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 五分ほどの時間をかけて治療は完了し、見るも無残だった左半分の傷は消え去って、少しの違和感が残る程度に収まった。

 反面、それによって大量の血液を失った所為か、やけにふわふわする感覚になっていたが、まあ、歩く事くらいは出来そうなので、このあと戦闘でもない限りは特に大きな支障もないだろう。

「ありがとうございました。二度も助けてもらって」

 と、俺は治療してくれた医師に感謝を述べた。

 まさか、またお世話になるとは思っていなかったので、ちょっとバツは悪かったけれど。

「……あの時は、脅しに屈して良かったよ。無実の人間を拒むなど、人としてあってはならない事だからな」

 そう言って、ラウが押し入った家にいた彼は、微苦笑を浮かべた。

 どうやらアカイアネさんが誤解を解いてくれていたようだ。だからこそ、これだけスムーズにミーアも戻って来れたんだろう。もちろん、多くの怪我人が出る事を想定して、このあたりの階層に医師が派遣されていた事が一番の要因ではあるのだろうけれど。

「では、私はこれで失礼させてもらう。他にも治療が必要な者がいそうだしな。……まあ、それほどの人数はもう治せないだろうが」

「すみません」

 それだけ多くの魔力を、俺一人に使わせてしまったようだ。やはり、この魔法は自分に使うものじゃないという事なんだろう。そんな反省も抱きつつ、頭を下げる。

「あぁ、いや、責めているわけではないんだ。ただ、それだけ深刻な損傷だった。今のところ問題は見当たらないが、設計図関係の傷はあとから滲む事もある。だから、日を置いてもう一度、高位の医師に見てもらった方がいい」

「わかりました。……手持ちで、足りるといいんですが」

 財布を取りだしながら、今いくら持っていたかを指先で確認する。

 散財はしていないから、多分足りるとは思うけれど、こういう時の相場とかはよく判らないので、ちょっと不安だった。

「いやいい。もう貰っている。あれは二度程度の治療では到底得られない大金だった。それに、そもそもこういう有事の際は、組合から手当てが出るのでな。どちらにしても必要ない」

 ちょっと焦ったように彼は言った。

 なんだか善意に水を差すような真似をしてしまったようだ。もう少し様子をみてから、切り出すかどうかを考えるべきだったか。

 頭が回っていない証拠だ。これも重度の貧血の所為――と、今は言い訳しておくことにして、俺はそそくさと次の現場に向かって、一緒だった護衛の二人と共に駆けだしていった彼を見送った。

 そうして、ミーアと二人きりになる。

 なんだか久しぶりのシチュエーションだ。実際はそんな事もないんだけど……思えば、今回の件を除いて、一緒に暮らすようになってから一日以上顔を合わせなかった事は一度もなかったのだ。だからこそ、こんな短い空白でも久しいと感じたんだろう。

 その所為か、切り出す言葉に迷いが生じていた。

 向こうもそうだったのか、ほんの少しのあいだ居心地の悪い沈黙が過ぎる。

「……痛みなどが、残っていたりはしませんか?」

 それを先に蹴ったのは、ミーアだった。

「あぁ、うん、大丈夫」

「そうですか。良かった……」

「ミーアの方こそどうなの? そっちも結構酷い状態だったように見えたけど」

「身体の方に特に問題はありません。半日程度もあれば、魔力も回復するでしょう。……それよりも、あの、ここにいても大丈夫なのですか?」

 どこか躊躇いがちに、ミーアはそんな事を訪ねてきて、

「あ、その、魔物はもういないようですが、まだ全ての人が敵ではなくなったと断定されたわけではないですし――」

 そこで、天井や壁に多数の映像が浮かび上がった。

 映像の中身は一緒で、身なりのいい一人の男性が中央に立ち、開幕頭を下げるというもので、彼はレニ・ソルクラウが無実である事、祭りのための儀式が悪用されていた事などを説明し、最後にその問題が片付いた事をはっきりと宣言した。

 それが終わると、映像はリピートされ、また頭を下げるところから始まる。

「どうやら、心配事はなくなってくれたみたいだね」

 これで背中を気にする事なく、この街を歩けるようになったわけだ。

 その点にほっとしつつ、

「このあと、どうしようか?」

 と、俺はミーアに訪ねた。

「え?」

「まあ、さすがに残りのお祭りに参加する気分にはなれないけどね。良くも悪くも嫌というくらい有名人になって、気軽には楽しめないだろうし」

「そう、ですね」

 はにかむように、ミーアが微笑む。

 それから彼女は思案するように視線を落として、

「では、転移門を使って、もうトルフィネに帰るというのはどうでしょうか? のんびり静養するのなら、それが一番だと思いますし」

「そうだね、それがいいかもしれない」

 仕事はもう終わっているわけだし、リッセとかドールマンさんあたりに報告すれば問題もないだろう。アカイアネさんとは少し話したい事があったけれど、それも後日、色々と落ち着いてからでも問題ない。時期さえ待てば、転移門一つで、またこの都市には来る事は出来るのだから。

