08
それにしても、ミミトミアには手を焼かされる。
あの場で彼女の魔力を感じ取れたという事はつまり、擬態も解けているという事だ。もちろん、自分から解いたんだろう。
敵は、レドナさんの魔法によってこちらを補足できていなかった。ある程度どういう魔法なのか、柊さんを奪還する過程で把握出来たにもかかわらずそれが叶わないという事は、現状では対処できる人員がいないという事実を示している。だからこそ彼等は、探すのではなく罠を仕掛けて待つ事にしたのだ。
ザーナンテさんが明確な敵なのか、泳がされているだけの道化なのかはまだ不明だけど、どちらにしても今彼と接触するというのはあまりに短慮で、ため息しか出ない。
いっそ、もう切り捨ててしまおうかという考えだって、正直頭の片隅には過ぎっていた。アカイアネさんとの関係にマイナスが生じるかもしれないが、まだそちらのマイナスの方がマシなのではないかと。
絶対に独断専行だという確信があったからだ。これまでの彼女の行動からして、俺にはそうとしか思えなかったのである。そして、それは悲しいくらいに事実だった。
……ただ、最悪の事態にはなっていなかったというか、彼女自身罠である事は想定していたようで、
「そんな数で、あたしをやれると思ったのかよ?」
現場に到着した俺が見たのは、血塗れのザーナンテさんと、地面に平伏す四人の敵の姿だった。
見た感じ、先に近くに潜んでいた四人を手早く奇襲で仕留めてから、最後にザーナンテさんとやり合ったようだ。
ミミトミアは荒い息をしながら、片膝をつくザーナンテさんの顔面に爪先蹴りを叩き込んだ。
「裏切り者の糞野郎が! 恩知らずのゴミ野郎が! ぶっ殺してやる!」
凄まじい形相。言葉以上に殺しそうな勢いである。
それほどまでに許せなかったのだろう。アカイアネさんをある種神格化している彼女からすれば、たしかにそれは仕方のない事なのかもしれない。……と、寛大になれたのは、この罠があまりに不完全だったからだ。
おそらく、相手はこうなる事に高い勝算を持っていた筈。にも拘らず、たったの五人。気配を探ってみても、他には誰もいないのである。これは一体どういう事だろう?
実は陽動で、彼等は捨て駒だったとか? ……でも、柊さん達の気配に変化はない。
レドナさん達の方はどうかと気配を探ってみるが、残念ながら俺の感知能力では見つける事は出来なかった。とはいえ、儀式に絶対必要な柊さんを差し置いてそっちを敵が優先するというのも考えにくい。つまり、少なくとも陽動ではないという事だ。
でも、じゃあこの異様な詰めの甘さは一体なんなのか。……こういう都合の良さは気味が悪くて嫌いだ。理由がないと落ち着かない。
なら、ザーナンテさんに聞けばいいか、と様子見を止め、ミミトミアが彼を殺してしまう前に声を掛けようとしたところで、こちらに近づいてくる気配を捉えた。
強い、覚えのある魔力だ。
ただし数は一人。しかも伏兵というには距離が離れ過ぎている。むしろこれは、こちらに接近を知らせる、ある種のマナーのようにも感じられた。
「……てっきりやられると思っていたが、さすがにこの程度の相手には勝てるか」
そうして人気のない裏路地にやってきたのは、糸目の男だった。
柊さんを奪還した際に対峙したあの男だ。ちなみに、助力に駆けつけてくれたドールマンさんはあのあと無事に撤退しており、目の前の男が本気で戦う事を選ばなかったのは確認出来ていた。
彼のいくつかの発言から推測できる事だけど、おそらく報酬以上の無駄な仕事はしない主義なんだろう。
そんな人物が単身で、ここに来た理由はなんなのか。
「――っ、お前!?」
やや遅れて気配に気付いたミミトミアが身構え、ついでに此処で俺の存在にも気付いたようで、苦々しい表情をより苦々しいものへと変えた。
それを向けてやりたいのはこっちの方なんだけど……まあ、今言っても仕方がない。
「無駄に身構えるな。取るに足らない存在であれ、敵意を向けられればこちらの神経も尖る。殺されたいというなら、続けても構わないがな」
つまらなそうに言って、糸目の男は建物の壁に背中を預けた。
「じゃあ、あんた何しに来たのよ?」
「さあな。ただの暇潰しだ」
「暇潰しって、あんたそういう奴じゃないでしょう? なに企んでるわけ?」
より強く身構えるミミトミアに、糸目の男は盛大なため息をついた。
「相変わらず言葉を汲めない莫迦のようだな、お前は。暇になったと言ったんだ」
「だから、それが何だっていうんだよ! わかるように言いなさいよ!」
「――お前は、さすがに判るだろう?」
不意に、糸目の男の視線がこちらに向けられる。
