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第六章の13の最後の行を少し修正しました。
同時刻、レフレリの中層にある騎士団の広い事務室では、深刻な報せが騎士たちに伝えられていた。
おかげで昼食抜きでの労働が決定してしまい、彼等の多くはかなり殺気立っている。食い物の恨みはどんな世界でも恐ろしいという事だろう。
「乗り込みましょう!」
「叩き潰しましょう!」
「そうだ! それしかない! やっちまおう!」
「……あぁ、うむ。それは許可状が手に入って、かつ相手が抵抗してきたらじゃなぁ。それ以外ではしないように。よろしく頼むぞぉ」
血気盛んな若い騎士たちをやんわりと抑えつつ、騎士団長はデスクに置かれていた温かい飲み物をずずずと啜り、はぁー、と気の抜けた吐息を零した。
その日向ぼっこが似合いそうなお爺ちゃんっぷりに、何人かが和みを覚える中、
「しかし、その話はどの程度の信憑性を持っているものなのですか? 貴族が魔物を手引きするだなんて、私には信じられないのですが」
と、縁なしの眼鏡をかけた、いかにも切れ者な印象の女性騎士が訪ねた。
「そういえば、まだ情報提供者が誰か言っていなかったのぉ。ええと、誰だったか…………そうそう、カイスブルク家じゃったな」
デスクに置いてあった報告書を手に取りながら、騎士団長は答えた。
「うちの大貴族ですね。街の魔法陣が書き換えられているという事実と、そのような方から提供された情報が揃えば、確かに可能性は高いと言えそうですが――って、ちょっと見せてください!」
なにか気になる記述でも目に入ったのか、眼鏡の女騎士はつかつかと騎士団長の元に近づいて報告書をひったくり、それを真剣な表情で熟読して、
「……あの、団長、この報告書にはイル・レコンノルンという名前もあるのですが。これって、トルフィネのレコンノルンの事ですよね?」
「そうじゃな」
「いや、そうじゃな、じゃなくて!……ちょっと部下に伝える情報が少なすぎませんか? それとも、これは一介の騎士が知るべきものではないという事なのでしょうか? それはそれで、こうして私が簡単に閲覧出来てしまった以上、管理が杜撰という事になりますけど」
「心配しなくても、ただの怠慢じゃ。別に言わなくてもいいかなって」
そう答えて、騎士団長は再び飲み物をずずずと啜った。
結果、眼鏡の女騎士の表情が大変不機嫌なものへと変化する。
「よくないです。団長、本当にそういうところ治してください。いいですか? 立場に相応しい振る舞いが出来ない人というのはですね、いくら能力があろうともですね――」
そうして説教を始めた眼鏡の女騎士を前に、騎士団長は寂しそうな表情を浮かべ、
「最近、孫娘が口煩いのじゃが、どうすれば昔みたいに懐いてくれるのかのぉ」
と、慣れた様子で傍観者をやっている中年層の部下たちに訪ねた。
もちろん、それに親切に答えてくれる勇者はいない。どちらについた方が利口かなんてのは、すでにこの事務室にいる皆が知っているからだ。
「騎士団長殿がちゃんとしてくれれば、その問題は無事に解決すると思いますよ。――それで、説教は長くなりそうなのでひとまず置いておくとしてですね、イル・レコンノルンはどのように関わっているのですか?」
口煩くも優先順位は弁えている眼鏡の女騎士は、にこやかな笑みと共に情報の共有を求める。
そんな優秀な孫に、騎士団長は微苦笑を浮かべつつ、
「カイスブルクにその情報を齎したのが、レコンノルンという事らしいの」
と、本当に別に皆が知る必要もないだろう、と思っていた内容を口にした。
すると不安そうな表情を浮かべていた別の若い騎士が、躊躇いがちに訪ねてくる。
「両家には、その、なにか関係があったのですか?」
「そのあたりは知らんよ。儂、貴族でもないし。じゃが、まあ、外交関係の付き合いだとは思うぞ。というか、他に接点もなさそうじゃしな」
「……あ、あの、今回の件、レコンノルンが元凶である可能性はないのですか?」
「確かに、ないとは言いきれんじゃろうな」
というより、普通に考えれば余所の貴族が絡んでいる時点で怪しさ満開なわけで、それは誰もが思いつく事でもあった。
だが、だからこそ、そこに何者かの悪意を感じずにはいられない。
(昨日の件もあるしのぉ)
昨日、レニという被疑者を捕える為に若い騎士たちが独断専行で突っ込んでいったようだが、紅の髪の男に返り討ちにあった。しかもその男は、騎士が来る前に紫の冒険者も退けていたらしい。
間違いなく余所者であり、かつ最上位の戦力を有した存在だ。
当然ながら、そんな人物は限られている。
その限られた中で、紅という色が印象的な者は誰かと問われれば、やはりヘキサフレアスの双子が挙げられるだろう。
今、転移門は開かれているし、出入りは容易い。そして彼等が貴族を目の仇にしているのは有名な話だ。レコンノルンを騙り、貶めようとしていても何ら不思議ではない。
(……まあ、いずれにしても、魔物を手引きしたという報告がここに届いた時点で致命傷か。してやられたものじゃな。大貴族も役目を終えればただの老害か。負担を軽減するための継承の在り方という事なんじゃろうが、やはりこの都市の貴族には不安が多い。昔はあれほど優秀な奴だったというのに、老いというのは悲しいものじゃな。なぁ、ヘリストよ)
