03
飛び込んできた光景は、正直まったく想定していなかったものだったが、幸いな事にこの身体はそれに翻弄される事なくスムーズに動いてくれた。
まず、何故かこの部屋にいたラヴァド教授を斬った男に肉薄し、こめかみ目掛けて右腕を振り払う。
防御反応はなし。相手は相手で、教授を斬るつもりはなかったのだろう。動揺が決定的な隙を生んでいた。
そのおかげで、とりあえず一人を黙らせる事が出来たが、部屋の中にはあと二人ほど見知らぬ顔があって、
「警備はなにをしてるっ!」
「間抜け共が! 早く来い!」
二人して肌を叩くほどの怒声を放ちながら腰の剣を抜き、こちらに踏み込んできた。
早い対応だ。流れでもう一人くらい黙らせておきたかったんだけど、これで戦闘が長引く可能性が出てきた。と同時に、より迅速にこの場を制圧する必要性も生まれていて――
「――なっ!?」
大上段から振り下ろされた斬撃をそのまま受け止め、驚く男の表情を見据えながら、俺は右手に具現化した、ナアレさんが用いていた小振りのハンマーを真似たそれをもって、そいつの膝を側面から叩き潰した。さらに脇腹に回し蹴りを喰らわせて壁まで吹き飛ばす。……これで二人目。
どうやら、開幕の捨て身は上手く行ったようだ。まあ、本当なら斬られる箇所を守るように瞬間的になにか防具のようなものを具現化すれば完璧だったんだろうけど、咄嗟も咄嗟だったこともあり、そこにまでリソースを割くことは出来なかった。相手の力がもう少し強ければ、鎖骨が真っ二つになっていた事だろう。骨の半ばまで切断された箇所から、痛みと共に血が流れ出る。
「――貴様、咎人か!」
そこで、肉水も解けたようだ。
レニの強力な魔力の放出に耐えられなかったらしい。もっとも、荒事になった時点で、もう偽装には意味なんてないわけで、
「燃えちまいな!」
威勢のいい啖呵と共に、最後の一人に向かってミミトミアが突っ込んでいた。
そして握りしめていた拳が届く二歩ほど手前の距離で急停止し、その掌に仕込んでいたなにかを放ち、至近距離で激しい炎をまき散らす。
俺がかなり直線的な行動を取っていた事もあってか、見事に裏を突かれた最後の一人は、その目くらましにたじろぎ、次に放たれた本命の後ろ回し蹴りにまったく反応できずに、みぞおちを射抜かれ、くの字になって跪いた。
そこに、脳天目掛けての踵落としが直撃し、最後の一人も意識を手放す。
「余所見なんてしてるからそうなるのよ! あたし相手にさ!」
昂揚と怒りを滲ませた少女の声でミミトミアはそう吐き捨てて、俺と同じように本来の姿を露わにした。
メイクを水で洗い流したみたいに身体を覆っていた違和感の塊が一掃される様は、傍から見るとなかなかに劇的な光景だったが、それに感心している時間もない。
開けたドアを閉めて鍵をかけ、そこに魔法を込める。
結界ではなく単純なロックにどの程度の効果があり、どの程度で自壊するのかは見当もつかないが、何もしないよりは時間を稼げるだろう。
「二人を担げる?」
ミミトミアにそれを要求しながら、ベッド側の壁に手を伸ばす。
ドアの方は破壊したが、壁にも結界は残されていた。これは入口のと同じもののようだ。つまり、これを壊せば入口の結界も壊されて、この建物にいる全ての人間が間違いなく異常に気付く事になる。まあ、すでに近場の人間には気付かれているので、そこに大きな違いはないだろうが――
「――おい、どうした! 何が起きてる!」
ついさっき右側の部屋に入っていった見張りが、ドアを殴りつけながら大声をあげてきた。魔法の効果によってすぐには破られる事はないだろうが、否応にも焦りは込み上げてくる。
それをなんとか制御しながら、俺は結界を自壊させ、右手のハンマーで壁を叩き割った。
あとは外に出て、このままレドナさんのところまで敵に補足される事なく逃げ切るだけだが……
「特注の結界の筈なんだがな。あてにならない情報だ」
「まったくだな」
外にはすでに、入口に居た見張りの二人が武器を抜いて待ち構えていた。
最初の結界を壊してから十秒くらいしか経っていないっていうのに、異変に気付いて全速力でこの壁の前までやって来たらしい。誰もが仕事熱心で嫌気がする。
それでもたったの二人。さっきと同じようにすぐに倒してしまえば……と行かないのは、最初に見た時から判っていた。彼等はそこまで簡単な相手じゃない。
なら、ここは俺が抑えている間に、ミミトミアに離れてもらうのが妥当か。
問題なのは彼女が抱えている片方が、魔力を一切持たない極めて脆弱な人間という事だが、この際ある程度の負荷には目を瞑るしかなさそうだ。
「道を作るから、走って」
隣のミミトミアに告げると同時に、俺は右手の武器を五メートルはある長大な剣に変えて、それを横薙ぎに振り払った。
見張り二人は狙い通りに跳躍して回避をし、塞いでいた地上の進路を明け渡す。
「――っ!」
少し反応が遅れた感じはあったけれど、とりえあずこちらの意図は汲み取ってくれたミミトミアが、二人を抱えながら低空を滑るように地を蹴った。
「させるかよ!」
それにつられるように、見張り二人が俺から視線を外してミミトミアを捉える。
好機だ。今なら攻撃を当てられる。より確実に彼女たちから敵を遠ざける事が出来る。――いや、けど、これは本当に相手の判断ミスなのか?
