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ミーアがユミルを視界に捉えた時、彼女はよく知らない男と行動を共にしていた。
あまり洗練された動きではない。戦力としては役に立たないだろう。もっとも、リッセの仲間は戦闘能力よりも特殊な魔法を持った者の方が多そうな印象なので、それ自体はどうでもよかったが。
「ねぇ、本当にあんたで大丈夫なわけ?」
男の速度に合わせるように並走しながら、ユミルが眉を顰めて言った。
「ゼラフさんからちゃんとこれを預かってる。これが組合長の証で、代行者の証明にもなるものだっていうのはお前も知ってるだろう? 偽造不可能なバッジだ。問題なく手続きは徹るさ」
男はつまらなそうに応える。
話の内容からして、ゼラフ主導でナアレの解放を行おうとしているようだ。
だとしたら、ユミルは今ゼラフの側についているのか……。
(……別に、どちらも良いか)
味方だろうが敵だろうが大した価値のない人間だ。邪魔になるのなら始末するだけ。
しかし、リッセの協力者でないのなら合流する必要は無くなった。ここは当初の予定通り、彼等の動きに合わせて独自にやるほうが良いだろう。
少し距離とって動向を見守る事にする。
程なくして、二人はナアレを捕える屋敷の前に到着した。
正門にも警備の姿はない。あまり職務に忠実な者はいなかったようだ。まあ、この状況で街の脅威を打開できる戦力を閉じ込めるなんて莫迦に加担する愚か者にはなりたくないだろうから、それも仕方がないことなのだろうけれど。
(私が彼等の立場なら、どちらを選んだ……?)
少しだけ、どうでもいい事を考える。
昔の自分なら、迷わず職務を優先しただろう。役割とは自分の居場所を守るために必要なもので、それ以上に大事なものなど存在しなかったからだ。
その考えは今のあまり変わっていないので、結局答え自体が変わる事はなさそうだけど、でも、きっと凄く迷う事にはなったと思う。
そのあまりにささやかな変化に、どんな意味があるのか……それを齎してくれた人と、自分はどうなりたいのか。
(……一緒に居たい。離れたくない)
ずっと考えて、考え抜いた末に、結局これだけが残った。
もし義理の両親が相手だったなら、別離の可能性を前にこんな結論は出さなかっただろう。途方に暮れながらも、きっと行儀よく、嫌われないように、彼等の答えをただ受け入れていた筈だ。
でも、レニを相手にそれは出来そうになかった。この世界を捨てる事になっても、構わないとさえ思えていた。
もっとも、現実問題としてレニがそれを許容してくれるかどうかは不明で、相変わらず向こうの答えを聞くのは怖くて仕方がないのだけど。
(――余計な思考は、ここまでね)
屋敷の中から、強い気配と、覚えのある気配が出てくる。
ドゥーク・ラフシャイナと、ガフ・ザーナンテの二人だ。
「そんな奴を連れて一体どうした?」
鷹揚な口調で、ドゥークが言う。
隣に佇むガフは廃都市で一緒だった時とはまるで別人のような能面を貼りつけていて、どうやらそれがこの男の本質なのだというのが判った。
「緊急事態です。ゼラフさんがアカイアネさんを解放して事態の収拾を求めるようにと」
冒険者組合において特別な代物らしいバッジを掲げながら、男は言った。
「……」
ドゥークの眼差しが、鋭く細められる。
状況が判っていないわけではないが、要求に答える意志はないといった具合か。
こういう目をしている人間が次に取るべき行動は決まっている。よく知っているのだ。なにせ、かつてのミーアはそういう人間たちを粛清して回っていたのだから。
(これは好機ね)
魔力を静かに身体に張り巡らせながら、ミーアは気付かれないように門の上に跳躍して、息を殺してその時を待つ。
「……そうだな、都市が滅ぶというのも一興だな。きっと彼女は現状に甘んじた事を後悔するだろう。結果、その原因の一端である私をより憎むかもしれない。悪くない感情だ。それもまた特別なものなのだろうからな」
「は? 一体なにを言って――」
不穏な言葉に警戒心を覚えたのか、男が半歩ほど後ろに下がった瞬間、血飛沫があがった。
腰に携えていた剣で、ドゥークが男を斬り伏せたのだ。
そして、返し刃がユミルに襲い掛かる。
ユミルの反応は鈍い。防御は間に合わないだろう。
「――死ぬのは、時間を稼いでからにしてください」
