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08

(しかし、この後はどうしたもんかしらね?)

 退屈な軟禁を終了し、夜の最も深い時間帯の空気の冷たさを肌で味わいながら、リッセは自身の髪をバサバサと掻き乱した。

 当初の目的の一つであったナアレの確保は、本人にその気がないという理由で失敗したし、異世界の少女の方はどうなっているか判らないが、必要な情報は渡してあるので、そちらはレニが勝手にやるだろう。

 なにせ、ナアレの話が本当なら彼女にとってこれ以上ないほどに重要な案件だからだ。そういうのは当人が解決するに限る。多少のフォローくらいはするかもしれないが、それ以上の事をする気にはなれなかった。

 それに、先程ダルマジェラに宣言したように、今は丁寧に踏みにじりたい奴もいる。

 ドゥーク・ラフシャイナやゼラフ・ガッドナイドのように、ある種リスクを背負って事を起こしている奴らとは違い、未だに顔を見せていない人物。最小限のリスクで最大限の成果を貪ろうとしている、実に貴族らしい誰か。

 おそらくはゼラフと同じ老害の部類なんだろうが、役目を終えてなお保身に溺れるとは、なんとつまらない人種だろうか。

(そういう奴には、失敗が痛いって事を、教えてやらないとね)

 嗜虐心がふつふつと込み上げてくるのが判る。

 馴染み深く、心地の良い感情の火照り。

 先日の一件によって過去の問題が一区切りした事で、少しは自分も落ちついたりするのだろうか、と妙な不安を覚えたりもしていたのだが、どうやらそれは杞憂に過ぎなかったようだ。

 やはり、貴族を標的にすると燃えてくる。商人などではこうはいかない。

 仕事において、モチベーションというのは非常に大事なものだ。それがちゃんとまだ活発である事に安堵を覚えつつ、リッセはゆったりとした歩調で適当に進みながら、頭の中で今後の予定を立ててく。

 それが一通り済んだところで、こちらに近づいてくる気配を捉えた。

 思わず足を止め舌打ちしたくなる、忌々しい存在。

「珍しいな、お前が一人きりだなんて」

 重力をまったく感じさせない跳躍をもって、軽やかに目の前に降り立った子供を前に、リッセはどこまでも冷たい声で言った。

「あぁ、ラウ・ベルノーウが気を利かせてくれたのでな」

 と、その子供は淡々とした口調で答え、隣にいるミーアを前に微かに目を細める。

「しかし、そちらも一人であったのならば目論見通りだったのだが、やはり道楽とは上手くいかないものだ。どうしても事前準備が足りなくなる所為か」

「――まさか、そんなくだらない事が実際の目的だったわけ? さすが大貴族、犠牲になった従者共も泣いて喜んだ事だろうよ」

「そうだな。だが、賞賛されるほどでもない。これは当然の処置だ。つまらない勘違いで潰すには惜しい駒たちだからな。彼等も良き教訓を得て、恙なく進歩した事だろう。損をする者が居ないというのは、素晴らしい事だ」

 こちらの皮肉を平然と流して、イル・レコンノルンは穏やかに笑う。

 その、あまりに大人びた微笑は、まさに完成された貴族のそれだった。おおよその人間みの欠片もない虚飾の極み。

「……それで、なんの用?」

 この手の輩との会話を長引かせても不快になるだけだと、リッセはさっさと本題に入る事にした。

 するとイル・レコンノルンは、そこで珍しく言葉に迷うような間をとってから、

「じきに後継祭が始まる。そしてこのような行事は男の方が女を誘うものだと聞く。二人きりが理想的で、余分な者はいなければいない方がいいとも聞く」

 と、うろ覚えの台詞を口にするような感じでそう言った。

 多分、こいつ自身が思いついた事ではなくて、誰かの入れ知恵によるものなんだろうが……

「ねぇ、知ってる? それってまともな関係にだけ適応されるもんだってこと」

 当然の話だが、反吐が出るような人種に行われた際にこちらが抱く感情は一つしかない。殺意を孕んだ嫌悪である。

 リッセはそれを己が視線にありったけ込めてみたが、この程度の事で臆したりするような奴ならば、こいつのアプローチはとっくに終息している事だろう。

 端的に言ってしまえば、この大貴族には情緒や共感性というものが欠如しているのだ。

「元来、男とは女を追いまわす生物だ。こちらのそれは至ってまともな求愛行動だと思うが? 相変わらず、そちらの道理は不可解だな」

 それを物語るような物言いに、舌打ちしか出てこない。

「わかった。くだらない歯車野郎にも判るように言ってやるよ。今は気分じゃないの。消え失せろ」

「それは、契約を破棄するという事か?」

 特に怒りを見せるわけでもなく、イルは淡々と訪ねてくる。

 正直、そうしてやりたいのは山々だったが、さすがにそんな事をしたらここ数日我慢して付きあってきた自分自身が可愛そうだ。

「……元々、あたしの時間を貸してやるのは、祭りの時だけだって話だろう? 後継祭は確かに早朝も早朝から行われるもんみたいだけど、まだ始まってはない。つまり、今この時間にあたしに干渉する権利が、そもそもあんたにはない。違うか?」

「確かに、その通りだ。……では、残りの一時間は、いつこちらに預けてくれる?」

 どうやら、それを聞くためにわざわざここに来たようだ。

 現在進行形で余計な事に首を突っ込んでいるリッセが約束を反故にする可能性が、よほど心配だったらしい。……本当に煩わしい話だが、その事実だけで、どれだけイル・レコンノルンがリッセ・ベルノーウに肩入れしているのかが窺えると言ってもいいだろう。