「仕事をクビになった。或いは依頼主の方が駄目になったといったところですか?」
説明を押し付けられた俺は、ゆっくりとミミトミアの方に足を進めながらそう答えた。
多分後者が正解だろう。具体的になにがあったのかは知らされていないが、リッセがなにかをしたのだ。だからこそ、レドナさんは敵の数について言及した。
「今回の件に絡んでいる大半は報酬目当ての常識人だ。部を弁えずに気持ち悪い夢を見ている者はそう多くない。多くても困るがな。なんにしても不愉快な話だ。ここまで舐められたのは久しぶりだった。……ナアレの場所はもう判っているのか?」
「ええ、おおよそは」
「そうか。ならいい」
吐息一つつ共に、彼はこちらに背中を向けた。
どうやら、腹いせに情報を齎しに来てくれたという事のようだ。まあ、元より一枚岩には程遠かった所為でもあるんだろうけど。
「――っ!? お前っ!」
ミミトミアの怒声よりも早く、なにかが地を掛ける音を鼓膜が拾った。
音の方に視線を向けると、ザーナンテさんが脱兎のごとく駆けだしていた。糸目の彼に意識を向けていた事もあって反応はかなり遅れてしまい、止める事は出来ずそのままあっさりと見失ってしまう。
「……もしかして、これが目的だったわけ?」
同じような有様だったらしいミミトミアが彼に凄むが、さすがに見当違いもいいところだろう。
それを物語るように、彼は応対する価値もないと言わんばかりの完全な無視を決め込んで、
「あぁ、そうだ、言いそびれた言葉があった。グゥーエの奴に伝えておけ。再び莫迦を選んだのなら、いっそそのまま玉砕して死ね。レフレリにお前の場所はもうない、とな」
と、俺に向かって言ってきた。
なんとも辛辣な内容だが、そこには呆れのようなニュアンスが強く滲んでいて、言葉通りの意味ではないように感じられた。特に玉砕というワードが、それを思わせたのだが……これは、どういう関係性かわからない彼等のやりとりだ。部外者でしかない俺が気にするような事でもないだろう。
「伝える機会があれば」
「あぁ、それでいい」
特に期待していないといった様子で頷き、糸目の彼は再びこちらに背を向けて、今度こそ立ち去っていった。
「ほんとに何しに来たの、あいつ……」
ぼやきつつ俺に視線を向けてくるが、そんな事まで説明するのはさすがに面倒だ。
「それより、ザーナンテさんとは――」
「あんな奴にさんなんてつけるな!」
殆ど条件反射といっていい早さで、ミミトミアが声を荒げた。
その激情にため息を零しつつ、俺は訪ねる。
「本当に裏切り者だったのか、確認は取ったの?」
「そんなの必要ない。ナアレさんが正攻法でしてやられるなんてありえないんだから。……初めから、それしかなかったのよ」
頑なな調子でミミトミアは言う。
思い込みは危険だと思うけれど、実際その可能性が一番高い以上、それ以上指摘する必要もないのかもしれない。
けれど、彼女の表情には怒りだけではなく、痛みを堪えているような色合いも滲んでいて……。
「だったら尚更、どうして裏切ったのかを知ってから決別した方がいい。ちゃんと整理出来る状態で終わらせないと、こういうのはずっと尾を引くことになるからね」
「……それって経験則?」
「つまらない一般論だよ。そんな事にはならないって思えるなら、気にする必要もない」
「そうね。じゃあ気にしない。……でも、まあ、次に会ってまだ覚えてたら一応聞いてはみるわ。一応ね! 一応!」
裏切ったからもう知らないと、事情もなにも鑑みずに切り捨てられるほどには、彼女にとってもザーナンテさんという存在は他人ではなかったんだろう。
それを物語る判りやすい天邪鬼っぷりに苦笑を覚えつつ、俺は懐中時計を取り出して時刻を見ながら言った。
「そろそろ合流の時間だ。私はひとまず戻るけど、そっちは一人で問題を起こさずにレドナさんたちのところに帰れる?」
「むっ、莫迦にするな! 帰れるに決まってるだろう! ほんと、お前っていちいちムカつくわ!」
安い挑発に簡単に乗せられて、ミミトミアは地面を強く叩きつけるようにしながら一足先に帰路につく。
その後ろ姿を眺めながら、俺は胸に渦巻いていた感情を制御するように、微かに目を細めた。
さっきの言葉は、彼女だけに告げたものじゃない。簡単ではない決別が待っているのは、こちらもそうなのだ。
……別れの言葉は、いつだって難しい。
いよいよすべてが終わる事を肌で感じながら、俺もまた柊さんたちのいる店へと戻る事にした。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




