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「……ところでさ、今更だとは思うんだけど、ここって誰のお屋敷で、わたしたちは一体なにをしているのかな?」
レフレリの南西の端に在る、そこそこに広い屋敷の書庫にて、アネモーが小さな声で訪ねた。
悪い事をしているという認識が強いのか、なんとも不安げな表情である。
「それは私も訊きたいところですね。私はレニさまに有益だという前提で貴女に協力しているわけで、もしこれが何一つ関係ない事だとするなら、完全に時間の無駄という事になる」
そして、それを許してやる理由は、ミーアの中にはこれっぽち存在していなかった。もし頷くようなら、この場で刺し殺してもいい。
そんなこちらの物騒な気配を捉えてか、リッセはやや面倒そうな表情を浮かべ、ぱらぱらと書庫の紙束を捲っていた手を止めた。
「もちろん関係してるわよ。ここの当主を潰す事は、この件の血液の流れを止める事でもあるからね」
「血液?」
「大半の奴等は利益が約束されているから動いているって事だよ。で、ここの奴が一番の出資者。そいつがこの件から降りる事になれば、どうなると思う?」
そこまで言われれば、わざわざ答えるまでもないだろう。
「……目的には納得しました。それで、その機能不全を起こせそうな弱味は、ちゃんと見つけられそうなのですか?」
と、ミーアは疑念の眼差しをリッセに向ける。
「心配しなくてもじきに見つかるわよ。ナアレを閉じ込めてた屋敷の所有権――つまり、今回の件に深く関わっている事を示す情報すら、あの糞餓鬼がちょっと調べるだけで出てくるくらいに杜撰な偽装しかしていないような奴だしな。どれもこれも上辺も上辺。これで大貴族とか、ほんと嗤えるわ。まあ、その程度で追及を躱せるレフレリって都市の基準も大概だけど――っと、ほら、見つかった。これでもう三つ目ね」
リッセは新たに手に取った契約書をさらりと読んだ後に懐に入れ、その紙束をアネモーが興味津々に見つめていた事にも目敏く気付いていたのか、
「なに? もしかして内容が気になるのか?」
と、悪戯っぽく微笑んでみせた。
「え? あ、いや、そういうわけじゃないけど、その、貴族の弱味って具体的にどういうものがあるのかなって。あんまり縁がないから、ちょっとぴんとこなくて。……やっぱり、なにかの不正の記録とかなの?」
あまり褒められた関心事ではないという認識があるからか、ややバツの悪そうな顔でアネモーが訪ねる。
「あぁ、まあ、そんなところね。最初に見つけたのは商人との密約で、次に見つけたのは継承に纏わる秘密事、どっちも法に抵触する内容が記されている。これだけでも、はした金を撒き上げることくらいになら使えるだろうな」
「そ、そうなんだ……」
「なんだったら、試しにやってみる? こいつはあたしの獲物だからあれだけど、他の奴らなら別に構わないし。愉しいわよ? 普段、高貴ぶってる奴等が罪を隠すために必死になる様ってのは」
微かに細められた嗜虐的な眼差しの奥には、暗い炎がある。
それは、けして消える事のない性とでもいうべきものだ。この手のものに軽はずみに触れてもろくなことにはならないだろう。
「え、遠慮しておきます」
「あ、そう。それは残念」
至極真っ当なアネモーの返答にどうでも良さそうに肩を竦めて、リッセは書庫漁りを再開し、一分ほどしたところで茶色の封筒に入っていた書類を前に、微かに眉を顰めた。
「どうかしたのですか?」
と、ミーアは訪ねる。
「……大当たりを引いた。もうここに用はないわ」
白けたように言って、リッセは書類を脇に抱え、開けていた引き出しなどをテキパキと戻し始めた。
さすがの手際というべきか。おしゃべり以外の無駄がまったくない仕事ではあったが、それにしても都合十分程度で片付くというのは些か早すぎる気がした。
「これだけの中からよくもまあ、本命ばかりを探り当てられるものですね」
その疑問を、なんとなしに訪ねてみる。
「あたしは鼻がいいからね」
「目がいい、の間違いでしょう?」
「あぁ、確かにそうね。……引き上げるわよ」
あまり、その手際の良さについて話すつもりはないようだ。大事な商売道具といったところだろうか。
いや、或いはそういう反応をみせて、こちらがどういう風に推測するのかを計っているという事なのかもしれない。まあ、なんにしても、屋敷から出るまでの暇潰し程度にしかならない疑問である。
程々に頭をほぐすように思案しつつ、ミーアは廊下を歩く。
屋敷の中にはそれなりの気配があるのだが、侵入時同様に近くに人の気配はない。不自然なくらいに、それは三人から遠ざかるように動いている。
「……ここまでやる必要もなかったな。余所でやると想像以上に疲れるし、まったく、無駄な労力だったわね」
どこか苛立ちを滲ませた声で吐き捨ててから、リッセが左手で口を塞ぎ、欠伸を零した。
やはり彼女が何かをしていたようだ。それがなんなのかも不明ではあったが、なんの問題もなく外に出れそうな今、これも特に執着する必要があるような疑問でもなかった。
そうして本当に何事もなく外に出て、ある程度屋敷から距離をとったところで、
「はい、お仕事終了。本当、何一つ緊張感のない探し物だったな」
と、リッセは締めくくり、
「最悪、また閉じ込められる事を想定して保険も連れてきたっていうのに、活躍の機会がないなんて、残念な話ね」
ちらりとアネモーを見て、からかうように笑ってみせた。
そんな理由で同行が許可されたとは思っていなかったのか、アネモーはぎょっと目を見開いて、
「それは全然残念じゃないと思うけど……あの、それより、大当たりっていうのは、なんだったの?」
「尖兵の件についてだよ。異世界侵略に必要なね」
つまらなそうに、リッセは答える。
「使い捨てにすることが明記されていた、とかですか?」
ミーアがそう訪ねると、リッセは小馬鹿にするように鼻を鳴らし、
「そんなの問題にならないだろう? 騎士や兵士とは違って、冒険者は基本自己責任なんだし。むしろ、その程度の事も想定できない奴がいる方が問題よ」
「では、魔物ですか?」
「なんだ、わかってるじゃない。そう、この計画にはどうやら魔物が使われる予定みたいでね。尖兵を送る前に、先にそいつらを送って敵の戦力を計るつもりみたい。で、可能なら無尽蔵のそいつらで、ある程度の決着までもっていく算段らしいわね」
「……儀式は、この街で行われるのでしたよね?」
「ええ、つまり、それをするには魔物をまずこの都市に入れる必要があるって事。賛同なんて得てないわけだから、当然極秘裏にね」
「露見すれば致命傷ですね。貴族が絡んでいるとは思えない計画ですが」
「発案者はドゥーク・ラフシャイナって記されてたわね。そいつが強引に話を纏めたんでしょう。あんたの言う通り、まったくもって貴族らしくはないけど。まあ、代が薄い貴族の継承はまだまだ不安定だからね、その手の問題児が生まれる事もそれほど珍しくない。もちろん、そんな言い訳で黙認した事実が許されるわけもないんだけど」
くすくす、とリッセはそこで花のように嗤い、
「なんにしても、糞餓鬼とのくだらない約束までまだ少し時間もあることだし、後回しにせずに全部終わらせる事が出来そうだ。……あぁ、派手にやるわ。やっぱり自己紹介ってのは、印象的じゃないといけないだろうしね」
甘く、どこまでも甘い声で、敵にとっては悪夢にも等しい台詞を奏でたのだった。
貴族飼いの始まりである。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




