蒼の仮面の探偵令嬢 ~婚約破棄の真相を華麗に暴いたら、お次は探偵になるとしましょう~
「ハルティリンド侯爵令嬢シエル、君との婚約を破棄させてもらいたい」
その瞬間、シエルは自分が何を言われたのかよくわからなかった。それは、この場所にいる他の人々も同じだったらしい。
この国で一番大きな広間が、水を打ったように静まり返っていた。
上手く息が吸えなかった。今にも手が震えだしそうだった。
ダメだ。弱いところを見せる訳にはいかない。大丈夫、私は強い女なんだから。
「理由を、お聞かせ願えますか」
声が上擦らないように。動揺を悟られないように。誰もが憧れる「蒼の令嬢」として、凛とした声で問うた。
態度さえ冷静に振る舞えば、心は自然と付いてくる。
「貴女よりも、相応しい女がいる」
真剣な表情で告げる彼は、第二王子マークス。その胸の辺りに特徴的な紋章が浮かび、その中心から赤い光の糸が一本伸びているのが見えた。
なるほど、そういうことだったか。
自分がどうしようもない粗相をした訳ではないらしい。であれば、もっと強気を演じられる。
「それは、」
シエルが振り返ると、その視線を避けるように人並みが割れる。ただ一人残ったのは、艶やかな黒髪をアップスタイルにまとめた赤い目の少女だった。
「あちらの方でしょうか?」
質問という形式を取ったが、間違いようがない。マークスの胸から伸びる糸は、彼女の首元に繋がっていた。
彼は露骨に狼狽えた。
当然だ。そんな様子を見せたことはなかったのだから、マークスの指す人が誰かなど普通ならわかるはずもない。
だが、シエルには他人に見えない光の糸が視えている。
第二王子がわかりやすい態度を取ってくれたおかげで、遠巻きに様子を窺う貴族たちもシエルの言うことが本当だと判断したらしい。
ここで子供のように癇癪を起こしたり、無理矢理話を進めようとしたりするほどマークスは馬鹿ではない。自分の不利を悟り唇を噛むが、落ち着いた口調で話し始めた。
「断っておくが、君の落ち度ではない。ただ僕が、あちらの──レリーサ嬢の方が、国を共に守るものとして僕に寄り添ってくれる……そう思っただけだ」
簡単に言えば、シエルより彼女の方が好きだから。そういうことだろう。
「紅の令嬢」。シエルとそう対比される、ミリテジオ侯爵令嬢レリーサ。二人同格に社交界の華とされるだけあって、容姿・教養・家格全てにおいてシエルに劣るものはない。
魔法師団の長を代々輩出するハルティリンドに対し、彼女の家であるミリテジオは騎士団を司っているから、国防という目的で家同士協力関係にあると言っても良い。
つまり、レリーサにはシエルを蹴落とす理由もないし、たとえそうしたところでハルティリンドの面子以外に何も問題はない。
もっとも、侯爵家の面子となればそれだけで大問題であるし、ミリテジオも非難を浴びるのは言うまでもない。
シエル個人としては、別に第二王子の婚約者という立場にこだわりはなく、降りろと言われれば大人しく降りても構わないと思っている。けれど、今マークスの言葉をそのまま認めてしまえば、この国の貴族全体のパワーバランスが崩れてしまいかねない。
この場でシエルがどうにか収めるしかないのだ。
どうして、そんな面倒で繊細な問題がただの令嬢でしかない自分に回ってくるのだろう。
焦りや不安という気持ちが薄れて呆れに変わってくる。困ったなあと内心ため息をつきながら、シエルはどう話を始めたものか考えた。
誰がやったかは最初からわかっている。どうやってやったかは、第二王子の胸元の紋章を見れば明らかだ。もっとも、それはシエルにはに限られるが。
ここまで情報が揃っていればさすがに全てわかる。だが、シエルにしかわからない、証明できないモノが紛れている以上、犯人に全てを認めさせて、周りの貴族たちも納得させるための演出が必要だ。
堂々と、少しばかり大袈裟なくらいに。
