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第七章/選択する後悔 01

 後継祭は朝から浮足立った雰囲気をレフレリの街に撒き散らしていた。

 昨日までは咎人を許すなと意気込んでいた人たちも、どこかトーンダウンしていて、流行というものの恐ろしさを感じずにはいられない今日この頃である。

 まあ、俺たちにとっては都合のいい話なので、ありがたくその流れを利用する予定ではあるのだが……それにしても、違和感が拭えない。

 寂れた宿の一室の薄汚れた洗面台の鏡の前で、俺は自分の頬をトントンと軽く叩き、小さくため息をついた。

 ゴム手袋を何重にも重ねた手で、同じくゴムのようなものに触れているような感触。ハリウッドとかの特殊メイクなども、こんな感じなんだろうか。

「――おい、そろそろ出るわよ?」

 ドア越しに野太い男の声が響く。

 なのに女口調という気持ち悪さに、もう一度ため息をつきつつ、

「あぁ、今行く」

 と、俺もまた明らかに男の声でそう答え、洗面所を出ることにした。

 声の主は通路に続くドアの前に佇んでいた。首と腕の太い短足の男だ。……正確に言うと、そんな姿をしたユミル・ミミトミアである。

 そして俺も、今はレニ・ソルクラウには程遠い長身痩躯の短髪の青年の姿をしていた。どちらも多少の特徴はあれど、人混みに簡単に溶け込める外見といえるだろう。着ている服もシャツにズボンというシンプルなもので、取り立てて目立つ要素もない。

 この姿のおかげで、昨日はあのあと殆ど追われる事なく地下深くに辿りつけたうえ、こうしてのんびりと休む場所を確保する事も出来た。

 それを可能にしたリッセの仲間と合流するべく、宿を後にする。

「……おは、よう」

 外に出たところでぎこちない声と共に挨拶をしてきた金髪碧眼の女性が、今のセラさんだ。こちらも本来の姿とはずいぶんと違っているが、声だけは元のままだった。彼女の強い希望によるものだ。歌う事を生業にしている人間だけあって、下手にそういった部分を弄られる事に抵抗があったんだろう。

「二人とも、身体の方に問題はないか?」

 そんなセラさんの隣にいた女性が、冷たく澄んだ声で訪ねてきた。

 青みがかった髪に灰色の瞳が特徴的な二十代半ばの女性。昨日はじめて見た顔ではあるが、その声はリッセの酒場で彼女の仲間と出会った日にも耳にした事のあるものだった。つまり彼女――レドナさんも本来の姿ではないというわけだ。

 もっとも、こんな魔法を使える人物なので、酒場で出会った時の姿が本当のものなのかも不明ではあるのだが、酒場で会った彼女は顔中に刺青をしたスキンヘッドという物凄く特徴的な外見をしていた。だからこそ、声の方も何となく覚えていたのである。

「なんかだるい。特に喉が」

 と、顔を微かに顰めながらミミトミアが言った。

「魔力を強く外に放出すれば、その肉水は消える。よほど辛ければそうするといい」

「でも、そうするとこの姿であたしの声がでるんでしょう? それは気持ち悪いわ」

「今の喋り口調も大概だけどね」

 苦笑気味に、俺は口を挟んだ。

「う、うるさい。男なんてやったことないんだから仕方ないでしょう!」

「……貴女の場合は言葉もそうだが、仕草にも問題があるな。今からでも女に変える?」

 不機嫌な時なんかは荒く男っぽい口調である事の多いミミトミアだが、レドナさんの目からも普段の佇まいは十分に女性的に見えているようだ。

 それを恥じるように――いや、この場合は照れるようにか――ミミトミアは視線をちらちらと地面に逃がしながら言った。

「別に、多少女っぽくたって、そんな不自然には見られないわよ。魔力もこの身体に張り付いてる肉水? ってので、完全に閉じ込められてあたしのもんだって気付ける奴なんていないだろうし。……っていうか、それ以前に、この顔にも意味あるんでしょう?」

