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 他人を殺したというのに、これといった衝撃も覚えない。その事実に向き合う間もなく、左肩に凄まじい痛みが走った。

 激痛は首、脇腹、腰へと走り、筋肉の筋がぶちぶちと切れる音を鼓膜に届ける。

「……あぁ、これは、酷いな」

 痛みの箇所に視線を向けて、俺は掠れた声をもらした。

 捻じ曲がって割れた鎖骨が肉を突き破って顔をだしている。

 義手を振り抜いた直後に真ん中から千切れた二の腕からは大量の血が噴き出ていて、あっという間に地面に血だまりを作りだしていた。

 肋骨も複雑骨折しているようだし、内臓にもかなりのダメージがあったんだろう。急に込み上げてきた吐き気と共に、大量の血反吐が溢れ出る。

 その苦しみを前に、上体は否応なく再び地に伏せる事となった。

 ここで、意識を手放せたら楽だっただろうに、

「レニさまっ!?」

 悲痛なミーアの声を聞いた所為で、堪えてしまった。

 気絶なんてしたら、余計に不安にさせてしまう気がしたからだ。

「大丈、夫」

 これ、ちゃんと声が出ているんだろうか?

 自分の耳には、ひゅぅ、ひゅうぅ、という空気の漏れるような音しか聞こえなかった。

「すぐに治療します」

 俺の傍らで片膝をついたミーアが、真っ先に胸の下に右手をあてる。

 どうやら内臓が一番危険な状態にあるようだ。

「止血はできますか?」

「あぁ……うん」

 傷口を自身の魔力で覆おうと試みる。

 基礎も基礎の魔力操作だ。この世界に来たばかりの時ならいざ知らず、今なら造作なく行える……筈だったんだけど、どうも魔力が上手く扱えない。気を抜くとすぐに血が零れてしまいそうな有様だった。

「応急処置ではありますが、臓器の損傷は抑えました。ですが……」

 肩の方に見つめるミーアの表情が微かに歪む。

 そこで、自分の勘違いに気付いた。

 不味いのは、肩の傷の方のようだ。ということは、魔力が上手く扱えないのも、痛みなどの所為で集中できないからとかではなく、魔法の副作用とみた方が良さそうである。

 止血は長く維持できないかもしれない。そうなれば、待っているのは出血死……。


『――聞こえるかしら?』


 嫌だな、と朦朧中の意識が歯を食いしばったところで、アカイアネさんの声が届いた。

 ミーアには聞こえていないようだ。それが彼女の魔法に拠るものなのか、誰かの音魔法を用いての事かは知らないけれど、ミーアに聞かれるのは避けたい話題という事なんだろう。

 だとすれば、きっと朗報。

『こちらは退けたわ。そして門もまだ開いている。ラウ・ベルノーウ、想像以上の怪物ね。私では勝てないかも。きっと、あの強さはラガージェンにとっても誤算だったのでしょう』

 その読みを肯定するように、アカイアネさんはそう言った。

 まだ、帰る手立てが残っている……。

「……そう」

 吐息のような頷きが、零れた。

 それはアカイアネさんに対する反応だったけれど、ミーアには俺が自身の状態を理解して頷いたように見えたのかもしれない。

「すぐに高位の治癒師を連れてきます」

 そう言って、ミーアは立ち上がった。

 周囲に広げていた魔力が落ちついたところを見るに、もう目当ての相手は見つけたのだろう。仕事の早い事だ。でも、大事なものを見落としている。

「その前に……二人を、治してあげて」

 視線をミミトミアの方に向けて、俺は言った。

 治癒のおかげか、今度は上手く声は出てくれたようだ。故に、ミーアは怪訝そうな表情を浮かべて、

「二人ですか? 彼女だけではなく」

「うん、二人」

 ザーナンテさんが裏切り者であったとしても、それはアカイアネさんに対するものであり、俺たちに対するものじゃない。

 なら、許すか裁くかを決めるのも彼女であるべきだろう。

 まあ、それは彼女の声を聞いて思ったことなので、聞いていなかったらどうしていたのかは自分でも判らないが。

「……了解しました」

 数秒ほどの逡巡の後、ミーアは倒れている二人の元に駆け寄って、治癒の魔法を施していった。

 向こうはそれほど強い魔力を受けたわけではないので、深手を癒すことも十分可能だろう。

 その様子をぼんやりと見つめている間にも、徐々に止血の効果が落ちてきているのを物語るように、血の雫が地面に落ちる音がテンポをあげていたが、努めて気にしない事にして、俺は口の中で消えるような小声で言った。

「アカイアネさん、柊さんに……」

『彼女に、なにか伝える事があるの?』

 これくらいのボリュームでも、十分聞こえているようだ。

 それに安堵を覚えつつ、言葉を続ける。

「お願いが、一つあって」

『少し待って、彼女に代わるわ。……でも、本当にいいの?』

「ええ。ありがとう、ござます」

『……それはこちらの台詞よ。ありがとう、二人を助けてくれて』

 その声に微かな苦みがあったのは、やはりドゥーク・ラフシャイナが原因か。

 彼を殺した事に今も後悔はないし、もう一度あの場面をやり直せるとしても、必要だから行った事なのでまた同じことをするだろうけれど、それによって生じた他の人の痛みを目の当たりにすると、やっぱり罪の意識を覚えずにはいられない。

 面倒な話だ。この苦々しさは、きっと自分の中に滞積していくことになるんだろう。

 もっとも、それを実感する前に、死ぬ可能性の方が今は高いわけだが……

「すぐに、すぐに戻ってきますから。意識を手放さないでください。私みたいな半端な治癒師でなければ、ちゃんと治せる傷ですから」

 二人の治癒を終えたミーアが早口に言ってから、全速力で駆けだしていく。

 その慌てぶりを見せつけるように途中で躓いたりして、本当に危なっかしい必死さで、なんだか可笑しかった。愛おしいくらいに、可笑しかった。

 もしかしたら、それが決定打だったのかもしれない。

『あ、あの、私にお願いしたい事って……?』

 ミーアを見送ったところで、柊さんの声が届く。

 不安そうな声色。彼女からすれば、まだ全てが上手く行く保証なんてどこにもないのだ。それはそうだろう。そこに余計な頼み(それもなかなかに重たい類)を押し付けるのは、ちょっと申し訳なくもあったけれど、それでも他に頼める相手はいない。

「二人ほどにね、伝言をお願いしたいんだ。片方は、遺言という事になるのかな」

 母と義父の事を思い浮かべながら、俺はこれから元の世界に帰る彼女に、回避できるかもしれない幼い倉瀬蓮の悲劇と、俺自身が向こうに残してきた唯一の心配事を託すことにした。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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