拭いきれない疑問が追撃の手を止めさせ、同時に背後から迫ってきていた気配を俺に教えてくれた。
慌てて振り返り、視界に迫っていた白刃を紙一重で躱す。
が、同時に突きだされていた細身の剣が、右の太腿を貫いていた。
「曖昧な優先順位だな。そのまま逃がす事に専念して死んでいれば良かったものを」
つまらなそうな調子で呟きながら、肉薄していた糸目の男が、細剣を軽く振って付着した血を振り払う。
鋭い痛みを噛みしめながら、俺は男と男の背後に目を向けた。
ドアの結界はまだ生きていたが、その脇の壁が綺麗に切り裂かれている。
あの局面、ドアだけではなく壁の強度にも意識を向ける必要があったというわけだ。
なんにしても不味い状況である。この男から視線を切って背後に目を向ける余裕なんてないので、具体的な状況は把握できないが、ミミトミアが二人を振りきって逃げるのは不可能に近いだろう。
「大人しく捕まるかここで死ぬか、選ばせてやる」
剣の切っ先をこちらに突きつけながら、糸目の男が言う。
背後で「ぐぅ、離せよ!」とミミトミアが押さえつけられた事を告げる声が響いた。
どうやら、ほぼほぼ詰んでしまったようだ。やはり、強引な手を使ったのは間違いだったか……いや、だがそうしなければラヴァド教授は死んでいたかもしれないし、柊さんも五体満足ではいられなかった。
あの部屋にいた連中は、柊さんの足を切り落とそうとしていたのだから。
「……なら、最後まで抵抗させてもらう」
痛手の所為で動きは大きく制限されることになったが、まだ戦えなくなったわけじゃない。
それに、少なくとも外に出る事は出来ているのだ。この状況なら、レドナさんの助力を期待する事も出来る。……もっとも、彼女自身は戦える人間ではないと言っていたので、戦力としての期待は難しそうだが。
「無駄な事が好きな奴か。わかった、じゃあ死ね」
冷徹な声と共に、糸目の男が剣を握る手に力を籠め――
「いいや、無駄って事もないさ」
軽やかな声と共に、背後で鈍い打撃音が響いた。
続けて、なにかが地面に倒れる音。
糸目の男がその細い目を大きく見開いて、俺の背後を睨みつける。
「グゥーエ・ドールマン……!?」
「お、お前、なんで!?」
後ろでミミトミアが同じように驚きを露わにしていた。
ということは、本当にドールマンさんがいるんだろう。でも、どうして彼がここにいるのか?
「なに、親切な情報通が教えてくれたのさ。どこの誰かは知らないけどな」
背中の得物をゆっくりと抜く音を鳴らしながら、ドールマンさんはぬっと視界の端に入ってきて、そして俺の前に立ち、威風堂々と剣を構え、敵を見据えた。
「ここは俺が引き受ける。……ほら、早く行きな」
§
レニの気配には迷いがあったが、ここに居ても自分に出来る事は大してないと判断したのだろう。
彼女は「……立てる?」と訪ねながらユミル・ミミトミアを起き上がらせ、教授を抱えて「行くよ?」と言って駆けだした。
少し遅れて、柊小夜香を抱え直したユミルも舌打ちと共に離れて行く。
(相変わらず嫌われたもんだが……あいつ、少し変わったのか?)
なんとなく雰囲気に変化があったような気がする。
(まあ、気のせいか)
そんな事を思いながら、糸目の男と対峙していると、壁の奥から他の連中も続々と加勢に来た。
雑魚も多いが、厄介なのも何人かいる。
「……お前はもっと利口な奴だと思っていたが。後悔する事になるぞ、グゥーエ」
紫の冒険者であるこの男とは、この街で何度か仕事で共にした事があった。
実力は同等程度。加勢込みなら、向こうが上だろう。
たが、それがなんだというのか。
「残念ながら、後悔したから此処にいるんだよ、俺は。利口ぶった所為で大事な奴泣かせちまってさ、それが痛いのなんのって。ほんと、喧嘩なんてするもんじゃないな」
自嘲気味に笑いながらグゥーエは全身に魔力を込めていき、
「そんなわけで、今日の俺は引き際を知らない。だから、そのあたりの事はあんたに任せる。……死なせるなよ? 大事な仲間を」
いっそ慈悲すら宿る脅し文句と共に、真っ直ぐに敵目掛けて踏み込んだ。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




