幕間3/彼の目的 01
目を覚ましたら、リッセとミーアの姿が消えていた。
その経緯はまったくもって不明だったが、まあ大して気にするような事でもないのだろう。自分が何も把握できていなかったという事はつまり、把握する必要のない問題だったからに他ならないのだから。
(でも、これでまた一人か。退屈で死にそうね)
ちょっとした憂鬱を抱きつつ、ナアレは欠伸を一つ零し、眼を擦りながらベッドから降りる。
と、そこで、ドアをノックする音が響いた。
「あと五分待ってー」
と、間延びした声をナアレは返す。
普段から張り詰めている事は少ないのだが、寝起きは特に意識が緩いのだ。
ついでに寝癖も酷い。まあ、別にそれでも自分は美人なのでどうでもいいと言えばどうでもいいのだが、昔「女性としてそれはどうなのか」と苦々しげに言われた事もあり、覚えている場合に限りだがそのあたりの慎みは持つことにしていた。
なので、緩慢な動きで洗面所に向かい顔を洗って、髪を手で梳いて最低限を整え、なんとなく鏡に映る自身の姿をぼんやりと見つめて(百年前と何一つ変わらない顔ねぇ、皺ひとつないわ)とか思いつつ、面白味のない美貌にため息を一つついて、わざわざここまでやって来たらしい客を出迎えんとドアの前に向かい、なんとなくノブを回す。
本来なら開くはずのないもの。だが、それはなんの抵抗もなく開かれた。
そして、それを引き起こした人物を視界におさめる事となる。
「やっぱり、外からの干渉には疎い作りをしているようね。まあ、私を閉じ込める事に全てを注いでいるんだから当然ではあるのだけど。……でも、私が出るのは今ではないわ。ネムレシア」
「確認したい事があって来ただけ。私も別に助けに来たわけじゃない」
憮然とした表情で、神の御使いは吐き捨てる。
「確認? なにかしら?」
「解っているでしょう? とぼけないで」
そう言われても、すぐにはぴんと来ない。まだまだ脳味噌は布団の中に潜り込んでいるのだ。
そんな体たらくを心底忌々しげに受け止めるように舌打ちを一つしてから、ネムレシアは具体的な言葉を用いる。
「紛い物を元の世界に還すってどういう事? そんな話聞いてない」。
「そうね、言ってはいなかったわね。でも、言わなくてもその可能性くらいは想定できたと思うのだけど?」
「出来るわけない。ありえない。貴女のしていることは、あの方への叛逆よ。そんな恐ろしい事、考える必要ないでしょう?」
ネムレシアは両の拳を強く握りしめて、感情を押し殺すように言った。
「……叛逆、ね。果たしてそうかしら?」
「あの方が招いたのよ。そして、あの人間はまだ役目を終えていない」
「無理矢理攫ってきたのでしょう? 合意なんて一切なく、一方的な都合で」微かに目を細めて、ナアレは短く息を吐く。「……私は、その話を聞いた時非常に不快な気持ちになったわ。でも、文句を言ったところで戻れるようになるわけでもなし、それならせめて少しでも彼女が自分で選択できる状況が増えればという事で手を貸した。もし、あの時点で戻れる可能性があるとわかっていたなら、私はそちらを優先したでしょう。今と同じように」
当然、疑問を抱く余地すらなく、リフィルディールにもそれは判っていただろう。
「だけど、私はまだ生きているわ。この身の鮮度を失う事もなく。それは何故かしら?」
「……」
その問いに、ネムレシアは答えない。答えられるわけもない。。……もちろん、それはナアレも同様ではあったが。
「きっと、あの方にとっては些末なことなのね。計画は一つだけではないのだろうし、どれかが上手く行けばそれでいいのかもしれない。……どちらにしても、貴女が気にするような事ではないわ。気にしたところで意味もない。だって、貴女に挽回できる事なんてなにもないのだから」
「……過小評価もいいところ。儀式を潰す方法なんていくらでもある」
怒りを込めた声で、ネムレシアは言った。
それを、憐れみをもった眼差しと共に、ナアレは否定する。
「いいえ、貴女には無理よ」
「どうして言いきれるの? そんな事が」
「儀式を成功させるために必要な魔法陣は既に私の中にある。貴女に私は止められない。それは経験済みでしょう?」
「……でも、止めるのが私である必要はない。現に、貴女は今不自由。私は自由に出入り出来るけれど、貴女はドアの先には行けない。その状態を儀式が終わるまで固定させる事くらいなら私にも出来る。それは今より強固な結界。貴女の魔法じゃ絶対に打ち崩せない」
「魔法陣を手にしているのは私だけではないわ。二人の教授もそう。彼等は専門家だもの。廃都市の構造から既にそこに辿りついているでしょう。そして、悲しい話ではあるけれど私の方の依頼主は侵略を許す事を選んだようね。だから、私が機能しなくても儀式は成功する。異世界への扉は開かれ、クラセ・レンには等しく選択の機会が与えられることでしょう。その先の展開に大きな違いはあれどね」
「だったらそいつを始末して、魔法陣も壊せば終わりよ。そこらの人間なんて見つければすぐに削除できる。魔法陣だって同じ。貴女を相手にするよりずっと――」
「――ねぇネムレシア、貴女は今、その教授の顔を思い出せる?」
「は? 突然なにを言って……」
そこで、ネムレシアの表情が強張った。
顔だけではなく、他の情報も上手く思い出せなかったのだろう。それほどまでに、今両者の間には距離が生まれていた。少なくとも数日は接点を持てない程度には。
無論、それはナアレの魔法によって歪められた隔たりなわけだが、その可能性に彼女が至るのもずっと先の事だ。さらに言うと、ネムレシアが異世界転移と倉瀬蓮の帰還を結びつける事が出来なかったのもまた、実はこの魔法の影響に拠るものだったりもした。
最初からこういう流れになる事は読めていたので、予め面倒な可能性を潰しておいたのだ。
おかげでネムレシアは一切脅威にならない。……まあ、リフィルディールやラガージェンが手を貸さない限りはではあるが。貸しているのなら先述した通り、自分はとっくに無力化されている事だろう。
「見知った気配が、この屋敷に向かって来ているわ。話が済んだのなら貴女は去った方がいい」
どこまでも優しい口調で、ナアレは言った。
ネムレシアは、自分に起きている異常に狼狽えながらも、
「……必ず、後悔させてやるんだから」
と、震える声でそう吐き捨てて、部屋を出て行った。
乱暴にドアが閉められた音に下の人間が反応したようだが、彼等が上に来るよりもずっと早く、ネムレシアは転移魔法を用いてこの場所から姿を消す。
それとほぼ同時に、意識を切断されていたのであろうこの階の監視役が、のぼってくる足音によって目を覚ましたようだ。
「一体どうした?」
「ん? なにがだ?」
「なにがだじゃないだろう? ドアが閉まるような音がしてただろうが。……まさか寝てたのか?」
「そんなわけないだろう? そこまで気を緩められる仕事かよ」
というやりとりをしている間に、外から近付いてきていた気配が屋敷の中に入ってくる。
微かな驚きが一階を包むのが空気の変化でわかった。つまり、この訪問は予定になかったという事だ。
その人物は悠然とした足取りで階段を上ってきて「彼女と話がしたい」と言うや否や、周りが制止する間もなくドアを開け放った。
今回の首謀者の一人である、ドゥーク・ラフシャイナの登場である。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




