06
「いやぁ、快適だったな」
旅車が足を止めたところで、実に溌剌なトーンでドールマンさんが言った。
もちろん、それに同意できる人は皆無だった。まずミーアとコーエンさんの顔色が悪い。これは激しすぎる揺れによる酔いだろう。次にフラエリアさんがとても不機嫌そうだった。こちらは途中で荷物がロープから外れて顔面に直撃した所為だ。鼻血も少し出ていた。どうやらドールマンさんが荷物の固定を担当していたようである。
そして俺は……うん、しばらくの間コーエンさんに握られていた左腕に少し違和感を覚えていた。
引っ張られた義手と接合部に長時間負荷が加わっていたからだろう。痛いというわけでもないが、ちょっと落ち着かない。まあ、魔力で張り付けている義手が簡単には外れない事がはっきりしたので、これは殊更に悪い事でもなかったけど。
「ザラー、進路はこのままでいいのか?」
「今から確認する。その間に、荷物で怪我したアネモーにでも謝っておくといい」
投げやりにそう言って、コーエンさんは荷台に胡坐をかき、目を閉じた。
波紋のように彼の魔力が広がる。周囲の探知を行うようだけど、かなりの展開速度だ。あっという間にこちらが感知できる範囲を越えて、さらにその先まで魔力は広がっていく。
「……凄い距離ですね。どの程度まで把握できるものなんですか?」
ミーアにとっても目を見張るものだったんだろう、その声には感嘆の色があった。
「大体、七千カペル程度だな。調子にもよるけど、最低限それくらいまでは機能する」
カペルというのはこの国においての距離の単位だが、キロに置き換えると大体百五十キロくらいだろうか。俺には間違いなく観測できない範囲だし、多分ミーアにも無理だろう。
精度や更新速度とかでは負けていないと思うけれど、その方向性において、コーエンさんはこの中でも群を抜いているようだった。
更に言うと、その距離こそが外ではなによりも重要な要素らしい。
「……中域が前と変わってるな。魔域に押されたみたいだ。ちょっと安定してない。進路は変えた方が良い方がいいな。……まあ、どちらにしても、もう遭遇は避けられないだろうけど」
短く息を吐いて、目を開けて立ち上がり、コーエンさんは首や肩をぐるぐるとまわしたり、手を軽く振ったりして身体をほぐし始めた。
「道も途切れたしな」
と、荷台の後ろに顔を出したドールマンさんが言う。
言われて、最初は見えていた街道がいつのまにか無くなっていた事に気付いた。
「……どの国も同じなんですね。都市と都市を繋ぐ道路を断念するのは」
ぽそりと、こちらだけに聞こえる声で隣にいたミーアが囁く。
要は、ここからが本当に危険な領域ということのようだ。……というか、だとするなら最初に走った方が楽だったのでは? もしかしてコイントスは罠だった? という疑問が過ぎらなくもなかったけど、どっちみち一度や二度の交代で目的地に辿りつけるわけでもないのだ。長期的に見れば、誤差に過ぎない。
俺もコーエンさんに倣って少し張っていた身体をほぐしてから、荷台の前へと移動した。
それに合わせるように、コーエンさんの魔力がコンパスの針のように尖り、進路を示してくれる。ドールマンさんが運転していた時は感じなかった気配だ。
「ここからは逐次、方角を差していこうと思うんだけど……どうだ? 判りにくかったりはしてないか?」
少し不安げなコーエンさんの声。
「大丈夫。……速度は、さっきと同じくらいでいいの?」
「今は少し遅くても問題ない。必要になったら言う」
「了解」
左手を添えて、右手でしっかりと握り、俺は旅車を引きはじめる。
最初はゆっくり、徐々に速度を上げて、コンパスが指す方角に向かって駆けていく。
その際、感覚は余り研ぎ澄まさないように心掛けた。いわゆる臨戦態勢で三時間も走っていたら神経の方が先に参ってしまうのが判りきっていたからだ。
このあたりの切り替えは、さすがに今では手間取ることなく出来るようになっていた。
おかげで、凄まじい速さで景色が流れていく。といっても平原なので、変わり映えはしないんだけど……大体、時速二百キロくらいは出てるんじゃないだろうか。多分、新幹線と同じくらいの速度。
風を切る音で、他の音もほとんど聞こえない。
ただ、魔力が込められた声は別だ。魔力で防がない限りは、聴覚が勝手に拾ってくれる。
「そろそろ来るみたいだから、戦闘準備と行こうか。レニ、足は止めるなよ。障害はこっちで何とかする。可能な限り直進だ。アネモー、でかい一撃の用意! 漏れは俺が始末する。楽させてくれよ」
ドールマンさんの意気揚々とした指示に、俺は視野を魔力で広げてみるが、まだ魔物の姿は確認できない。
確認できたのは、それから一分程が経過してから。
「……あぁ」
思わず、引き攣った声が漏れた。
数えるのが莫迦らしくなるほどの数が、一つの巨大ななにかに見えるくらいに密集している。
それがさらに複数、時間差で前方から迫ってきていた。……いや、前だけじゃない、側面からも来ている事に気付く。
たしかに、この状況では迂回する意味はなさそうである。もちろん、止まって全部を相手にするなんてのも論外だ。手薄なところを突破するのが妥当。……と、そこで、荷台が少し軽くなった。誰かが降りたのだ。
「感覚はそのままでいい。数だけだからな」そうして隣にやってきたドールマンさんが言う。「速度だけ少し上げてくれ。速すぎる必要もない、速すぎるとこっちも戦いにくくなるしな」
