02
その集合住宅は、二百人程度が暮らせるだけの規模を持っていた。外から見た印象は「とにかく長くて狭い」で、綺麗に倒された高層ビルといった感じである。
昨日見せてもらった見取り図によると、出入り口は一つきりで、長い通路の左右には個室が並んでおり、建物の中央には談話室として使われている広いホールがあるようだ。
警備の面から見て、柊さんはその付近の個室に監禁されているだろうとの事。ついでに、建物には感知妨害の魔法も仕込まれていて、正確な敵の数や位置などを把握するのも難しいらしい。
まあ、柊さんに関してはそもそも魔力がない人なので、それが無くても感知は難しかったりするのだが……
「お、おい、まだ行かないわけ?」
「補充が到着するのはあと一分後の予定だからね。時間通りに行く」
ミミトミアの問いにそう答えてから、手にしていた懐中時計を懐に仕舞い、俺は小さく呼吸を整えながら、残り時間を使って改めて周囲に目を向ける。
第一関門となるのは入口にいる見張りだ。短剣と長剣を携え、重厚な鎧を身に纏っている二人の男。佇まいに目立った隙もなく荒事には慣れているといった様子で、十分な実力者である事が窺える。
まずは彼等を上手く出し抜いて中に入らなければならない。ここが一番重要なポイントともいえるだろう。ここで失敗すれば、レニの魔法を使って結界を壊すという無茶をしなければならないし、中にいる全ての敵と戦う必要も出てくるし、その間に柊さんを別の場所に隠される恐れまで出てくる。
「……じゃあ、行くぞ。言葉遣いには気をつけろよ」
小さくそう告げ、俺は建物の壁に隠れるのを止めて、見張り二人の視界内に姿を現した。
それから五秒ほど進んだところで、相手の警戒網に入る。
程なくして、ミミトミアの動作が硬くなった。かなり気になる違和感である。正直、仕切り直したいところだが、今更方向転換をするわけにもいかない。
「おいおい、もしかしてビビってるのか? さっきまでは襲撃上等って言ってたくせによ」と、俺は呆れたような口調と共にミミトミアの肩を少し乱暴に叩いた。「そんなヘタレじゃ、さっきの子もすぐに愛想をつかせちまうぜ?」
「そ、そんなわけ、ねぇだろう? お前の気のせいだよ」
「ならいいけどな」
からかうように笑ってみせてから、視線を前に戻す。
こちらを注視していた護衛二人は、緊張感の欠片もない俺たちに侮蔑的な空気を示していたが、少なくとも疑う事からは遠ざかってくれたようだ。
「補充要員で来た。ここで合ってるよな?」
「……少し待て」
二人の前に到着し、そう訪ねた俺たちを軽く手で制しながら、、左にいた男が懐から拳ほどの大きさの石を取り出して、その石の中を凝視した。
中には今の俺たちの姿が映し出されていて、ここにはいない本人の魔力の色もちゃんと記録されている。
ただし、それを見ても二人がこちらに不審を抱くことはなかった。この肉水は、そこもちゃんと模倣しているという事なんだろう。
「問題はなさそうだな。入っていいぞ」
「いや、待て。視覚情報だけでは信用できない。一応最後に身体検査をしておく。動くなよ?」
リッセの魔法についてある程度漏れているのか、右手にいた男がそう言った。
もちろん、これくらいは想定されていた事なので問題はない。
「……どうぞ?」
ため息交じりに頷いて、俺は軽く両手を広げた。
男の手がペタペタと顔やら胸やら太腿やらを触ってくる。
事務的な行いなので別段嫌悪もないが、ミミトミアにとってはかなりの負荷だったようで、苛立ちやら怯えやら、色々な感情が滲みだしていた。
それに気付いた彼女の方を検査していた男が眉を顰めたところで、
「出来ればさっさと済ませてくれないか? こいつ、昔その毛のある奴に絡まれた事あってさ、こういうの本気で駄目なんだよ」
と、俺は投げやりな口調で適当な嘘を並べてみた。
迫真とはいかなくとも多少の説得力はあったのか、或いはそういう疑いを以前にも掛けられた事があったのか、彼はやや気まずそうな表情と共にミミトミアから手を離し、かわりに入口のドアノブに手をかける。
