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 その言葉が響き渡った途端に、世界が歪んだ。

 空間を弄ったのだと理解した時にはもう、視界の片隅に柊さんとティティスさんの姿があり、それを覆うように濃厚な霧が周囲には広がっていた。

「――は?」

 突然の転移に、二人は間の抜けた反応を見せる。

 それを隙と捉えてか、近くにいた石化を逃れた魔物が跳びかかっていた。

 俺は弾かれるように剣を振りぬくが、その迎撃は虚しく空を切る。

 魔物が躱したわけじゃない。それよりも早く、魔物の身体が爆ぜるように四散したのだ。……おそらく、やったのは獣の如き男。ただ、何をしたのかは全く見えなかった。

 リッセのような魔法を使った? それとも、純粋な速度でレニの眼でも追えないほどの攻撃を行ったのか。どちらにしても、脅威度が増したのだけは確かで――

「ラガージェンっ!」

 切り裂くように鋭い声が、儀式場に響き渡る。

 一瞬、誰の声なのか判別が出来ないくらいに、それは初めて触れるアカイアネさんの激怒であり、焦りであり、怯えだった。

 右手に細剣、左手にハンマーをもった彼女は、声以上に険しい表情をもってラガージェンと呼んだ男に斬りかかる。

 ……いや、すでに斬りかかっていたというのが正解なのか。

 多分、見たものを認識するまでの距離を引き延ばしたのだ。アカイアネさんの声を周囲が認識するタイミングで攻撃が届くように調整したのである。

 なんとも頭がこんがらがりそうな魔法だが、ラガージェンにもそれは通用したようで、彼の背中から突然血が噴いた。

 更に、その光景から少し遅れて彼が反応を見せた直後に、右の眼球に細剣が突き刺さる。

 人間なら間違いなく即死の一撃。

「……判りやすい狙いだな。まあ、眼球以外にお前さんの攻撃で致命を与えられそうな箇所はないのだから、仕方がないのかもしれないが、それにしてもか弱い」

 刺された箇所から止めどなく黄金を混ぜたような紅の血を垂らしながら、ラガージェンが嗤う。

 細剣は、脳にあたる部分まで届かなかったのだ。当然、背後から打ちこんだらしい最初の一撃も、大したダメージにはなっていないのだろう。

 それ故の余裕。

 だが、そうなる事はアカイアネさん自身理解していたのか、特に動揺を見せる事もなく――ガンッ! と、なにかを強く打ちつけるような音と共に、ラガージェンの身体が大きく仰け反った。

 突き刺した細剣を杭に見立て、それをハンマーでフルスイングしたのだとこちらが認識したのは、それから体感で数秒ほど遅れての事だ。

 先端の部分で止まっていた細剣は、見事にその倍ほどの深さまでラガージェンに食い込んでいて、致命傷とまではいかなくてもさすがに深手くらいは期待できそうなものだったけれど、ラガージェンが返してきた反応は、ため息だけだった。

「まさか、人間やそこらの魔物でも相手にしているつもり――」

 言葉を遮るように、再び重く硬い音が響く。

 立て続けに三回。

 しかし、細剣がそれ以上奥に食い込むことはなく、四度目の衝撃で根元から折れる羽目となった。

 その時みせたアカイアネさんの驚きからして、ラガージェンがなにかをしての結果なんだろう。

「さて、無駄な足掻きも済んだところで、そろそろ始めるとするか」

 大きく飛び退いて距離を取った彼女をつまらなそうに眺めながら、眼球に突き刺さった刃を無造作に引き抜いて、ラガージェンは周囲に溢れかえっていた霧を儀式場に纏めはじめる。

 霧は地面に溶けるように沈んでいき、魔法陣のエネルギーへと変わっていく。

「扉が開くぞ。黒陽の仔が直々に執り行う儀式だ。失敗はない。だから、安心して別れを告げるといい。それくらいの猶予はあるだろうしな」

 どこか優しいと感じる淡い表情で、ラガージェンは柊さんの方を向いて言った。

 それから、俺に視線を向けて、今度は獰悪とも取れる嫌な微笑を浮かべ、

「まあ、逆を言えば、その程度の時間しか残されていないわけだがな」

「……なにが言いたい?」

「そこまで察しの悪い男でもないだろう? 気付かないフリは止めておけ、時間の無駄だ。なによりも貴重な、この時間のな」

 呆れるような吐息を零すラガージェンの、流れ落ちていた血液がそこでピタリと止まった。

 そして逆行するように眼球へと戻っていき、やがてその血は黒く染まって、さも当然のように潰された瞳を再構築する。

 それと同時に、儀式場の下に刻まれている魔法陣が視認できるほどの輝きを持って浮かび上がり、人の頭ほどの、底無しの闇のような漆黒の孔が、ラガージェンの目の前に出現した。

 孔は秒ごとに大きく開かれていき、やがてその奥に見慣れた光景を映し出す。

 無数のビルの群れ。密集した家々。寂れた商店街。グラウンドに生徒たちのいる学校。大きな総合病院。

 雲の上から見下すような視点の映像は、間違いなく日本のものだった。レニの眼が捉えた看板の文字が、それを雄弁に語っていた。

 ただ、いつの時代なのかは判らなかった。

 この儀式が柊さんを触媒に行われたかどうかの判別がつかなかったからだ。人の身では彼女がいなければ異世界同士をつなげる事は出来ないのかもしれないが、目の前にいるのは、おそらく神にも近しいなにかだ。そんな条件が必要とも思えない。