甲高い金属同士の衝突音に掻き消されない程度の声で言いながら、男が切り裂かれたと同時に飛び出していたミーアは、相手を前のめりにするように斬撃を受け止めたナイフを握る手の力を途中で緩めて、その隙をつきドゥークをすり抜け、屋敷の中に足を踏み入れる。
今の言葉に対応できないのであれば、ユミル・ミミトミアがここにいる価値はない。いくらなんでもそこまで無能ではないだろうが、仮にそうだったなら自身の過大評価を恥じて死ぬだけだ。
そんな割り切りと共に、敵を完全に無視してそのまま一気に駆け出す。
「――っ!」
「させるかよ!」
背後で二度目の衝突音が響き渡った。
ミーアを狙ったドゥークの攻撃を、ユミルが防いだのだ。さら鮮やかに舞った焔が、ガフの動きも封じていた。
狙い以上の働き。正直ガフの方は捨てていて、手痛い一撃くらいは受ける覚悟だったのだが、おかげで無駄な消耗をせずに済んだ。少し見ない間に、多少はマシになったらしい。或いは、それが彼女の本来の能力なのかもしれないが。
(――まあいい。それよりも……中にいるのは十人か)
その大半が彼女を閉じ込める結界にだけ労力を割いている。
彼等が魔物への対処に出なかったのは、そもそも戦いに不向きな点があったからだろうか。外に出てもやる事がないから、とりあえず言われた事をやっているといった弛緩ぶりが感じ取れた。
(そのうち、脅威となるのは二人)
ナアレのいる部屋の扉の前に居るその二人だけは、外の状況に気を取られていない。……いや、というより、そんな余裕がないくらいにナアレを意識しているようでもあった。
魔力の揺らぎなどから導き出した推測なので確実なものではないが、もしそうだとするなら、こちらも突破は容易いだろう。
まあ、どのみちあまり時間は掛けられないので、速攻戦を仕掛けるのには変わりはない。
「――っ、なんだ貴様!」
視界に二人を収めたところで、向こうも間髪入れずに得物を抜いていた。
迅速な対応だ。ただし、構えには焦りが見える。
それを更に悪化させるように、ドアの奥で凄まじい打撃音が響き、
「状況が変わったわ。開けなさい! 今すぐに!」
まるで強要するかような、いつもの余裕のない過度に強いナアレの声が続いた。
かなりの圧力に二人の身体が委縮する。
そこを見逃す理由もなく、ミーアは殆ど捨て身と言っていい踏み込みを持って一気に距離を詰めて、、
「――殺してはダメよ!」
その忠告に従ってと言うわけではないけれど、目的を最優先に、扉に向かって刺突を放った。
張り巡らされていた結果は、中の抵抗に極めて強く機能しているが、そこに比重を置きすぎた影響で外からの干渉には驚くほどに弱い。しかも術者の精神が締まっていない事も手伝って、それはあっけないほど容易く決壊した。
自身の役割を果たせずに硬直する二人が自棄になるより先に、扉が開く。
出てきたナアレの表情は、寂しさにも似た憂いに満ちていた。
「もう、ここにいる事に意味はない。貴方達も早く魔物の対処に当たるといいわ。この街の冒険者が築いてきた誇りを、これ以上放棄しないで。仮にも紫を目指すものなら、尚更にね」
先程と打って変わって、嫌に静かな言葉。
荒れ狂う感情を必死に抑えているようなそのさまには、背筋に冷たさが這うほどの凄味があって。
「……了解したよ。あんたに一泡吹かせたかったが、たしかにこの状況で動かないのは、ただの屑だ。行こう」
「あぁ、そうだな」
ため息と共に、二人の男たちは武器を仕舞い駆けだしていった。
その後ろ姿に一声かけるかどうか少し迷ったが、迷っている間に二人の姿は視界から消えてしまう。
「予定外が起きなければ、あの子たちの反抗にも、もう少し付き合ってあげたのだけどね」
哀しそうにそう呟きながら、ナアレもまた駆けだした。
こちらに多少気を遣っているのか、それともこのあとの為に魔力を溜めているのか、ギリギリ追い縋れる速度で、ミーアが来た道を疾走する。
そうしてエントランスの前まで戻ってきたところで、信じがたいほどに強大な魔力が、レニの傍に出現したのを感知した。
その余波に全身を押し潰されるほどの圧迫感を覚え、思わず足を止めてしまう。
「……本当に来たのね、ラガージェン」
同じく足を止めていたナアレの、やや掠れた声。
それを、史上の悦びとするかのように、
「良い顔をしているな、ナアレ。これほど高揚しているのはいつ以来だろうか」
と、玄関の前で待ち構えていたドゥーク・ラフシャイナの表情は、怖気を覚えるほどに無邪気なものだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




