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 鼓膜を莫迦にする大音量が、怒涛のテンポで鳴り続けている。

 その全てはミーアがドゥークの斬撃を受けた結果によって生じているものだ。

 本当、嗤えてくるくらいの防戦一方。ここまで他に手が回らない状況というのも珍しい。……いや、珍しいどころか、もしかしたら初めての経験かもしれなかった。

「――ぐっ!」

 大上段からの一撃を受けた衝撃で、また掌の骨にひびが入る。

 治癒の魔法で即座に治すが、治すたびに壊れて、壊れるたびに治癒速度が落ちていっているので、魔力の消耗も加速していた。

(無様ね)

 技術に劣る相手の攻撃を、いなす事すら出来ない。

 全て見えているのに、癖やリズムだってとっくに看破しているのに、身体が必要最低限の事にしか許してくれないのだ。

 それほどまでに、ミーアの速度は殺されていた。周囲を乗っ取った重たい粘性の空気が、さながら水の中にいるかのように、一つ一つの行動にブレーキをかけてきていた。

 厄介なのは、このブレーキの効果が他人によってかなり違うという事だ。

 ドゥークが広げた魔法は場に特殊な抵抗を発生させるものなので、魔法を使った当人にも負荷がかかっているのだが、その差異の所為で彼には殆ど影響が見当たらなかった。

 彼の肉体が有しているパワーが、その抵抗をものともしない程度に強かったためだ。そしてそれはミーアに最も欠けている能力でもあった。

(今からでも、速度に回している魔力を力に移す……?)

 身体能力というものは、魔力の質や量、そしてそれを宿す箇所によって大きく変化する。

 だからこそ、宿す箇所を変更すれば、瞬時に今の三倍程度の力強さを獲得する事も出来なくはないわけだが……。

(――愚問ね)

 追いつめられてようやく発想に到る時点で、それがどれだけ無意味なのかは明白だった。

 そもそもミーアが肉体に込められる殆ど全ての魔力を速度に注ぎ込んでいるのは、そうでなければろくに戦う事も出来ないからだ。バランスを選ぶには魔力量が少なすぎるのである。

 あげく、そちら方面の適性は、帝国時代からそこまで高くないというのもあった。哀しい事に、そういった特徴は核を失った今も特に変わっていないので、仮に魔力の配分を変更して抵抗を打破出来たとしても、きっと今より遅い状態になるだけだろう。そうなれば、無様な防御すら間に合わなくなる。

(治癒が機能するのは、最大でも二分程度)

 ナイフが握れなくなれば、そこで終わりだ。

 それまでに、この単調な防戦に、なにかしらの変化を与えなければならない。

 とはいえ、自分にそれは不可能だろう。このドゥークという男は実に堅実にこちらを潰しに来ている。

 頭や手足といった小さな的は一切狙う事なく、ただただ胴体や胸といった身体の中心部分を、無理することなく攻めたてるという戦術は、徹底してリスクを嫌うものだった。

 まあ、そのおかげでまだ生きているともいえるが、その所為で現状からまったく抜け出せない。

 他力本願しか残されていないというのは、なんとも苦々しい話だ。ましてその相手が、ユミル・ミミトミアなどという弱者なのだから、いっそ現実逃避にも等しい。

(でも頼るしかない、か)

 不幸中の幸いというべきか、一応ではあるが好材料は存在している。

 ユミルはドゥークの魔法の影響を、ガフほどには受けていないという点だ。魔力の扱いも、戦闘の技量もお粗末な彼女だが、魔力の量と質だけはそこそこ上等な部類に入るのである。

 結果、負傷分のマイナスを埋める程度に、ガフとの戦いは拮抗していた。それも、どちらかと言えば優勢と言える傾きの中で。

(こちらが終わる前に、二対一の構図を作る)

 なんとかしてユミルを勝たせる事が、唯一の活路だ。

 その為に、何をするべきか……残念ながら、妙案がすぐに浮かぶ事はなかったので、とりあえずガフという敵の事を改めて考えてみる。

 まず、どうして彼は敵側についているのか?

 元々ドゥークの部下だったというのが妥当な線だが、ナアレの傍にはどれくらいの期間いたのだろう? それ次第によっては、今の状況に思うところがあっても良さそうだ。

(そこを突く?)

 いわゆる情に訴えるという奴だが、ミーアはそういうのがあまり得意ではないし、そもそもそれをするのはユミルの役割だろう。彼女にその気があるのかどうか……。

「そういや、まだ聞いてなかったけどさ、あんたなんで裏切ったわけ?」

 こちらの思考を読み取ったわけではないだろうけれど、ユミルがガフに声を掛けた。

 ガフは無言だ。会話などという平和な戯れに付き合う気はないらしい。

 けれど、ユミルはお構いなしに続ける。

「あんた、何度ナアレさんに助けられたよ? あの人にどれだけ良くしてもらった? その恩をこんな風に返すって、どんな神経してたらできるわけ? 何とか言えよ! この糞野郎!」

「……安い挑発だな。そんなのに掛かるのはお前くらいだぞ、ユミル」

 微かに目を細めて、ガフは吐き捨てた。

 ずいぶんと硬い声だ。多少の負い目はあるという事だろうか。もう少し突いてみるのも悪くないかもしれない。

「貴方は忠実でいたいのですね。大勢を犠牲にしてでも揺るがないほどに」

 自身の指の骨がベキバキと音を立てるのを聞きながら、ミーアは淡々とした口調で言った。

 多少は刺さるものがあったのか、ガフの表情が微かに曇る。

 それをユミルもちゃんと捉えていたようで、

「……あぁ、そういう事か。納得したわ。全部他人に預けてりゃ、そりゃあ何も考えなくていいから楽だもんね。そうだよ、あんたは最初からそうだった。つまり、最初からナアレさんを嵌める為に仲間になったってわけだ。そいつに言われるままに。本当、莫迦よね、あんたって。どっちにつくのが正しいのかなんて、少しでも考えればわかるってのにさ。そんな事すら放棄してるから、あんたはレフレリの敵にまでなった。破滅する未来を選んだんだ。あたし以外の奴にも、当然のように糞野郎って呼ばれるような奴に成り下がった」

