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 ……俺は、何をしてるんだろう?

 全身の痛みを堪え、乱雑に剣を振りまわしながら、冷めた思考が自問する。

 不意打ちで喰らった矢は、右の太腿と左わき腹、右肩に刺さったままで、酷く動き辛い。それでなくともネムレシアとの戦いで負った傷が響いている。

 本当、こんな状態で自分は一体なにをしたかったのか。

 思い通りに動かない身体は、目の前の敵をまったく捉える事が出来ない。攻撃をする度に全身が強張るのだ。痛みにこれほど支障を覚えたのは、久しぶりな気がした。

 まったくもって煩わしい。アドレナリンが足りていない。或いは、そもそもの心構えが出来ていなかったのか。

 ――殺して、やる

 絞り滓のような憎悪で、縋りつくように拵えた指針で、なんとか歯を食いしばらせる。

 目の前の男が全ての元凶というわけではないけれど、そう思わなければ耐えられそうになかった。

「私だけ見ていていいのか?」

 ドゥーク・ラフシャイナのその問い掛けと同時に、衝撃が走る。咄嗟に上体を逸らしたけれど、飛来した矢を躱しきれなかったのだ。

 結果、視界の右半分が真っ赤に染まった。血液の垂れる音と耳鳴り音が、いやによく聞こえる。

 頭はまだ真っ白に混濁したままだだ。他人事のような己の醒めた声だけが、胸の内でぶつぶつ呟いている。

 やはり見捨てるべきだったと。選択を間違えたと。だから、こんな見苦しい有様になっているのだと。

 ――煩い

 そんな事、判っている。

 利口な行動じゃないのなんて、後悔するのもおこがましいくらい明白だ。

 それでも、止まれなかったのだ。感情的にならずには居られなかった。あの場で深呼吸を取る事は、どうしても無理だった。

 おかげで、こうして思い知らされている。

 頭の中で定めていた優先順位と、実際のそれが決定的に異なっていた事を。

「――ぐぅ、がぁあああ!」

 これは痛みへの抵抗か、儘ならない自身への怨嗟か、どちらも孕んでいそうな咆哮を吐きながら、俺は剣を振りあげる。

 それをラフシャイナ目掛けて叩き落とそうとした時、右の二の腕を矢が貫いた。

 握力が死んで、右手にもっていた剣が零れ落ちる。

「終わりだな」

 つまらげな呟きと共に、ラフシャイナが両手で剣を握りしめ、大上段から振り下ろした。

 反応は出来なかった。出来たとしても、取れる対処もなかった。

 為す術なく袈裟懸けに切り裂かれる衝撃を味わって、べちゃ、と自身の血だまりに倒れる音を聞く。

 ……天井が、やけに離れて見えた。

 起き上がろうとしたけれど、その力が入らない。

 無理をしてきた身体が、無理に慣れているこの身体が、ついに限界を迎えたようだ。……いや、或いは、これ以上は無意味だと心の方が勝手に折れてしまったのかもしれない。

「――させない!」

 そんな諦観に活を入れるように、鋭い気迫が肌を叩いた。

 続けて視界にミーアの背中が入ってきて、重たい斬撃音と鈍く痛ましい音が重なる。

 骨が折れたのだ。それも一か所どころの話じゃない。

 それでも、ミーアはナイフを落とさなかった。それどころか一歩前に踏み出して、相手を一歩後ろに下がらせて、

「貴方の相手は、私です。余所見ばかりしていると、死にますよ?」

「それは怖いな」

 侮蔑を含んだ笑い声。

 ただでさえ劣勢だったのに、足手纏いまで背負い込んだのだ。敵からすれば、たしかに笑い話にしかならないだろう。

 その愚を知らしめるように、ラフシャイナの攻撃が激しさを増していく。

 ミーアは卓越した業をもって、それらを凌いでいるけれど、もう限界だ。…………そんな侮辱的な思考を、一体何度したことだろう。

 まだ崩れない。

 今にも終わりそうなのに、その度に必死にしがみついて彼女は耐えている。

「……もういい」

 左腕は、一度くらいなら強く動かせる。

 よろめかす事が出来れば、離脱する時間くらいは作れるだろう。だから、これ以上はいい。彼女がここで死ぬ理由なんてどこにもないのだ。

 そもそも、ここに来る理由だって、俺が居なければなかった筈だ。俺が帰る事さえ選ばなければ、こんな事態には――