「心配せずとも、その娘が消えた直後の世界だ。お前さんたちの試みは正しかったわけだからな。余計な手を加える必要もない。……さて、あと十分くらいか、この門が維持できる時間は」

 ……あと十分。

 あと十分で、この世界と離別する事になる。

 予定よりもずっと早い展開に、戸惑いを消す事が出来なかった。

 そんな俺を尻目に、ラガージェンは再び柊さんに視線を向けて、

「あぁ、そうだ、もう一人向こうに行くんだったな。だったら、あまり粗相をされても困るか。我々の世界の人間の品性が疑われかねないしな。それは、この世界を正しく管理している者としては、見過ごせない話だ」

 人差し指の先を彼女に向けた途端、彼女は目の焦点を失った。

 数秒ほどで、はっと我に返ったように身体を震わせて、怯えたような表情を滲ませる。

「な、なにをしたんですか?」

「――え?」

 隣にいたティティスさんが驚きを示した。

「貴女、この世界の言葉……」

「え?」

 と、同じように柊さんも驚きを見せて、

「わ、私の言葉が、判るんですか?」

「う、うん。判るよ。判る。……はは、ついてるね、これは」

 ティティさんが、やや引き攣った笑みを浮かべる。

 その反応を可笑しがるように、ラガージェンは優しい微笑を浮かべて、

「本来なら、お前さんに日本語だったか? それを刻めれば良かったんだろうが、さすがに知らない世界の言葉は専門外なんでな。それは向こうで彼女に教えてもらうといいだろう。……まあ、そんな手間をかけずとも、処分してしまうのが一番簡単ではあるんだが、時間稼ぎが必要になる可能性は捨てきれんしな。孔は出来るだけ多く開けておく事にした。まあ、奴等の計画に手を貸すのは癪ではあるんだがな」

「……」

 言葉に込められていた物騒さに、ティティスさんの身体が震えだす。

 状況次第では殺していたと聞かされたんだから、それも仕方がないだろう。

 しかし、気になる内容だ。一体なにに対して必要になる時間稼ぎなのか、奴等とは誰なのか――、

「ところで、いつまでぼけっとけしているつもりだ?」不意に、ラガージェンの鋭い視線がこちらに向けられた。「 まさか、本当に判らないのか? 非戦闘要員二人の手だけで、どうやってナアレ・アカイアネがここまで来れると思うんだ?」

 つまり、他にも助力した誰かがいたという事のようだが、真っ先に思い浮かんだのはもちろんドールマンさんだ。

 ごく自然に、彼が手を貸してくれたからアカイアネさんはここに来れたのだと、俺は判断していた。

 それが間違いである可能性を、考えもしなかった。

 ……あぁ、たしかに、これは間が抜けているとしか言いようがないだろう。愚かにもほどがある。

 魔力を広げて外に意識を全力で向けてようやく、俺はそこにミーアがいる事を把握したのだ。

 しかも戦っている。かなり強力な魔力を持った相手。これは、ドゥーク・ラフシャイナだ。

 ミーアは確かに強いが、間違いなく彼には勝てないだろう。魔力の差が、技術や経験では埋められないくらいに離れてしまっているから。

「貴方もずいぶんと残酷になったものね。残念だわ」

 忌々しげに、アカイアネさんが吐き捨てる。

「責任転嫁はよくないぞ。こちらを選んだのは、お前さんの意志だろう?」 

 と、ラガージェンはくつくつと喉を震わせた嗤った。

「私が来なければ、誰も帰れなかったわ。全てが最悪の結末にしかならなかった。……そうでしょう?」

「そうだな。お前さんがここにいなければ、私が強行を取らない理由はどこにもないからな。そう思わせるような脅威がいないのだから、当然だが――」

 そこで、広がりを終えた孔に揺らぎが生じ始めた。

「霧に含まれていた魔力は思ったよりも少なかったようだな。あと五分程度か。最大で五分。向こうの方は、果たしてどうだろうな?」

 ミーアの魔力の消耗が激しいのは、ここからでもよくわかった。

 かなり無理をして戦っている。勝負がつくのは時間の問題だ。

「……」

 彼女を見殺しにして帰るか。それとも、彼女を助ける為に帰る事を諦めるか。

 最悪の二者択一だった。

 後悔を選ばせるとは、よく言ったものである。

 それでも俺は…………いや、だけど……一体、どうしたら……

 答えが、出てこない。

 決まりきっていた筈なのに、それしかない筈なのに、脳裏に泣いている彼女の姿が浮かびあがってしまって、それをどうしても振り払えなくて――

「あと四分程度か。だが、この調子だと、向こうはもっと早く尽きそうだな」

 その一言を聞いた瞬間、これまで言い聞かせて、積み上げてきたものが、完全に崩れた音を聞いた。

 後に残ったのは衝動のようなものだけで、真っ白になった頭を抱えながら、俺は呼吸する事すら嫌うように、一心腐乱に駆けだしていた。



次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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