「あぁ。それはこれから入れ替わってもらう者達の顔だからね」

「二十分後に補助要員が来るんでしたっけ? 二人ほど」

 俺がそう確認すると、レドナさんは小さく頷いて、

「その二人を今から人気のないところに誘導する。……そうね、そこがいい。貴女たちは先行してそこで待機」

 裏路地のあたりを指差すや否や、すたすたと歩きだし、片手でワイシャツのボタンを二つほど器用に解いていった。

「誘導ってそういう事かよ……」

 やや侮蔑的なトーンでミミトミアが呟く。

 露骨にレドナさんの評価を下げたといった感じだが、相手の情報は十二分に仕入れているみたいだし、それが一番有効だというなら使わない手はないだろう。そもそも本物の胸を見せるわけでもなし。これくらいで嫌悪を見せるあたり、ミミトミアには結構潔癖的なところがあるのかもしれない。

 そんな事を思いつつ、俺はレドナさんの指差した場所に移動した。

「……っていうか、なんでナアレさんより先に助けなきゃなんないわけ? 意味わかんないし」

 昨日も何度か聞いた愚痴が、またもミミトミアの口から零れる。

「説明はあったと思うけど?」

 半ばうんざりしながらそう言うと、彼女は左手の壁を軽く蹴って、

「時期じゃないだっけ? 時期ってなんだよ、むかつく」

 と、押し殺した声で文句を並べた。

 その攻撃的な空気を前に、セラさんが半歩ほど距離を取る。作り物の顔の表情には感情が殆ど乗らないが、なんとなく怖がっているような感じ。

 当初はラウの恋人という事で荒事には慣れているのかと思っていたけれど、どうやらそんな事はまったくなく、この先への不安も込みで、彼女のぎこちなさは増していっているようだった。

 おかげで、なかなかに胸が痛い。

 本来ならトルフィネにすぐでにも避難させるべきなのだ。だけど、儀式に必要な可能性があるから、こうして一緒に行動してもらっている。事情をある程度説明した時迷うことなく頷いてくれたから、問題なさそうだなんて都合のいい解釈をして。

「……あの、本当に良かったんですか? こんな事に付き合ってもらって。貴女には関係ない事ですよ? 危険もある」

 滲みだした後悔が、今更な言葉を並べた。

 これで本当に帰られたら困るのは俺だけじゃないっていうのに……ほんと、どうしようもないくらい中途半端で――

「関係なく、ない」ぼそりと、消え入りそうな声でセラさんは言った。「貴女は恩人」

「恩人?」

 心当たりが見当たらず、困惑を覚える。

 それが表情に出てしまったのか、彼女はやや慌てたように口早に言葉を続けた。

「教えてくれたの、ラウが。リッセ姉さんを止めてくれたって。あの人が歯止めを失うのを、怪物になるのを止めてくれたって」

 その言葉で、リリカの件の事だというのが判った。

「姉さん、以前より柔らかくなった。私、凄くほっとした。だから、関係なくない」

「……そうですか。ありがとう」

 そう感謝の言葉を述べたところで、レドナさんが二人の男を引き連れてくる気配を捉える。

 そうしてまんまと誘導されてやってきた彼等は、あからさまに鼻の下を伸ばしながら、

「心配しなくても大丈夫さ、俺たちは強いからな。そこらのゴロツキくらい返り討ちに出来るから、落し物もゆっくりと探せる」

「まあ、俺たちもあんまり時間はないからあれなんだが、困ってる人は見捨てられないからな。我ながら損してるとは思うが、そういう性質なんだ」

「というわけだから、探し物が終われば家まで送ろう。仕事に少し遅れるかもしれんが、人助け以上に優先される事もないしな」

 などという台詞を、若干上擦った声でレドナさんに並べていた。

 どうやら変な奴に絡まれて逃げたはいいけれどその最中に大事なものを落してしまい、でも一人で取りに戻るのも怖いから強そうな人に声を掛けた、という設定らしい。

 ……うん、なんだろう、悪い奴等ではなさそうというか、むしろ色気のある女性相手に必死にアピールしているだけの健気な人って感じがして、ちょっと不意打ちを仕掛ける事に躊躇いを覚えたが、