「――く、はは」

 可笑しかった。

 本当、莫迦みたいだ。

 此処に来た事を後悔したくせに、今は後悔したことをどうしようもなく許せないでいる。

 ……あぁ、あのラガージェンという男の言う通りだ。

 母を救えるのなら、なによりもそれを遵守するべきだというのは、罪悪感から来ているものだった。

 父親という立場にいたあの男を俺が殺せていたら、母は誰かに殺されるような人間にはならなかったから。

 彼女は他人を殺した所為で怪物になったのだ。目的の為ならなんだってやる、そんな怪物に。

 俺には止めれなかった。否定してしまったら、母がもっと壊れてしまうような気がして。なにより、二人で不自由なく暮らしていけるのならそれが一番だっていう言葉に溺れて。

 ミーアは、母によく似ている。

 色々と不安定で、危なっかしくて、放っておけないって無性に思ってしまうところなんかが特にそう。

 強いくせに驚くくらい弱くて、心配で、大切で……今、生きている彼女。

 結局、どうして此処に来てしまったのか、その答えはそれに尽きるんだろう。

 やっぱり、遠い夢は見れないのだ。

 こうして紛い物の英雄の身に転生するなんてデタラメな体験をしたって、倉瀬蓮はつまらない人間のままで、だから俺は母が死んでからも、殺されるその時まで無意味にしか思えなかった生を続けてきた。あの世なんて世迷言を都合よく信じれたら後を追うだけでよかったのに、自殺は選べなかった。そんな事をしても、義父がただ追いつめられるだけだと感じたからだ。

 どちらも捨てたくないと思えるくらいに大切なら、より可能性が高い方を、現実味がある方を、俺は選んでしまう。

 自分の一番嫌いな部分だ。中途半端な小賢しさに反吐が出る。

 ……だけど、今はそれでもいい。あとでまた堂々巡りに後悔したって構わない。

 厳しい状況だが、こちらには活路があるのだ。

 ミーアが引き受けてくれたおかげで、多少身体は休めた。

 今なら、矢の痛みに堪えながら身体を素早く起こす事も可能だろう。その状態で左腕を揮える。

 チャンスは一回限りだろうけど、一撃あれば十分だ。

 どのみちレニ・ソルクラウの切り札は、一度きりしか使えない。

 腕が千切れるか、肩ごと裂けるか、下手をすれば上半身が完全に壊れるなんてこともありそうだが、どうせこんな有様だ。それにゼラフ・ガッドナイドに使った際の結果もある。想定をはるかに超えて酷くなる事もないだろう。なったとしても死ぬだけだ。なにもしないで諦めるのと大して変わらない。

 そして誰かを殺す準備はとうに出来ている。対象が変更されただけだ。それも、より容易い方に。

「……ミーア、もういい。時間稼ぎは十分だ」

 さっきはろくに空気も震わせなかった声を、今度ははっきりと響かせる。と同時に、左腕に鋭利な爪を具現化させて、確実に届くリーチにまで伸ばしていく。

 それで、こちらの意図は十分伝わっただろう。

 ミーアの股下から見えるラフシャイナとの距離は五メートル程度。相手はこちらの魔力を感じて咄嗟に飛び退こうとするけれど、それよりもこの身が有しているもう一つの魔法を発動する方が早い。

 込めるのは左腕。求めるのは速さ。

 相手が一切反応できない領域で、具現化した爪を振りぬく。そんなイメージを込めて、自壊必至の魔法をこの身に宿す。

 そして、ミーアが最後の力を振り絞るようにナイフを投げつけながらこちらの後ろに降り立つように跳躍したのに合わせて、俺は勢いよく上体を起こしながら、左腕という得物を振りぬいた。

 ……手応えなんてものは、どこにもなかった。

 自分自身、それを視認することすら儘ならない。

 横薙ぎに放った爪は、空気を裂くよりもスムーズにラフシャイナの胴体と首は跳ね飛ばし、問答無用で絶命させていた。

 あっけないくらいの勝利。

 手触りすらない、初めての殺人。

 そこに、後悔は欠片も存在していなかった。


次回は三~四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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