できるはず。『蒼の令嬢』の得意分野だ。これくらいやり遂げなくては、私にこの目を与えた気まぐれな神様も失望しようというもの。
シエルは深呼吸して、ゆったりと話し始める。
「──ソクラノの書、精神の章・第Ⅱ巻、74ページ。殿下はそこに記された魔法が何だか、ご存知でしょうか?」
急な話題の転換に怪訝な顔をするマークスと周囲の人々。シエルは不敵な微笑みを貼り付けて、
「レリーサ令嬢に聞いてみましょうか? 彼女ならご存知のはずですよ」
と振り返った。顔を青くしたレリーサが何か言う前にたたみかける。
「調べればすぐわかります。ですから、貴女の口からお聞きしたいのです」
一拍置く。大きく息を吸い込んで、会場中に響くように。
「殿下に何の魔法を掛けたのですか?」
よし、決まった。
先ほどまで静まり返っていたのが嘘のように、大広間が一気に騒がしくなる。
「わ、わたくし……は、」
怒りか恐怖か、レリーサの声は震えていた。
けれど、彼女にだって『紅』の矜持がある。俯いてぐっと唇を噛むが、すぐに顔を上げて凛と言い放った。
「……弁解のつもりはございません。私は殿下に、『魅了の鎖』を掛けました」
効果は読んで字の如く。近くにいることで対象を惹き付けるという単純かつ効果的な魔法。
「私利私欲で多くの人々を欺く……どんな処罰を受けてもおかしくない所業であることは、理解して──」
「レリーサ令嬢。本当に、『魅了の鎖』ですか?」
彼女の言葉を遮った。
レリーサが使ったのは、『魅了の鎖』ではないはずなのだ。申し訳ないがシエルの目を誤魔化すことはできない。
「貴女が掛けたのは、『共有の合わせ鏡』ではありません?」
「……っ!」
シエルの追及に、レリーサはびくっと肩を震わせた。
『共有の合わせ鏡』は、対象が自分と同じ感情を持つようにするもの。つまり、マークスがレリーサを好きになったということは、レリーサがマークスを慕っていたということに他ならない。
レリーサは、ただの恋慕で大問題を起こす弱い女と思われるくらいなら、地位目的と言い切り断罪される方を選びたかったのだろう。
が、彼女は勘違いしている。
シエルには元から、レリーサを断罪する気などない。
当たり前だ。シエル自身は第二王子を愛しているわけでもないし、正直言ってこの婚約は煩わしい。拒否しなかったのは、シエルが拒否できるだけの正当な理由を持っていなかったというだけである。
そんな状況で現れたレリーサは、第二王子を慕っているという。
家柄にも、能力にも、ついでに容姿にも、何も問題はない。
であれば──皮肉なことに、マークスを愛する彼女の方が、本当に相応しいのである。
「私、家同士の決め事と弁えてはおりましたが、殿下を伴侶としてお慕いしていた訳ではございません」
優美な笑みを、振り撒くように。
「レリーサ嬢の『共有』が届くほどの想いには感服いたしましたから──」
膝を付いていたレリーサに手を差し伸べる。
会場にいるうち特に位の高い者たちに順に目礼をする。『しっかり見届けてくださいね』、と。
「──ハルティリンドとして、譲歩をして差し上げても構いません」
ざわっ。
広間は一気に騒がしくなった。もう、完全に舞踏会どころではない。
「シエル……君は、」
「殿下。正式ではないとは言え、私たちはもう婚約者ではございませんから」
「シエル、嬢……か」
人々が向ける好奇の視線をできるだけ気にしないようにして、儚げに見えるように微笑む。
「ええ。殿下の婚約者として過ごした時間は、思い出の中で大切にいたします」
本当は大した思い入れもないけれど。
そんなことはおくびにも出さず、淑女の礼を取る。
「では。これから様々な手続きも必要でしょうから、私はここで失礼いたします」
何も言えずにいる第二王子とレリーサに背を向けて、シエルは会場を後にした。
「疲れたわ……!」
帰宅したシエルはドレスを脱ぎ捨てるようにして楽な格好に着替え、ふかふかに整えられたベッドに倒れ込む。
