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08

 吹雪を抜けた先にあったのは、嘘みたいにのどかな森だった。

 危険そうな魔物の気配はもちろんの事、空を隠すほどに木が群生しているわけでもなく、また足場もそれほど悪くないので、移動に困る心配もない。

 それこそ、ピクニックの候補にでもなりそうな世界だった。自然公園だといわれても信じられるだろう。

 そんな場所に旅車が止まったところで、俺はミーアをつれて荷台から降りて、他人の眼と耳の届かない所にまで向かう。

「……すみません。見苦しいところばかりお見せして……私、最低ですね」

 木陰のあたりで、一通り吐き終わった彼女が言った。

 ずっしりと沈んだ声。かなり堪えているようだ。

 まあ、たしかにあまり人には見られたくない光景だろうから、その気持ちは判らなくないんだけど、正直少し過剰な気もした。

「別にそんなに気にするような事でもないと思うよ。生きてて吐いた事がない人間なんて、きっとそうはいないだろうし。好きで吐いてるわけでもないんだから、大抵は場所も選べないしね。……はい、うがいしてから戻ろうか?」

 ミーアの背中をさするのを止めて、俺は水を生成する魔法の入った水石を取り出し、それを彼女に手渡す。

 ちなみにこれは持参品だ。用意はドールマンさんたちがしてくれるとの話だったけれど、水と火という生活に必須の道具と、あと着替えなどの類はミーアが今も背負っているリュックの中に入っていた。

「なにからなにまで、すみません……」

 うがいを終えたところでミーアはよろよろと立ち上がり、こちらを振り向いて、俯きながらそう零した。

「だから気にしなくてもいいって。むしろ、ミーアにとっては複雑かもしれないけど、ちょっと昔の事を思いだして懐かしくもなれたしね」

 旅車の方に向かってゆっくりと歩を進めながら、俺は言う。

「懐かしい、ですか?」

「身近な人の中にね、よくお酒でグダグダになる人がいたんだよ。毎日のように飲んで、毎日のように吐いて……」

 そして、毎日のように背中をさすっていた時期があった。

 といっても、ただの飲んだくれというわけじゃない。それは仕事の一環だった。

 父の件のあと、専業主婦だった母はいわゆる夜の仕事をするようになっていて、お酒を嫌でも飲む必要があったのだ。元々はそんなに強くもなかったから、本当に始めた当初は大変だった。

 あの頃はそんな母の生活リズムに合わせるように、俺も昼夜が逆転した生活をしてて、小学校ではよく居眠りをしてたっけ。

 それで怒られる事や、色々周りと合わなくなる事なんかもあったけど、でも、それでも楽しかった。

 少なくとも、今日を惜しむ事が出来る程度には充実していて……もしかしたら、俺の人生の中ではそこが一番の幸せだったのかもしれない。

 なんて思うと、少し哀しい気もするけど。今はそれを更新する機会だってある筈なのだ。それを本気で望めるかどうかは別にしても。

「――お、戻って来たか」

「お騒がせしました」

 苦笑気味にドールマンさんに言葉を返しつつ、俺はフラエリアさんとコーエンさんの姿がない事について訪ねる。

「あぁ、あいつらは食糧調達に出向いてる。ここの魔物は弱そうだし、安全確認も兼ねてな。……どうも、小休止とはいかなくなったみたいだ」

「何か問題が?」

「魔域の機嫌が悪くなったんだとさ。要は、進める道が今途切れてるって事だな、まあ、よくある事だよ。ザラーの見積もりだと、二十五時くらいにはまた移動出来る状態に戻るらしい」