「その前に聞かせろ。どういう条件でレフレリに手を貸す事にしたわけ?」

「今の状況を得る事以上に価値のあるものが、この程度の都市にあるとは思えないが?」

 これ以上ないくらいに堂々と、イルはそう答えた。

「嘘つけ。あんたが奴等に手を貸したのは、あたしが捕まる前の筈だ。それともなに? こうなるって最初から判ってたとでも言うつもり?」

「あぁ、少なくともそちらが問題を起こす事は確定していた。どのようなカタチになるかは不明だったが、それはこちらが優位になるように働く必要がどれだけあったか、という程度の違いにしかならない」

「……お前、本当、最悪だな」

 忌々しさに顔を歪めながら、リッセは吐き捨てる。

 つまり、こちらが上手くいっていた場合は、全力で足を引っ張って無理矢理窮地に陥る状況を作り、その上で手を差し伸べていたと、こいつは言っているわけである。

 リッセに貸しを作るために。或いは、その暗躍が気付かれる前提で、どのような形であれ、お返しという関わりが生まれる事を期待して。

「……それでいつかあたしが、もういいや、って妥協出来たらいいんだろうけどさ。でも、そんなこと絶対ないわよ? あんたが貴族である限りは、なにを積まれたって永遠に。だから、あたしに固執するよりも別の候補見つける方がよっぽど建設的だ。……これ、前にも言ったと思うけどね」

「確かに、それが最も望ましい未来なのだろう。だが、現状そちらよりも優れた母体の候補は見つかっていない。更に言うなら、その見込みも薄いというのがこちらの見解になる。なにより、これまでレコンノルンは母体の件で問題が起きた事がない。大抵の相手は金銭や名誉の取得によって了承してきたし、それ以外の者も一月もあれば説得で片が付いた」

「説得、ね。……で、何が言いたいわけ?」

「こちらの要求を提示してからすでに二年。これほど困難を極めている交渉は初めての事だ。正攻法では難しく、曖昧なものに頼る必要すら出てきている。いわゆる、愛や恋などという得体のしれない病だ。どのようにすれば発病させる事が出来るのか、現状こちらには見当もついていない。今回の件でなにか掴めればいいとは思っているが、あまり期待出来そうにもない。なんとも、もどかしい状況だ」

 そこで、イルは淡く微笑んだ。

 微かな好奇心を孕んだ、嫌な笑顔。

「だが、もしこの問題を解決する事が出来れば、レコンノルンの血はさらに安定的に、その価値を高める事になるだろう。継承の質は間違いなく向上する。そして、幸いな事にこの身体はまだ未熟で、子種を生成する機能も発達しきっていない。時間は用意されている。少なく見積もっても、十年程度は」

「それは、気が滅入りそうな年月ね」

 最低でもこれから十年、こいつのこういった干渉に晒されるのかと思うと、いっその事今ここで殺してしまいたくなる。……もちろん、トルフィネで生きている以上、それは出来ないわけだが。

(いっそのこと、住む場所変えてみようかしら?)

 今なら異世界なんて選択肢もあるわけだし、レニの奴が元々いたらしいという情報のおかげで、多少は興味も出てきている。それはそれできっと面白いだろう。

(まあ、妄想する分には、だけど……)

 目の前の糞餓鬼を殺すわけにはいかないと判断している時点で、自分はもう完全にトルフィネの人間なのだという事実を噛みしめつつ、リッセは自嘲する。

 それがどういう風に作用したのかは知らないが、イルはこちらの反応を前に思案するように眉を少し顰めてから、

「今回の報酬だ。此処で渡しておこう」

 と言って、懐から貴族共のちょっとした情報が記されているであろう資料を差し出してきた。そこそこ分厚い。正直あまり期待はしていなかったが、思っていた以上にレコンノルンという家は余所の都市の事も調べていたようだ。

 案外、そっちの方が大きな収穫かもしれないという感想を抱きつつ、リッセはそれを掴むが、どういうわけかイルの手から離れない。

 いや、どういうわけもなにも、こいつが離さないように強い力で握りしめているからではあるのだが……。

「……あぁ、わかった。わかったわよ。昼時に顔を出してやる。そこから、きっちり一時間付き合ってやるわよ。それでいいでしょう?」

 有耶無耶にしようとしていた要求に答えを出すと、イルはあっさりと抵抗を止めて、資料をこちらに寄越してきた。

 そして気味が悪いくらいに大人びた微笑を浮かべ、

「よろしい。では、その時を楽しみにしておこう」

 と言って、こちらに背中を向け、ゆったりとした足取りでその場を立ち去って行った。

 その姿が完全に見えなくなったところで、リッセは長々と息を吐きだす。

 異様なくらいに疲れた。この紙束は、果たしてその労力に見合うだけの情報を有しているのか……

(――って、そういえば、まだ手を離してなかったな)

 ページを捲ろうとしたところで、ミーアの存在を思い出す。

 屋敷を出た段階で、それを維持する必要もなかっただろうに、どうして今の今までこいつの手首なんかを自分は握っていたのか。

 こいつもこいつで、どうしてそれを振り払いもせずに、為すがままにされているのか。普段なら間違いなくそうしているだろうに。

(……どちらも、本調子には程遠いわね)

 このような状態では満足な仕事は出来ない。長時間拘束されてストレスも溜まっているし、ここは一つ気分転換でもするのが良さそうだ。

(今日が一番、祭りで盛り上がる日でもあるわけだしな。あたしも嫌な思いをする前に、少しは楽しんでおくか)

 後継祭が始まるまで、あと四十分程度。

 手元にあるこの情報を呑みこんだ頃にはちょうどいい時間帯になっているだろうと、リッセは張り詰めていた神経をふっと解きつつ……ひとまず、落ち着ける場所に到着するまではこのままでもいいか、とミーアの手首を掴んだまま、歩みを再開させた。


次回は三~四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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