18
「……ナアレ、さん」
ドゥークとガフの二人の足止めを行っていたユミルが、苦痛を滲ませた声で呟く。
右肩と左わき腹、あと足の甲を程良く刺されたようだが、命に別状はなさそうだ。一応、間に合ったという事にはなるのだろう。
(先に出た二人は、そのまま魔物の対処に向かったようね)
切り捨てられ息絶えた仲間は、ユミルがやったものだと判断したようだ。もちろん、そう判断するような言葉をドゥークが用いた可能性は高かったが。
「貴方、今の状況は判っているでしょう?」
惨状を前に微かに目を細めながら、ナアレが口を開く。
「あぁ、全て予定通りだからな」
と、ドゥークは誇らしげに言った。
その言葉にナアレの眉がピクリと動く。
強張った空気。焦りと憎悪に乱れる魔力。
やはり彼女は、出現した異常な存在とそれなりに深い関わりがあるようだ。
でも、おそらくだがドゥークの方は無関係だろう。これはブラフ。ナアレの心情をより掻き乱すための嘘に過ぎない。
(想定外の事には弱そうですしね)
強者というものは、得てして追いつめられる経験に乏しいものだ。特に、一人勝ちしているような環境では尚更。……まあ、そうは言っても経験は豊富なようだから、立て直しが出来ないほど脆くはなさそうだが、生憎とそれを待つ時間もない。
「なにをぼけっとしているのですか? 私は貴女の為に此処に来たわけではないのですよ? 早く行ってください。行って、レニさまの助けになって」
動揺の隙を埋めるように踏み込んで、ミーアは先手の一撃を打ちこみながら言った。
「……」
こちらとしては即座に行動して貰いたかったのだけど、ナアレは動かない。
不可解な話だ。足手纏いのお仲間を抱えてでも、今なら造作なくこの場から離脱する事が出来ただろうに、彼女はこちらを気遣ってきたのである。
(……傲慢な人)
つくづく不愉快だ。
そんな心配をされずとも、倒せない事など判っているし、その上で負けない術も心得ている。
要は、向こうの問題が片付くまで、耐えきればいいだけの話なのだ。
無論、死ぬ可能性はかなり高いだろうが、不可能というわけでもない。そして、不可能でないのなら、やり遂げるのが『軍貴』というものだ。
守るべき国を失い、家を失い、力を失っても、戦いの中となればミーア・ルノーウェルは今も変わらず貴族なのである。この身に継承された血が、あらゆる人間としての豊かさを省いて勝利のみを追求する事を許してくれる。死への恐怖も、痛みへ躊躇も、此処に残るという不安も全て、他人事のように遠い世界へと追いやってくれる。
「――嫌な目だな。人間を捨てた者の目だ」
同種のくせに嫌悪を滲ませた声をもって、ドゥークは力任せに右腕を突き出し、鍔迫り合いを強引に終わらせ、ちらりと視線をガフに向けた。
それに小さく頷き、ガフがこちらに向かって踏み込んでくる。
視線一つで相手の意図が判るという事は、最低限の連携は取れるという事だ。足の引っ張り合いをさせるのは難しいだろう。
(少々厄介)
なら、多少の犠牲を払ってでも、彼は早々に潰しておくべきか――と思考を巡らせたところで、間にユミルが割って入ってきて、
「行って! ここは、あたしたちが引き受けるから! ナアレさんは、ナアレさんにしか出来ない事をして!」
と、痛みで引き攣った声でそう叫びながら後ろ回し蹴り一つでガフをこちらから離して、一対一が二つという状況を作り出した。
これにはミーア以上にナアレが驚いていた。
「……駄目よ。下手をしたら死んでしまうわ」
「それが嫌なら早く片付けて戻ってきてよね! 分が悪いのは、わかってんだからさ!」
虚勢を張るような笑みを浮かべて、ユミルは両の手に火を顕現させる。
か弱い魔法だ。手傷を負っているのもあって、今にも消えそうな風前の灯のようでもある。
けれど、それはきっと、廃都市で見せたものよりはしぶとい炎なのだろう。信用して任せられるかどうかは、まだわかないけれど。
「少し見ないうちに、いい顔をするようになったのね。……嬉しいけれど、少し悔しいわ」
そう寂しげに微笑んで、ナアレはレニの元へと駆けだしていく。
ドゥークは、それを止めようとはしなかった。
「あっさり通すのですね?」
「そこまでの隙をくれてやれるほど、目の前の敵を軽んじてはいないさ」
ミーアの疑問に、ドゥークは不敵に微笑み、
「それに、どちらにしても、彼女の特別な感情に触れる事は出来るだろう。お前たちを始末すればな」
「……貴方の目的は一体何ですか?」
本来なら、共に元凶を討ちに行くのが道理だ。
個人的な都合など、都市の問題が片付いてから仕切り直せばいい。そんな事、貴族であるのなら――いや、貴族でなくとも、真っ当な計算が出来る者なら誰でも判るだろうに。それなのに何故、このような愚行を取るというのか。
「そうだな、今日という日を踏まえれば、恋の成就という言葉が相応しいのだろうな」
「……は?」
意味が分からない解答に、ミーアは間の抜けた反応しかできない。
それを、嘲笑うように、
「判る必要はない。そもそも、他人の執着などそういうものだろう? 私は彼女を手に入れるために、彼女と世界を壊す。それが合理的だったのかどうかは、結果だけが教えてくれるものだ」
……つまり、説得など端から無意味だと、全てわかった上で狂っているのだと、そういう事らしい。
「それなら、貴方を生かしておく理由はどこにもありませんね」
「なんだ、レフレリの健康を案じてくれていたのか? 素晴らしい余所者だな。だが心配はいらない。すでに後継はいる。次の歯車は正しく回ってくれるだろう。……まあ、この都市が明日も残っていればだがな」
いっそ愉しげにそう答えて、ドゥークは剣を構える。
それなりに様になっている佇まいだ。でも、その程度の練度ともいえる。技術や経験の点ではこちらに分があると見ていいだろう。性能においても速度だけなら対抗できるラインにある。
問題は、魔力量の差から攻撃が致命傷まで届かない可能性が高い事だが、殺す必要がないのなら気にするほどの事でもない。
今のユミルとガフは対等とは言い難いので、一対一でどこまでやれるのかがネックではあるが、この条件を維持できるのであれば、想定していた以上に時間は稼げそうである。
もっとも、相手の魔法次第で、そんな認識は簡単に変わる事にもなるのだが……
「この男の魔法はなんですか?」
「し、知らないわよ。そんなの」
僅かでも判断材料くらいは提供できるだろうという期待があったのだが、ユミルの回答は酷いものだった。それだけドゥークが魔法を他人に見せてこなかったのか、或いはこの女が情報の重要性を理解していなかったのか……まあ、どうせ両方なのだろうけれど。
「そのような質問せずとも、すぐに判る。すぐにな」
言葉と共に、ドゥークの魔力が周囲に広がる。
瞬間、空気の質が劇的に変わった。
雰囲気などではなく、文字通りに空気というものの性質が変化したのだ。
生温く、どろりと重たい、今更胎内に戻されたような気色悪さ。色もどこか赤みがかったものに変わっていて、呼吸する事を躊躇わせるものになっている。
(……早速、という事ね)
おそらく、これは今の自分には最悪の魔法だ。
その忌々しい事実に内心でため息をつきながら、ミーアは酷く緩慢な動作でナイフを構え、短くなりそうな時間稼ぎに身を委ねる事にした。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