 荷台の最後尾に背中を預けていたドールマンさんは、そこで軽く反動をつけて姿勢を正し、

「ということで留守番を頼めるか? さすがに、あいつら二人に全部任せるわけにもいかないしな」

 と、軽やかでありながら、どこか不安そうな声でそう言った。

 それでも無断で離れるわけにはいかないと、一人此処に残っていたんだろう。

「わかりました。お気をつけて」

「おう! まあ、すぐに戻って来るけどな」

 軽く手をあげて、ドールマンさんは駆けだしていく。

 それから十分後、その台詞が嘘になるような事もなく、三人は戻ってきた。

 戦利品は三メートルくらいの魔物が一体。見た目は草食動物っぽい。シカとかヤギとかに、やたらと鋭い牙なり蹄を加算したような感じ。

「どうだ? なかなかの獲物だろう? こいつは美味いぞ。特に胸肉あたりがおすすめでな。あと、肝臓も少し癖があるが、酒と合うんだよなぁ」

 鼻歌でも歌いそうな上機嫌さで、ドールマンさんは言った。

「間違っても飲まないでね?」

 ジト目でフラエリアさんが口を挟む。

「わかってるさ。いくら俺だって外では飲まない」

「じゃあ、次やる事もわかってる?」

「そりゃあ、解体だろ?」

「違います。仮眠でしょう? 二十五時からまた移動しっぱなしになるわけだし、次いつ纏まった時間休めるかわからないんだから。休める時にしっかり休まないと」

「別に一日二日くらいの徹夜、どうって事ないだろう?」

 ドールマンさんがそう言うと、フラエリアさんは険しい表情を浮かべて、

「グゥーエ……!」

 と、声を荒げた。

 ただし、それは怒ったというよりも、怯えに触発されたような声色で、

「……あぁ、そうだな。外じゃ特に、過信は禁物だものな。悪い悪い。ちょっと浮かれてたな」

 フラエリアさんの頭をポンポンと叩き、大人びた微笑を浮かべみせてから、ドールマンさんは視線をこちらに流した。

「そんなわけで、前半と後半で分けて寝る奴を決めようと思うんだが、体調悪そうなミーアは前半組で確定として、あんたはどっちがいい?」

「私は、どちらでも」

「じゃあ後の方で頼む。俺は先に寝ときたいんでな。ザラーはどうする?」

「僕も前半にさせてもらう」

「アネモーは?」

「前半組三人で後半組が一人な時点で、後半以外ないでしょ? それより、食事は何時にするの?」

「両方休んだあとでいいんじゃないか? さすがに昼食抜いて気が緩むことはないし、出発する二時間くらい前に摂るのが一番身体にも良さそうだしな」

 そう言って、ドールマンさんは荷台の中に入り、寝袋を持って出てきた。そして近場の樹の下に寝袋を置く。

「そこで寝るんですか?」

 てっきり荷台で雑魚寝でもするのかと思っていたのだが……。

「そりゃあ、年頃の女の子と一緒ってわけにはいかないだろう? 寝袋もあるし、雨が降ってるわけでもないしな。……って、なんだよ、その反応は?」

「いや、だってあまりに意外だったっていうか、そういうのはわたしが言わないといけないのかなって、思ってたから」

 ちょっと困ったように、フラエリアさんが呟く。

「俺だって相手は選ぶさ。まあ、お前相手だったらそういうのは気にしないだろうけどな。身内みたいなもんだし」

「……身内、ね。まあ、その通りなんだろうだけどさ」

「ん? なんだよ、急に不機嫌になって」

 本気で言っているのか、ドールマンさんは不可解そうに首をかしげた。

「なんでもないです。早く寝たら?」

 素っ気ない口調を最後にフラエリアさんはぷいっとそっぽを向く。

 そんなやりとりに小さくため息をついてから、

「僕はそこで眠らせてもらう」

 と、コーエンさんも寝袋をそこらの地面において、いそいそとその中にくるまった。

 彼の場合は本当に疲れていたんだろう、程なくして寝息が聞こえてくる。

 ともあれ、これで荷台はミーアの特等席になったわけだ。

 中を覗くと、ご丁寧に寝袋が一つ設置されていた。

「……それでは、私も失礼します」

 身体をふらつかせながら荷台の奥まで行き、ミーアも横になった。

 それを確認してから俺は荷台から離れて、ちょっと拗ねてる感じで女の子座りをしていたフラエリアさんの隣に腰をおろす。

 そこで一応周囲の気配を探ってみたが、特に異常はなし。

 このまま無言でいるというのもあれなので、

「そういえば、護衛対象ってどういう人なの? そのあたりの事ちょっと聞きそびれていたんだけど、なにか注意しないといけない点とかってある?」

 と、当たり障りのない質問をぶつけてみた。

 ここでの反応如何で、会話を続けるかどうかを決めるつもりだったのだが、拗ねているのはある程度ポーズでもあったようで、耳障りにならない程度のいびきを立て始めた相手にはもう無意味だと判断してか、フラエリアさんはあっさりとその表情を仕舞いこんだ。

「そうですね。良くも悪くも学者さんって感じの人だから、出来るだけ眼を離さないようにする事、かな。基本的に愉しい人なんだけど、危なっかしいっていうか、そんな感じだから」

「そうなんだ、ありがとう」

「いえ、こっちこそ、なんか恥ずかしいところ見せちゃったなっていうか……」そこで、彼女はじりじりと肩がくっつきそうな距離まで近づいてきて「その、恥ずかしついでに訊いちゃいますけど、ソルクラウさんはグゥーエの事、どう思ってます?」

 耳元で囁くように、そんな事を訊いてきた。

 なかなかのストレートである。牽制やら不安やら色々なものが混じってるのが、なんとも可愛らしく見えた。

 だから思わず笑いそうになってしまったけど、向こうにとっては切実な問題なんだからと、なんとかそれを堪えて、俺は少しだけ茶目っ気を混ぜて答える。

「面倒見はいいけど……ちょっと鈍感な人?」

「それ! ほんとにそれなんですよ。そのくせ、なんか妙に上手く美人さんに近寄っていって、知らない間に仲良くなってたりして、もうなんなんだよって感じで……」

「……ほんとに好きなんだね」

 皮肉でもなんでもなく、それは素直に出てきた言葉だった。

 ただ、こちらもストレートすぎたか、フラエリアさんはやや狼狽えたのち、もじみじと自分の手をさすりながら、ぼそぼそと呟く。

「というか、今更後には引けないだけな気もしてるんですけど、ね」

「長いんだ?」

「付き合い自体、八歳くらいからの時から始まってますから。あ、ザラーとは物心ついたころからだから、もっと長いんだけど」

 でも、好きになったのはドールマンさんだった。

 その違いはなんなんだろうか。そんな事が珍しく気になった。もちろん、実際に踏み込むような事はないわけだけど。

「……まあ、心配しなくてもドールマンさんに対してそういう類の好意はないかな。というより、そもそも恋愛に興味ないしね」

 正確に言えば、恋というものがよくわからない。

 生まれてから死ぬまで、そういう感情を抱いたことがなかったのだ。だから、きっと恋愛っていうのは余裕がある人間がする娯楽なんだろうなって思っていたりもした。

 もっと意地悪な言い方をすれば、セックスをするための方便って感じで、だったら風俗にでも行けばいいのにっていうのが本心だった。

 このあたりの考え方は、やっぱり母の仕事が影響しているんだろう。

「そうなんですか? なんかもったいない気もするけど」

「そうかもね」

 苦笑気味に笑って、俺は再び話を仕事に関する方向に軌道修正する事にした。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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