 と、皮肉たっぷりにそう吐き捨てた。

 ついでに、炎を放ちガフの身体をあぶってみせる。

 それを硬質化の魔法で凌ぎながら、ガフは冷静を取り戻したように落ち着いた口調で言った。

「破滅なんてしない。全部予定通りだ。俺は言われた通りに上手くやったんだからな」

 そこに虚勢はない。

 彼は本当に自分が上手くやれたことを誇っているのだ。

 でも、その心情こそが大きな穴とも言えた。

「本当にそうですか? その割に、彼の方はあまり貴方の事を信用していなかったようですが」

「――え?」

 ミーアの問いに不意を突かれたように、努めて冷静であろうとしていたガフが、間の抜けた反応を見せる。

 今のはかなりの隙だったのだが、ユミルは攻撃を仕掛けなかった。

 さすがに舌打ちをしたい気分である。こちらは終わりが近づいているというのに、この女は何を悠長に会話を優先してくれているのか。

 ……とはいえ、有効だったのは確かだ。このままもう少しそのあたりを攻めて行けば、彼女でも動けるくらい大きな動揺を見せてくれるだろう――と、ドゥークも感じ取ったのか、

「この状況でお喋りとは、ずいぶんと余裕だな」

 今までよりやや強い一撃と共に、少しテンポを変えてきた。

 嫌っていた変化を自ら求めたのだ。

 ならばとミーアは言葉を続ける。

「どうやら図星だったみたいですね。焦りが行動に出ていますよ?」

「安いハッタリだ! ……そうですよね? 俺は言われた事だけちゃんとやってたんだから!」

 露骨に不安そうな表情と共に叫び、ガフがドゥークを見やる。

 そこには彼の背景がじんわりと滲んでいるようでもあった。

 自分で決めた事が招いた悲劇。具体的に何があったのかなんて判る筈もないし興味もないが、おそらくは過去(それも幼い頃だと思う)にあった後悔が、彼の行動原理となっているのだろう。

「そんな顔をするな。私はお前を信じている。お前は誰よりも忠実な私の部下なのだからな」

 安心させるようにドゥークが微笑む。

 それでもガフの不安は消えない。

「――っ!?」

「遅い!」

 鈍ったところに今度はユミルが攻撃を仕掛けてくれた。

 掠った程度だが、体勢は大きく崩れた。

 このまま畳み掛けてくれれば、狙い通りの状況に――なんて希望が芽生えた瞬間に、ドゥークの剣が彼の手から消えて、

「ほら、今この瞬間も私の役に立ってくれた。見事な死角だったぞ、ガフ」

 無造作に投擲されていた剣は、ガフの背中を貫き、そのまま踏み込んでいたユミルの胸に突き刺さっていた。

 心臓は外れたが、おそらく肺をやられたのだろう。ゴボゴボとユミルが激しく吐血する。

 その音を心地良さ気に聞きながら、ドゥークは腰に携えられていた予備の短剣をゆったりと抜いて、

「これで一対一。妙な場面で数的不利が生まれる状況だけが不安だったが、こうして見事に払拭されたわけだ。私も向こうの様子が気になるのでな。こんなところで無駄な時間を使う気はない。だから、早々に死んでくれるとありがたいものだな」

「――くっ!」

 狙いが読まれていた。

 まあ、露骨だった部分もあったので、それ自体に驚きはないが、まさかこれほど早く、しかも部下を犠牲にする手を打ってくるとは思っていなかった。

 ……やはり、他人を使った小細工は苦手だ。

 そんなつまらない事実を噛みしめながら、ミーアは敵が素手になった瞬間に咄嗟に振りぬき首筋に紅い筋を刻んでいた(頸動脈には届かなかった)ナイフを、今一度強く握りしめて、同じ箇所をあと二回切り裂けば届くだろうという計算を立て、狙いをその一点に絞り――そこで、こちらに近づいてくる気配を捉えた。

 レニだ。間違いない。凄まじい速度で一直線にこちらに向かってきている。

(向こうの問題が片付いた?)

 いや、まだ異常な魔力は健在だ。むしろ、激しさを増していると言ってもいい。

 ナアレに任せてこちらに来たという事なのか……?

 いずれにしても、時間稼ぎには成功したようだが。

「厄介な相手が迫ってきているようだな。ここが保険の使い時か」

 ぼそりと、ドゥークがそう呟き、こちらへの攻撃を再開しはじめたところで、彼の懐に踏み込んだレニの姿が視界に入ってきた。

 傷だらけだ。それに魔力もかなり消耗している。

 その影響もあるだろうし、此処に来ることを最優先して速度に傾けていたというのもあるのだろう。肉体を守る魔力の密度が普段よりずっと低かった。

 それはつまりは、強固な彼女の防御力が崩れていると言っても過言ではなくて――

(――っ、伏兵!?)

 ずいぶんと上手く潜んでいたのか、攻撃に移ったこの瞬間まで感知できなかった。

 数は三。武器は弓だろうか。

 そしてレニは敵意を露わにした彼等の存在にまったく気付いていない。普段の彼女からは想像出来ないほどに、視野が狭まっている。

 その先にある結果は、語るまでもなく――

「――ダメっ!」

 ミーアの叫びも虚しく、飛来した三本の矢はレニの身体をまるでただの少女の柔肌を相手にするように容易く、射抜いた。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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