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「……部外者は引っ込んでろ。今度は言葉だけじゃ済まさないわよ? 足手まといの役立たず」
突然の乱入者を前に、リッセは怖いくらいに冷ややかな声で言った。
そうして細められた視線はどこまでも鋭利で、相手の反応次第では暴力に訴えることも容易に想像出来るものだった。
だから、もういい。アネモーではどうあってもリッセには対抗できないのだから、これ以上危険を犯す必要はない。そもそも、そんな事をする理由もないだろう。
正直、ミーアにとって彼女の行動は不可解で、
「ぶ、部外者なんかじゃないよ。ミーアはわたしの友達なんだから。酷い事されてるの見て、黙ってるわけないでしょう?」
「――」
震える声でそう絞り出された言葉を前に、ちょっと驚いてしまった。
……いや、それなりに良好な関係であることは、ミーアだって認識は出来ていたのだ。けれど、それも結局はレニありきのもので、そこまで価値のあるものとして捉えられているとは思っても居なかったのである。
少なくとも、ミーアにとって、アネモーという少女はそうだった。
レニが仲良くしているから仲良くしておきたい。自分が一緒にいることでレニとアネモーが困ったり、居心地の悪さを覚えたりしない程度であれば十分で、それ以上は要らない。そんな相手。
「それで、そのお友達はたった一人で今何が出来るわけ? あたしと対峙してさ」
頬杖をつきながら、リッセは微笑む。
その問いを前に、アネモーはあたふたと視線を彷徨わせ、何も考えずに飛び出してきた事を示しつつ、
「そ、それは、特にないかもしれないけど! そんなの関係ないでしょう!」
と、恐怖に涙を滲ませながら、力一杯に叫んだ。
結構な大音量に店の外にいた人達も何事かと反応を見せ、そこにあった不穏な気配を忌避して足早に通り過ぎていく。
可憐な少女が実はかなり危険な相手だと理解したらしい店員も、早朝という事もあってか少ない他の客たちの様子を窺いつつ、どう対処するべきかを悩んでいるようだった。
居心地の悪い静寂が数秒ほど過ぎる。
それを軽やかに払拭したのは、リッセのどこか甘く可愛らしい笑い声だった。
「たしかにその通りね。あぁ、我ながらつまんない質問だったわ。ただの腰巾着だと思ってたけど、グゥーエの奴も一応人を見る目はあったわけだ。女の趣味は悪そうだけど。――ねぇ、店員さん、追加の註文よ。この店で一番高い甘味もお願い」
そう言って、彼女は懐から取り出した硬貨を店員に向かって放り投げる。
この都市で最も高い硬貨だ。多分、一枚で店のメニューを全て頼んでもおつりがくるだろう。
「あ、あの、これは……」
「迷惑料込みの先払い。足りなかった?」
「い、いえ、すぐに用意致します!」
慌てた様子で、店員が店の奥に引っ込んでいく。
その後姿を数秒ほど見送ってから、リッセは席を立ち視線をミーアに向けた。
「いいわ、あんたにもう少しだけ時間をあげる。自分一人で決められないなら、お友達と相談して決めればいい」
そして、アネモーの腕を掴んで、自分が座っていた席に座らせて、
「喜べ、全部あたしの奢りだ。ちゃんと残さずに食べなさいよ。あんた、甘いの好きだよな?」
愉しげで不穏な声で言いながら、両肩をぽんぽんと叩いてから、こちらに背を向けた。
「どこに、行くつもりですか?」
躊躇いがちにミーアは訪ねる。
するとリッセは、面倒だなといった風に後ろ髪をばさばさと掻き乱してから、
「先に大事な準備を済ませておくわ。二十分程度で戻る」
「準備とはなんですか?」
「判るだろう? 飲酒だよ」
「――は?」
「飲まないとやってられないの。あれと二人きりで同じ時間を過ごすなんて苦行はね。……なに? 間抜けな貌して。想像も出来なかったって? だったら代わってみるか? 喋らなかったらどうせバレないだろうし、本物じゃない同士お似合いだろうしな。あたしは大歓迎だけど」
「いえ、それは遠慮しておきます」
「あ、そ。つまんないやつ」
ため息交じりに、だがどこかからかうようなニュアンスでそう吐き捨てて、リッセはすたすたと店を出て行った。
「……あー、ええと、わたし余計だったかな?」
困ったように、アネモーが言う。
「いえ、助かりました。貴女が来なかったら、もっとこじれていたでしょうから」
それどころか、そのまま決別する流れが濃厚だった。仮にそうなっていたら、ミーアはこの先の選択肢を失っていただろう。
答えが出せない状態であっても――いや、そんな状態だからこそ、それを失うのだけは避けなければならなかったので、本当に助かった。
「でも、アネモーさんはどうして此処に?」
「どうしてって、それはその、闇雲に探してたら運よく見つけられたからっていうか、それだけなんだけど」
恥ずかしそうに彼女は言う。
「探していた? 私をですか? ……何故?」
「だって、昨日霧の映像の所為で凄く大事になってて、なにか悪い事に巻き込まれたのはすぐに判ったし、そんなのほっとけないでしょ?」
晴れ晴れとした真っ直ぐな答え。
でも、だからこそミーアにはそれが酷く苦しかった。自分の人付き合いにおいての不誠実さが、どうしようもなく醜く映し出されたような気がしてならなかったからだ。
おかげで、返す言葉が見つからない。
そんなミーアを心配そうに見つめながら、アネモーは躊躇いがちに口を開く。
「それより、その、具体的に何があったの? 出来れば知りたいっていうか……わたしじゃ頼りないかもだけど、少しくらいは助けになれるかもしれないし、それに他人に話すだけでも楽になれる事とかもあると思うし」
……本当に、そうなのだろうか?