あの後会場の外に出ると、不自然なほどぴったりのタイミングでハルティリンドの馬車が現れた。その上わざわざそれに乗って会場まで迎えに来た父親は、『お前ならやれると信じていた』などと抜かす。
現国王と父の間では、とっくに話がついていたらしい。それなら最初から教えてくれたら良かったものを、何故跡継ぎにもなれない娘を試すような真似をするのか、全く理解できない。
「──お嬢様。シエルお嬢様」
「レイゼル!? ごめんなさい、レイリアだと思ってた」
ドアの音で誰か入ってきたな、とは気づいていた。
しかし侍女のレイリアだと思って、それなら別にいいだろうと放置していたら、レイリアではなくその双子の兄のレイゼルだった。二人は魔力の気配がよく似ていて困る。
「でも、侍女でもないただの使用人が淑女の部屋に入るのにノックもないなんて、礼儀がなっていなくてよ」
冗談っぽく誤魔化したら、ため息を吐かれた。
「ノックはしましたし声も掛けました。お疲れなのはわかりますが、寝転がったままではさすがにだらしないですよ」
確かに、年頃の娘がいくら使用人とはいえ若い男の前で取っていい態度ではなかった。
「気を付けるわ……。それで、どうしたの?」
「今日の舞踏会での出来事をお聞きしましたので。これからどうするおつもりなのかと、お嬢様専属の使用人としてお伺いに」
そっか。
シエルはまさに今日、第二王子の婚約者という堅苦しい称号から解放されたのだ。
もう王城に通って勉強をする必要もないし、社交界で完璧な令嬢の仮面を被る必要もない。
しかし自由が得られた一方で、18にもなって婚約者を失ったという状況は貴族令嬢としては非常によろしくない。身の振り方を少しでも間違えれば、かなり不味いことになる。
「そうね……」
しかし、幸いにしてシエルは舞踏会で上手く立ち回った。その様子は多くの貴族たちが目撃している。
「今回のことは、きっとすぐ噂になるでしょう。『蒼の令嬢』の持つ推理力と観察眼は素晴らしい、ってね」
つまり、図らずも『ハルティリンド侯爵令嬢』ではなく『シエルという個人』としてある程度の信用を得られたとも言える。
「だから私、今なら『この事件をきっかけに興味が湧いたから、学園を卒業したら魔法の研究がしたい』って言っても受け入れられるんじゃないかと思うの」
「──研究、ですか」
「ええ。せっかく魔法が見える目を授かったのよ。この目があればわかること、この目じゃなければわからないこと、きっとたくさんあると思うの」
わざとシエルに解決を押し付けた父は、あるいはこれを狙っていたのかもしれない。魔法師団長だから当然といえば当然だが、父はあれで魔法狂いなところがある。
もっとも、そこでその道に乗っかってしまう辺り、シエル自身にもしっかり同じ血が流れていると言って差し支えない。
「あとは……今日はさすがに疲れたけれど、探偵の真似事も楽しかったわ。困っている人がいたら、またやってもいいかしらって思うくらいには」
「それでしたら、事件には困らないかと。既に『蒼の探偵令嬢』として噂になっているようで」
「……相変わらず耳が早いのね」
若干引き気味に言えば、それがなんだという顔で微笑まれた。
「お嬢様専属ですので」
この男、シエルと同世代の癖にたまに何を考えているかわからない。
「では、そろそろレイリアと交代の時間ですから失礼いたします」
「ええ、ありがとう。貴方のおかげで考えがまとまったわ」
返事の代わりに一礼した彼は、最後に思い出したように付け足した。
「『探偵令嬢』の件、こちらで取り計らっておきますね。シエル」
それは使用人ではなく、一緒に悪巧みをする幼馴染の顔。
突然のことで反応できないシエルにひとつウィンクを飛ばして、レイゼルは今度こそ部屋を去った。
続きは考えてなくもないので、連載化、反響によってワンチャンあります。
筆が遅いのでどうなるかは不明ですが……。
評価ポイント、感想ありましたらお願いします。励みになります。