魔物を手引きしたとされる貴族の顔を少しだけ思い浮かべながら、騎士団長は短く息を吐き、
「さて、儂もそろそろルーゼに許可状を貰いに行くとしようかのぉ。その間に、高位は分担して貴族たちに話をつけておくように。上位には戦闘の準備を頼むとしよう。早ければ今日中に制圧にかかる事になる。場合によっては魔物との戦闘もあり得るじゃろう。それは儂らの本分ではないが、まあ良い経験じゃ。死なない程度に気張ると良い。あと、下位の者達はうちの専門家(孫娘)の指示に従って魔法陣の修正に取り掛かるように。あぁ、その際、組合の意見は無視するのが良いかもしれんな。今回の件に関してではあるが、奴等どうもきな臭いしのぉ」
「……えー、あー、つまり、舐め腐った奴等は叩きのめせって事ですよね? 了解! レフレリ騎士団の勇猛さを見せつけてやりますよ! 行くぞ、野郎共!」
あまり話を聞いていなかったのであろう騎士が、力強い号令と共に飛び出していった。
似たような四割ほどの騎士たちも殆ど間髪入れずに、気合を声にしながら、あとに続いて行く。
「若いっていいのぉ」
その後ろ姿を眺めながら、騎士団長は残っていたコップに残っていた飲み物をずずずと飲み乾して、のんびりとした足取りで、この事務室を後にした。
§
そんなこんなで各所が動きを見せている最中、ヘリスト・バイエンヴァールは悠長だった。
なにせ自分は金を出しているだけだし、責任が絡むものは全て別の誰かに肩代わりをさせる準備も出来ているのだ。なにが起きても、精々どこかの尻尾が切れるくらい。損をするにしても、はした金が飛ぶ程度。慌てる理由などどこにもない。
擬似的なリスクを楽しんで、運が良ければ面白い世界がみれる。これほど優雅な戯れもないだろう。それが、酒に酔っぱらっていた今の彼の頭の中だった。
これから、酩酊した状態以上にグチャグチャに破壊されていく幻想である。
「へ、ヘリスト様!」
その未来の訪れを最初に告げたのは、慌てた様子で寝室に入ってきた従者だった。
顔面は真っ青で、息も荒い。
「騒々しいな、一体どうした?」
「カイスブルク家の当主が、来ています」
「なに?」
この件には絡んでいないはずの大貴族の名前に眉を顰めつつ、ヘリストはベッドから身体を起こして、グラスをベッドの傍にある小さなテーブルの上に置き、クローゼットから貴族を象徴する蒼色の上着を羽織って、部屋を出た。
「それで、どこで待たせているんだ? いつもの客間か?」
「いえ、玄関で待つとの事でした」
(中には入りたくないという事か)
まあ、殊更に友好的な関係でもなし、長話をするつもりもないという事だろう。
現当主である息子がいる本家ではなく、ヘリスト個人の邸宅にやってきた目的は不明だが、おそらくは根回しの類。
(あれとの交渉に私を使うというか。そのお手並み、拝見するのも悪くはないな)
そう判断し、意気揚々と玄関に向かったヘリストだが、そこで待ち受けていたのは一人の小柄な少女だった。真っ赤なドレスと、それ以上に鮮烈な朱色の髪をした、とても可憐な少女。
「……おい、カイスブルク家の当主はどこにいるというのだ?」
「は? どこといわれましても、今、目の前に――」
「貴様の目は節穴か? 今私の目の前にいるのは、初めて見る顔だぞ」
幻覚か光による視覚干渉か、なんにしても不届き者なのは確定だ。
ヘリストは瞬間的に臨戦態勢に入り、自身の力を誇示するかのように強大な魔力をもって玄関ホールの空気を張り詰めたものに変えていく。
並みの人間なら、それだけで腰を抜かしているだろう。だが、少女は全く動じることなく、スカートの裾を両手で摘まんで、優雅に会釈を一つしてみせた。
「お初にお目にかかりますわ、大貴族さま。状況が何一つ理解出来ていない間抜け面で迎えられたのは少し気分が悪いですけれど、それは許してあげますわ。……まあ、あんたの誠意次第で、だけどな」
「……ずいぶんと傲慢な小娘だな。今、事を構えようとしている相手が誰か判っているのか?」
老いたとはいえレフレリを背負う貴族の当主を務めていた身だ。荒事にも精通している。今でも高位に該当する程度の戦力に位置しているという自覚もあった。仮にこの場に私兵が居なかったとしても、小娘一人を処理する事など容易い。
「そういうお前は、あたしが誰か判ってものを言っているのかしら?」
金色の瞳を爛々と輝かせて、少女は蠱惑的に微笑む。
ただの仕草だ。自分の魅せ方が上手いだけ。こけおどしだ。そうに決まっている。……だというのに、背筋が震えた。欲情と恐怖という奇妙な感情の発露と共に。
「まだ思い当らない? それとも本当に知らないのか? だとしたら危機意識が足りてないわね。トルフィネの連中なら、今この瞬間にも無駄に背の高い紅毛がどこに潜んでいるのか、血眼になって探してるところよ?」
「まさか……」
トルフィネという言葉で、思い当った。
と同時に、ヘリストは叫ぶ。
「賊だ! ぼけっとするな! 始末しろ!」
「あんたに首輪をつけに来た。光栄に思いながら跪け」
その大声をすり抜けるような涼しげな声と共に、少女は軽やかに地を蹴り、想定外も想定外の戦闘の幕は開かれた。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