そんな事で、今の自分のグチャグチャな気持ちが変わる? 到底信じられない話だ。
けれど、どうせ他に解決策もないし、負い目もある。全てを話す気はないけれど、少しくらいは情報共有してもいいのかもしれない。……なんて考えに到るのは、やはり精神的に弱っているからなのだろうか。悪い傾向だ。
だが、その弱さを否定するだけの気力もなく、ミーアはぽつりぽつりと、まずはこうなった経緯を説明する事にした。
「異世界への侵略? それで邪魔になりそうな、ナアレさんとレニさんを潰しにかかったって事? ……でも、ナアレさんは、まあ判るけど。どうしてレニさんたちまで巻き込まれてるの? わたしたちには何も起きていないのに」
「それは……」
言われてみれば、たしかに妙な話だ。
ただし、ミーアが引っ掛かりを覚えたのは、レニが巻き込まれた事ではなくグゥーエ達が除外されたという事の方だったが。
(……ナアレ・アカイアネがなにか交渉をしたのか、それともグゥーエ・ドールマンは不安要素にはならないと判断したからか)
おそらくは、そのどちらかだろう。
後者だとしたら、グゥーエをよく知っている相手という事にもなりそうだ。
「そういえば、ドールマンさんはどうしているのですか?」
現段階では危険じゃないとはいえ、彼女一人で行動させるのはあまりに迂闊だ。そういう事を気にしない男でもなかったと思うが……。
「知らない。喧嘩中だし」
ぼそりと、アネモーはそう答えた。
「喧嘩?」
「昨日ちょっと色々あって。まあ、いつもの事だから、気にするような事でもないんだけどね」
明らかに強がりなのは表情からも察する事が出来たが、これは触れた方がいいのか、触れない方がいいのか……迷っている間に、店員が料理をもってきた。
先程の事もあってか、ややぎこちなかったが、その分より丁寧に料理をテーブルに置いて戻っていく。
結構な量だった。なかなかに美味しそうでもある。
そんな気分じゃないのにと思わなくもないが、リッセやナアレと違って、ミーアはあの屋敷でなにも口に入れていなかった事もあり、空腹感を拭い去る事は出来そうになかった。
気を抜くと、お腹も鳴りそうだし。提供された料理に罪はないのだから、食べないというのもあれだろう。
「……どうやら、奢りのようですからね、アネモーさんも遠慮せずにどうぞ」
そう促しつつ、細かく切り分けされた肉をフォークの上に乗せて、一口頬張る。
見た目通りに美味しい。……なのに、どうしてか、途方にくれそうなくらいに哀しいだなんてよく分からない感情が込み上げて来て、
「あの、ところで、その、レニさんは一緒じゃないの?」
多分、それが気になって仕方がなかったのだろうアネモーが放った疑問を耳にした瞬間に、ぽたりと、テーブルに雫が起きた。
何が起きたのか、自分でもすぐには理解出来なかった。
理解出来ないままに、
「レニさまは、私と一緒にいるのは嫌みたいだから」
という言葉が、吐き出されていた。
それは、まるで自傷行為のようで――
(どうして、こんな事になってしまったのかな? 本当なら、今日だってレニさまと一緒にお祭り回って、一緒に美味しいもの食べて、他愛のない話なんかして……)
それで、凄く良い一日になるはずだったのだ。
愚かしいくらい無邪気に、そうなる事を信じていた。
仮初でもなんでもなく、レニといると嬉しいから。否応なく幸福だったから。
なのに消えてしまう。失われてしまう。
「――そんな事ない。そんな事ないよ」
不意に、暖かな感覚がミーアの顔を覆った。
抱きしめられたのだと気付くまでには、少し時間がかかった。
「だって、レニさん、貴女のこと凄く大事に思ってたもの。傍からでもすぐに判るくらい。だから、大丈夫、大丈夫だよ」
背中を優しくさすられて、嗚咽が零れる。
それと同時に、我慢に我慢を重ねてきた不安や怒りや悲しみが決壊して、もう泣いている自分を止める事が出来なかった。
本当に久しぶりに、ミーアは人前で涙して、子供のように泣きじゃくったのだ。
例え、レニの側にどんな真実があろうと、この痛みの発生源だけは、どうしようもなく本物なのだと訴えるように。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




