしの興奮と食欲がようやく落ち着いてきてから、食事ではなく会話がメインになる。邪魔をしてはいけないと木谷さんが話しかけるのを待っていてくれたみたいだ。おいしいか、とかそれくらいのことは言ってくるけれど、長い話になりそうな言葉はかけてこなかった。わたしが遠慮しなかったせいで逆に気を遣わせちゃったかもしれない。
「この三連戦、あなたはホームランを含む2安打、5打点と大活躍だった」
「いやいや、木谷さんのほうが凄かった。もう追い越されちゃったよ」
反省会とか言っていたはずが互いを褒めて励ましあう何でもない時間になった。いろいろダメ出しされてへこむ夕食になるかもという心配はいらなかった。木谷さんもお酒を飲んでいるせいか、普段より表情が豊かで声は高かった。
「たった三日で皆が認める正捕手になった……こりゃあますますわたしの出番も減っちゃうな。週一回の機会を大切にしないとね」
昨日の試合後に今後の方針の説明があった。木谷さんはこれまでの横浜捕手陣より打力があり、経験を積ませたいということからもよほどのことがない限り途中交代はしない。体を痛めたとか明らかに疲れが出ているとか、体調の異変であればすぐに下げるけれど大差がついての休養や先発投手が早々に炎上したときに懲罰の意味をこめてバッテリーごと交代、なんてことはしないと監督がわたしたちに言った。
「その代わりわたしがヒュウズとバッテリーを組む日は木谷さんは完全休養日。ふだんはフル出場するぶんその日は体を休ませる……いい作戦だと思うよ。やっぱり試合途中でキャッチャーがころころ変わるのは負け試合とはいえ……」
どん、とコップがカウンターに叩きつけられた。割れるんじゃないかという勢いだった。
「………私は……あなたが活躍してくれないと嫌。週に一度の出場で終わってほしくない」
「ま、まぁ出番については上の人が決めることだから……今日も代打で出してもらえたし」
「あなたはそんな扱いを受けるべき選手じゃない!」
わたしと違ってすぐに酔っちゃうみたいだ。木谷さんの声が大きくなる。でも理性を失ってはいないようで、会話は成立していた。ただし口数は普段の数倍で、よく喋る。
「……今年はもう仕方ない。シーズンも三分の一は終わった。チームは最下位、途中で解任や休養はないとしても、ラメセス政権は今年限りで終わる、それは確実」
「まだわからないよ。横浜はいつも交流戦あたりから巻き返すから」
「プレーオフ出場ぎりぎりの3位くらいなら可能性はある。でも選手層、何より無能な首脳陣のレベルを考えたら全てがうまく噛み合って3位が限界。五年も現体制を続けてきてそれでは来年も続ける価値なんてない。一刻も早くやめてほしい」
入れ替わりで二軍に行った光莉さん以上に監督たちへの不満や批判を抱えているらしく、とても聞かれてはいけない内容ばかりだ。ほんとうに他に誰もいなくてよかった。
「だから来年、そこがあなたの飛躍の年になる。そのための準備をするべき」
「来年?次の監督になったって捕手は木谷さんメインだよ。わたしの飛躍なんて……あっ、そうか!ファーストかサードに移ればいいってこと?それとも自分からトレードとか戦力外を志願して他のチームで一から正捕手を目指せって………」
コンバートのところで呆れた顔に、移籍のところでついに失望の気持ちを隠さない木谷さんを見てわたしは黙った。求めていた答えとはまるで違ったようだ。自分からレギュラーの座を奪う、それくらいの強い決意表明が聞きたかったのだろうか。しばらく沈黙が続いた後、木谷さんのほうから話を切り出した。
「……あなたが寮のなかで誰よりも練習量が多いことは知っていた。でも指摘したように基礎トレーニングに時間を割きすぎている。あなたに足りないものを補うべき」
「う~ん…足りないもの……やっぱり実戦?二軍戦でもいいから試合に出るべきかな?」
「自分では気がつかないのも仕方ない……そこで提案がある。明日から寮での空いた時間、あなたが自主練習を行うときは私を呼んでほしい。二人でトレーニングを行う。より効果的であなたの真の力を引き出せる時間になることを約束する」
信じられない申し出だった。これまで一人で続けていた特訓に協力してくれるという。
「い、いやいやいや!木谷さんにそんな真似はさせられないよ!木谷さんがちょうどいい練習パートナーやアシスタントが欲しいっていうならまだしも、わたしのために新人王候補が貴重な時間とエネルギーを使うだなんて……」
「……だったらそれでいい。他の選手は遊びに夢中で誰もやりたがらないからあなたをパートナーに指名したと言えば誰も文句は言わない。いや、絶対に言わせない。わたしたちは同じポジションを争うライバルだけど同じチームなのだから協力関係を結ぶのは正しい。来年以降、チームが黄金期を迎えるためにも必要なことだから」
今年ではなく来年にこだわるのはいまのチーム順位や監督への不満が一番の原因じゃない。わたしを進化させるにはそのくらい時間がかかると木谷さんは判断したんだろう。
確か木谷さんは高校時代のわたしを過大評価していた。たまたま抑えられただけでわたしを宿敵と思い、投手をやめたわたしにがっかりしていた。それでもいまだにライバルとみなしてくれている。わたしをそれに値する選手に成長させることで自分も更なる高みに到達しようという考えなんだ………。この向上心に倣わないといけない。
吉野和歌子 (ブシテレビアナウンサー)
ミルルトの試合を中継するブシテレビに所属する女子アナウンサー。クイズ番組では『ポロリ』を連発する痛恨のミスが視聴者に人気。みっちゃんに狙いを定める。
元になった人物……元ネタの方は今年50歳のベテラン。BSフジのクイズ番組アシスタント。そのクイズ番組は回答者が40歳以上限定の、熱狂的オリックスファン芸人が司会するあの番組。
元野球選手も数多く出演し、2020年最後の週にはなんと超大物、江夏豊が登場!予選敗退。元木はやっぱりバカだったり、齊藤明雄は数字問題に強かったり、代打の神様八木は1問正解しただけで優勝、まさにひと振りで試合を決めたりと、かつてのスターたちがクイズに挑戦する。