臨戦態勢に移行しようとしていた身としては、正直少し不安な要求だったけど、まあ、信用する事も大事な仕事だし、信用に足らないなんてこともない。
俺は短く息を吐いて、今の感覚のままで突っ走る。おかげで魔物の群れとの距離が凄い勢いで埋まっていく。
四足歩行の獣みたいなのが殆どみたいだけど、中には巨大なミミズみたいなのも混じっている。どちらも初見だが、脅威を感じるほどの魔力はなさそう。
まあ、それだけで安心できるわけでもないが、後ろで発生した魔力には安堵を抱かせるだけの力強さがあった。
これは、フラエリアさんのものだ。凝縮された暴力の塊。
「もう撃っていいの?」
「まだだ。……3、2、1、今!」
コーエンさんのカウントダウンに合わせて、荷台の中から何かが射出された。
碧色の輝きを宿したそれは直線を駆けて、魔物たちの身体をいとも容易く貫きながら、ある地点で魔法を――群れに巨大な風穴を開けるほどの規模の竜巻を発現させる。
魔物の身体をズタズタに切り裂きながら空高く吹き飛ばし、目障りな障害を蹴散らす天災じみた人為。
「どうだ、うちの射手は? やる時はやるもんだろう?」
自分の事のように誇らしげに言いながら、ドールマンさんは俺の前に躍り出て、空から降ってきた獣を手にしていた大剣の腹で左中間に弾き飛ばした。さながら野球のような一撃だ。
「次、行くよ」
「もう少し溜めろ。……3、2、1、今!」
コーエンさんの指示のもと、フラエリアさんが再び魔力を凝縮させた矢を放つ。
進路がずいぶんと綺麗になってきた。あと二、三発で大きな障害は無くなってくれるだろうか。
「――っ、不味いな、ギャヌがいる」
そんな事を思った矢先、緊迫したコーエンさんの報告が届く。
「どこだ?」
相当危険な魔物なのか、ドールマンさんの声にも硬さがあった。
「左の山頂あたりだ」
その言葉に反応して、俺も少しだけ視線をそちらに向ける。
視力を強化していない状態では、うっすらと輪郭が見える程度に存在する山。最低でも、二、三十キロは離れていると思うが――
「――!?」
足元が軽くが揺れるくらいの衝撃と共に、視界の右端で地面が弾けとぶ。ついでに、そこにいた魔物もミンチになっていた。
そして、そのミンチになった肉の上をタマネギの球根みたいなのが蠢く様を、脊髄反射で研ぎ澄まされてしまった五感が捉える。
「今回は無差別みたいだな。でかい的の方が種は植えやすいんだから、毎回そうあって欲しいところだが……なんにしても急いだ方がいいか。レニ、全速力で頼む。さすがにあれは防ぎ続けられないんでな」
どうやら、とんでもない植物に襲われているようだ。
でも、これくらいの攻撃なら凌ぐことはそこまで難しくもなさそうだが――なんて思った途端、今度はそれを否定する出来事がやってきた。
いや、正確に言うなら、殺到してきたというべきか。
球根は一個では到底済まなかったのだ。小雨から雨に変わるように、秒単位で地面を抉る数を増していき、それはいたるところに肉塊を拵えていった。
これはヤバい。というか怖すぎる。
それに、これだけの虐殺に晒されてなお、そんなものは関係ないと最優先でこちらを襲ってくる獣やミミズの盲目ぶりも、なにか普段相手にしている魔物とは違う気がして嫌な感じだった。
だが、それに臆してはいられない。
その弱気をいっそ燃料に変えて、全力で地を蹴る。
結果、後ろの車輪が殆ど宙を浮いているような状態になったが、とりあえず中の人たちはなんとか耐えてくれているようだし、それを維持しつつフラエリアさんの魔法よって降ってきた魔物の血の雨に濡れながら、スカスカになった群れの中に足を踏み入れる。
といっても、まだ軽く百体以上は生きているのだ。いくらドールマンさんでも一人では捌き切れないだろう。だから、多少は躱す動きを取りつつ、そのロスを速度で補う事にした。
「お前ら落ちるなよ! 死ぬ気でしがみつけ!」
左側面から迫ってきていた魔物の首を両断し、真正面に割って入ってきた一体を蹴り飛ばしながら、ドールマンさんが叫ぶ。
「前はどうなってるの!」
荷台の前方からフラエリアさんの声。
「あと一発で、なんとか道は出来そうだ。やれるか?」
相当、身体に負荷がかかっているんだろう、苦しげな色を滲ませながらコーエンさんが問う。
「ここで無理なんて言えたら、そっちの方が凄いよね! 神経図太過ぎ! ――ソルクラウさん! 少しだけ速度を落として! 一秒でいいから!」
「……わかった!」
俺は周囲をさっと見渡して魔物との距離を測り、それが可能だと判断して、少しだけ速度を落としつつ、荷台の揺れを抑えるように努める。
「これなら――!」
長遠距離から球根が降り注ぎ轟音が鼓膜を叩き続けるなか、弦を引き締めていく動作がやけに大きく聞こえて、それが解き放たれた時のある種気の抜けた音と共に、魔物の壁によって塞がれていた先が、はっきりと見えた。
その道を見失うことなく、俺達はなんとかこの巨大な障害を突破し、追いすがってくる魔物たちを突き放していく。
そうして、背後に完全に魔物の気配がなくなったところで、最初の関門をクリアした事を実感した。……そう、これが軽いジャブでしかなかった事を、それほどの時間を置くこともなく俺たちは突きつけられる事になったのだ。
視界全てを覆い尽くす、蒼い吹雪によって。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。