 地面に預けていたお尻を持ち上げて、俺はゆっくりと立ち上がる。

「うん、それじゃあ、挨拶だけ済ませたら――」

 どうしてか、そこで言葉に詰まった。

 急に喉を絞めつけられたような圧迫感に襲われて、自分でも理由が判らなかったから戸惑って、それでもなんとか続きを吐き出す。

「……帰ろうか」

 少し変な間ができてしまったから、それを埋めるように明るい声を意識した。

 上手くはいかなかった。

 こういう微調整には慣れている筈なのに、何故か声は上擦っていて――不意に、ミーアが驚いたような表情をみせた。

 理由は、すぐに判った。

 視界が急にぼやけて、瞬きと共に涙が落ちたから。

「おかしいな。本当に、痛みとかはもうないんだけど――」

 一度零れると、堰を切ったようにそれは頬を濡らして、その度に地面で弾ける。

 拭っても拭っても、止むことはなくて…………あぁ、そうか、本当に終わったんだなって、自分が選んだ事の結果が出たんだなって、それを今根っこの部分が自覚したんだって気付いた。

 気付いたら、胸の奥に押さえつけていた色々な感情が噴き出てきて、ついにはカチカチと歯まで鳴り始めた。

 せっかく無理して立ち上がったのに、また膝から崩れて、惨めな顔を手で隠すことくらいしか出来なくて……あげく、それを他人に見られるなんて、醜態にも程がある。

 最悪だ。最後の最後でどうしようもない。

 母が死んだ時だって泣くことはなかったっていうのに、どうしてこんなところで……

「――ぁ」

 不意に、柔らかな感触を包んだ。

 それはぎこちなく抱擁してきたミーアの身体で、

「大丈夫。大丈夫ですから」

 その声を聞いた瞬間、堪えを失ったみたいに、嗚咽が零れた。


       §


 ……アネモーの前で、泣いていて良かった。

 経験が無かったら、自分にはどうしていいか判らなかっただろう。ただただ狼狽えて、きっと彼女に無理矢理涙を拭わせていたに違いない。そうならなくて、本当に良かった。

 そんな事を思いながら、ミーアはレニを抱きしめていた。身体中を震わせて、声を押し殺して泣いている彼女を抱きしめていた。

 どうして彼女が急に泣きだしたのか、正確な理由は計れない。

 ただ、それでも、彼女がこちらを選んで泣いたという事だけは、はっきりしていた。

 いつも理性的で居たこの人が、自分を制御できないくらいに苦しんでいる。それは、自分でも把握できないほどの大きな喪失の表れだ。

(なのにどうして、帰らなかったんですか?)

 知りたい気持ち。

 でも、とてもじゃないけれど、聞けない想い。

 これから先も、それを言葉にする事はないだろう。言葉にしてはいけないのだろう。

 だから、その代わりに、より強く抱きしめた。

 彼女を失う事を畏れるように。彼女の震えが治まるように。

「……ごめん」

 レニの唇から、消え入りそうな声が漏れる。

 途切れ途切れに繰り返されるその言葉は、彼女が本来居た世界の誰かに向けたものなのか、或いはミーアに向けたものなのか。

 どちらにしても、寂しい懺悔だ。まるで自分がけして許されない存在だと悟ってしまっているみたいな、たった今独りきりを享受してしまったみたいな、どうしようもない絶望感がそこには滲んでいた。

 嫌だった。許せなかった。

 でも、同時に、これ以上ないくらい嬉しくもあった。

 この人はミーアと違って独りでも生きていける人なんだと勝手に思っていたけれど、全然違ったのだ。

 居場所を失って自棄になっていた自分を救ってくれたあの時の言葉は、本心だった。この人は本当に自分と一緒に生きていたのだ。

 矛盾した二つの気持ちに振り回されて、なんだか自分も泣きそうだった。

 それを堪えながら、ミーアは言葉を紡ぐ。

 今までの感謝と、これからのよろしくを込めて。

 なにより、それが彼女を救ってくれる事を願って。今度は自分が手を差し出すように。

「大丈夫、大丈夫ですから。……どんな貴女も、私は大好きですから」


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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