「なにこいつら、うざっ、きも」

 という酷い物言いと共にミミトミアが先陣を切って襲い掛かったので、仕方なく俺も片方を無力化せんと、ありもしない物を見つけようと地面に視線を落とした今の俺と同じ顔の人物に接近し、

「――ん?」

 と足音に気付いて顔をあげた瞬間に、こめかみを軽く叩くことによって失神させた。

 ほぼ同じタイミングで、ミミトミアもやり遂げたようだ。

「やはり補充要員の質はそれほど高くないか。数だけを揃えているといった様子ね」

 外したボタンを締め直しながら、レドナさんが呟く。

 それから、こちらを見て軽く眉を顰めた。

「なにを停滞している? 早く着替えて」

「……え? もしかして脱がすの!?」

「当たり前でしょう? そんな軽装の警備はいない。彼等の服を着てもらわないと不自然」

 驚くミミトミアに、レドナさんはどこまでも静かな口調で答えた。

「いや、それもあんたの魔法でつくるとか――」

「私は余計なことに魔力を使うつもりはない。諦めて」

 レドナさんはきっぱりと言い切って、壁に背中を預けて腕を組んだ。無言の圧力である。

 すると数秒ほどの時間をかけて、ミミトミアの頬が微妙に赤く染まっていって、

「貴女、もしかして男の服を脱がせた事もないの?」

「そ、そんなわけないでしょ!」

 図星である事を物語るような裏声だったが、指摘したところで面倒になるだけだし、こちらは言われた通り黙って男の衣服を引っぺがす事にする。

「わ、わかったわよ、やればいいんだろ、やれば!」

 俺が平然とやっているのに自分が出来ないというのは許せないからか、ミミトミアも自身を奮い立たせるように声を荒げ、力任せに服を剥ぎ取っていった。

「うわぁ、なんか生暖かい。しかもちょっと汗ばんでるし、この防護服……」

「そういう事、言わないで欲しいんだけど?」

 これからそんなものを着ると考えると、俺もかなりげんなりした気分だった。

 ともあれ、顔も服装も全て似せてこそ上手く行く作戦だ。我慢するしかないだろう。

「……あぁ、そうだ、最終確認をしておきたいんですけど、柊さんは集合住宅の中にいるんですよね? そして本来の住人は切り離されていて、今は冒険者と貴族の私兵で固められている。結界も施されているから強引に入る事も難しい。だからこそ補充要員に化ける事で奇襲が出来る状況を作る」

「そう、そしてそれが異世界の少女にとって最も安全な方法になる。今この時間なら」

 淡々とした口調でレドナさんはそう断言し、

「私たちはこの場で待つ。ここで彼女の姿も変える予定だから、事が済んだらすぐに戻ってきて。幸運を祈っている」

「気を、付けて」

 躊躇いがちにセラさんが言ってくれたところで、こちらの準備が完了した。少し遅れてミミトミアも装備を整え終える。

 分厚い防護服はなんとも動きにくい感じだが、戦いに支障が出るほどでもないだろう。少なくとも、パンツ一丁で裏路地に転がされた尊い犠牲者よりはずっとマシな状態である。

「……それじゃあ、行くか」

「ええ」

 と、ミミトミアは頷くが、

「ええ、じゃなくて、あぁ、だろ? もう本番なんだから、そろそろ意識してくれよ。中に入る前にばれたら変装の意味もなくなっちまうんだからな。さっきのやり取りを思い出して言葉を選ぶんだ。……こんな感じにね」

 ため息交じりにそう言って、俺は先陣を切って目的地に向かって歩き出す。

 久しぶりに使った明確な男口調は、なんだか酷く、自分にはそぐわないものになっているような気がしてならなかった。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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