エピローグ/新しい問題 01
トルフィネに帰って来てから三日ほどが経過した。
左半身の違和感は完全に消えて、血も戻り、ひとまずは安心といったところだろうか。
「……設計図に問題はなし。向こうの医者というのは大袈裟だな。むしろ、出血量の方が不味かっただろうに。三日でようやくというのは、かなり際どいところだ。あとコップ二杯分でも失っていれば、お前さんの身体は間違いなく機能不全を起こしていた。頻繁に怪我をするようなら、輸血に使えるように、定期的に自分の血は採っておいた方がおいた方がいいぞ? これはどちらにも言える事だがな」
そのお墨付きをくれたマーカスさんが、やや咎めるような口調で言う。
彼の診察所に足を運ぶのも久しぶりだけど、今日はやけに怪我人が来ていて(おかげで三十分ほど待つことになった)、目に見えて不機嫌そうだった。これは、あと一日遅らせてから足を運ぶのが正解だっただろうか。
「ですが、血液の保存は限られた条件下以外では難しいと聞きます。維持費も高いようですし、あまり現実的な話ではないかと」
淡々とした口調で、隣のミーアが口を挟む。
「話を真に受けるな。要は怪我をするなと言っているんだ。医者というのは非常に忙しいわけで――」
「マーカス先生! うちの小僧の足がへし折れた!」
外から切迫した声が届いた。
「……本当に忙しいな、今日は」
ため息をつきながら、マーカスさんが椅子から立ち上がり、急ぎ足で入口へと歩き出す。
愚痴を零しながらもその行動に一切の遅滞がないところが、本質を物語っているというか、そんな彼のあとをなんとなく追いかけると、入口には父親らしき男性と、七、八歳くらいの少年の姿があった。
「これはまた、ずいぶんと派手に折れているな。例に漏れず梯子からでも落ちたのか?」
「いや、梯子に着地するのを失敗して折ったらしい」
「まったく、子供という奴は危険な遊びが好きで困るな。とはいえ、普通は一度痛い目を見れば控えるものなんだが……まあいい」
半べそを掻いている少年に柔らかな苦笑を送って、マーカスさんは骨折箇所に触れ、その掌に金色の光を灯らせた。
治癒の魔法の光だ。
それは安心感を与えてくれる温かさをもって、瞬く間に少年の傷を消し去る。
そうして一仕事を終えたところで、彼はこちらに視線を向けて、
「あぁ、そうだ、帰る前に一つ頼まれて欲しい事がある。それで診察代は免除しよう。どうだ、引き受けてくれるか?」
「それは、内容次第だと思いますが」
やや警戒した様子で、ミーアが言葉を返す。
「簡単なお使いだ。冒険者組合に届けて欲しいものがあってな」
言いながら、マーカスさんは白衣のポケットから封筒を一枚取り出して、それをこちらに寄越してきた。
あまり組合に顔を出したくない事情でもあるのか、それとも単純に行くのが面倒くさいからか……多分後者なんだろうなと推測しつつ、俺はそれを受け取り、診療所を後にした。
§
特に急ぎの件ではなさそうなので、のんびりとした足取りで冒険者組合に向かっていると、ゴール間近でアネモーさんに出くわした。
ここでなら当然というべきなのか、普段着ではなく軽装の防具を纏った冒険者のなりをしている。
「あ、レニさんにミーアちゃんだ。こんにちは。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「ええ、そうですね」
はにかむようにミーアが微笑んだ。
レフレリで分かれていた時、彼女はアネモーさんと行動をしていたみたいだけど、その時になにかあったのか、以前よりも明らかに距離が近くなっているのが判った。
普通の友達から、仲のいい友達になった感じだろうか。
「あ、もしかして、組合に用があったり?」
「うん、マーカスさんに頼まれて、届け物をね」
と、俺は答えた。
「マーカス先生って事はあれかな、合同訓練」
「合同訓練?」
「二日後に騎士団と冒険者組合で大規模な模擬戦闘をする予定なんですよ。それで怪我人たくさん出そうだから、先生にそのあたりの事をお願いしようって話になってて」
「へぇ、そうなんだ」
つまりこの封筒の中には、その件の報酬であったり、拘束時間であったりについての事が記された契約書のようなものが入っているようだ。
「それ、初耳ですね。昨日から出勤しているのですが」
下唇に人差し指を当てながら、ミーアが微かに眼を細める。
需要が高そうな治癒師といってもバイトのようなものだから除外されているのか、それとも組織内の情報伝達が上手くいっていないのか……評判の悪さを考えると、なんとなく後者の線が高そうだった。
「まあ、あそこは色々と人手不足だからね」苦笑気味にアネモーさんはそう言って「そんな事より、二人はもう知ってる? 昨日うちに新しい冒険者がやってきたって話」
「……いえ」
怪訝そうな表情で、ミーアが首を振った。
自分たちにはあまり関係のない話に思えたからだろう。でも、まったく関係ない話題をアネモーさんが振ってくるとも思えない。だとしたら――
「――だから、そんな必要ないって言ってるだろ? 話の分からない地味眼鏡ね」
思考を遮るように、組合の中から聞き覚えのある声が響いた。
それは、トルフィネには居ない筈の人間のもので、
「あまり知る必要のない情報だったようですね」
刺々しい口調でミーアが呟く。
それに対して、アネモーさんは「あー、はは」と曖昧な笑みを浮かべた。
「まあいいわ。すぐに片付けて、あたしが本物だってこと、すぐに証明してやる。だから、これが終わったらまともな仕事寄越しなさいよね!」
勇ましい啖呵と共に、組合の扉が開かれる。
そして、三日前に挨拶をする機会もなく別れたユミル・ミミトミアと、ガフ・ザーナンテの二人と、再会する事になったのだった。
次回は三~四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