すると、中指に付けられていた指輪が淡く光り、かちゃりと鍵が開くような音が鳴った。どうやら男の魔力を指輪に通すことによって、ロックが解除される仕組みのようだ。
「指示は真っ直ぐ進んだ先にいる奴に聞け。糸みたいな目をしてる奴だ」
「あぁ、判った」
頷き、建物の中に入る。
途端に扉が閉められて、外の音が一切聞こえなくなった。
その変化にちょっとした警戒心を覚えつつも、速すぎず遅すぎずの歩調で長い廊下を進む。
つきあたりには両開きのドアがあり、それを開くと、情報通り長テーブルと椅子が不規則に並んだだけの広いホールが姿をみせた。
ざっと見渡しただけでも、武装した人間が十人以上いるのが確認できる。その中で糸のように細い目をした人物は一人だけだった。まあ、その特徴を教えられなくてもテキパキと周りに命令を飛ばしていたので、誰がここのリーダーなのかはすぐに判ったが。
「補充要員か?」
こちらに気付いた糸目の男が、冷たい口調で訪ねてくる。
「あぁ、俺たちは何をすればいいんだ?」
「魔力なしの監視だ。奥に行け」
どうやら、柊さんの事はあっさり見つけられそうだ。「了解」と少しだけ目上を意識した調子で答えてから、言われた通りにホールを抜ける。
奥にあるのは入口と同じ構造だ。長い一本道の通路があり、その左右に部屋が並んでいる。違うのはつきあたりに扉がない事くらいか。
「――お、新顔だな。やっと交代ってことでいいのか?」
左手側の三つ奥の部屋の前に佇んでいた見張りの一人が、うんざりしたような表情で言った。
ずいぶんと長い時間、その仕事に拘束されていたようだ。
「あぁ、そうみたいだな」
「じゃあ、あとは頼む。交代は五時間後だ」
欠伸を一つ零して、彼は右手の部屋に入って行った。
それに合わせて、もう一人の方が無言でホールに向かって歩き出す。そちらの反応は少し気になったが、多分マニュアル通りな報告をしに行っただけだろう。
「……とんとん拍子ね」
二人の姿が完全に視界から消えたところで、安堵の息と共にミミトミアが呟いた。
ここのドアも簡単に開けばまさにその通りだが……さすがにそこまで温くはないようで、ドアにはしっかりと結界が施されていた。入口のものと同じ仕掛けだろう。おそらく鍵を握っているのは糸目の男だ。彼も左手に指輪をしていた。
どうにかして彼をここに連れてきて扉を開かせるか、それともレニの魔法で結界を自壊させるか……出来るだけ安全に行くなら前者で、迅速さを求めるなら後者だ。
どっちを選ぶのか正解か……いや、それ以前に、本当にこの部屋の中に柊さんはいるのだろうか?
糸目の男の言葉が嘘ではないという保証はないのだ。罠である可能性も考えられる。
ただ、レドナさんは今が最大の好機だと言っていた。
昨日のうちに動くことも出来たのに今日を選んだのも、その準備のためだ。なら、この良き流れは必然と捉えるべきだろう。変に身構えずに、二択の中から選ぶ。
「……あの糸目の男の事は知っている?」
「そこそこ有名な奴よ。人相手を専門にしてる紫ね」
「そう、それなら多少強引な方がいいか。……ドアを開ける。準備はいい?」
「そんな確認されなくたって、とっくに出来てるわよ」
ミミトミアがやや怒った様子でそう答えたところで、俺はドアノブに手をかけてそこに張り巡らされている結界に対して魔法を解き放った。
直後、結界の強度が凄まじい速度で増していき、そのデタラメな変化に呻き声をあげるかのように、耳鳴りのような音が周囲に響き渡る。
そして、音が途切れたと同時に結界も破綻した。
その異変に周りが動くより先に、俺はドアを開けて――
「――止めろっ!」
切迫した叫びと、眩暈がしそうなほどに鮮やかな血飛沫に、迎えられる事となった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




