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06

「……は?」

 それは、間の抜けた声以外に出せるものがあるのなら教えて欲しいくらいに、荒唐無稽な内容だった。

 この世界の人間ではない? 異世界から来た? 莫迦らしいにもほどがある。

 レニはアルドヴァニア帝国で生まれた二十三歳の女性だ。軍貴として名高いソルクラウ家の長女であり、初陣は内戦だった。

 そこで、彼女は高位に該当する強い力をもった反乱分子のリーダーを処断した事によって一躍その名を有名なものにし、躓くことなく戦果を上げ続けた結果、二十歳という若さで漆黒騎士団の筆頭という、騎士としての最高位についたのだ。

 帝国では誰もが知っている経歴。これほど素性がはっきりしている人物もそうはいないだろう。……もっとも、このルーゼ・ダルメリアという国においては不明な点が多い余所者でしかないので、その得体の知れなさや、足取りを追えない点などから、異世界だなんて言葉を用いた(要は、比喩表現としてそう言っただけ)なのだと思うが、それにしても不快だった。くだらない言葉遊びに付き合わされた気がしてならない。

 きっと、まともな感性の人間であるならば、誰もがそう抱くことだろう。

 でも、だからこそと言うべきか、リッセは何故かその内容を莫迦正直に受け止めて、

「あたしたちの知っているってのはどういう意味だ? まるであたしたちの知らないレニがいるみたいに聞こえるけど?」

 と、話に乗っかった。

「ええ、その通り。そして、そちらが本物とでもいうべきなのでしょうね」

 憂いを帯びた声で、ナアレが答える。

 荒唐無稽感がどんどん増していく感じ。こんなもの、陽気な酒の場くらいでしか許されない戯れだろうに。

「その本物は、この世界の人間か?」

 鋭い口調で、リッセが訪ねた。

「外の大陸から来ただけの、この世界の人間よ」

 どこまでも静謐に、これはけして冗談などではないといったトーンで、ナアレも答える。

「情報元は?」

「それは言えない」

「そんな話を信じろって?」

「私はただ話すだけよ。どちらにするのかを決めるのは、貴女たちの問題でしょう? 私に求める事ではないわ」

「はっ、そりゃそうね」鼻を鳴らしながら、リッセは頷いた。「……じゃあ、とりあえずその仮定で話を進めるとして、だからこそ異世界の人間の方であるレニは、自分が帰る方法を見つけるためにサヤカってのに肩入れしているってわけ? 共感込みで」

「そうね、半分はそうなのでしょうね」

「……なるほど。帰るかどうかまだ決め切れていない。それがあいつの悩みって事か。たしかに人生に関わる類だな。行き来が確立しているわけでもない以上、基本片道切符なわけだし、そもそも目当ての場所にちゃんと帰れる保証があるわけでもないんだろうしね。――つまり、あんたの魔法は対象をある程度補足できている事が条件になっているわけだ。まあ、知っていて何も教えていない糞野郎って線もあるわけだけど」

「酷い二択ね。もちろん前者よ」

「まったく視えないのか?」

「正確に言うと視えないわけではないわ。ただ、その答えを得るのに時間がかかり過ぎるの。それだけの隔たりが異世界というものにはある。そして、転移の儀式は死別際の魔力を用いて行われる予定でね。その答えを待っている時間はない」

「次の機会にするって選択肢は?」

「その場合は、占うまでもない結果しか残されていないわ。この儀式の肝は両世界の距離にあるから、離れれば離れるほどに成功率は低くなるの。もちろん、近付けば近付くだけ高くもなるのだけど」

「それはそれで、条件が整うまでに時間がかかり過ぎるってわけね」

「ええ。私にとって四、五十年程度はすぐだけど、サヤカにとっては致命的すぎる。彼女はその世界に帰りたいのではなく、その世界にある自分の居場所に帰りたいのでしょうからね。たとえ全てが上手くいって失踪してすぐの時間軸に戻れたとしても、自分がお婆ちゃんになってしまっていたらそんな場所はないも同然。事情を信じてもらえる土壌が、向こうの世界には存在していないのだから」

「それは、レニの奴にとっても同じなのか? っていうか、本物じゃないってのは具体的に何が違うわけ?」

「魂よ。中に入っている魂だけが違うの。それ以外はきっと、全て本物と差異の無いものとなっている事でしょうね」

「それは、まるで人形貸しが夢想するような魔法ね。あんたが言えない相手ってのは、相当にデタラメな奴みたいだ」

「そうね。その極致といってもいいわ」

「さながら、古の時代に信じられてきた神のように?」

「いいえ、真に神らしく、よ」

 ため息交じりに、ナアレはそうを零した。

 諦観を含んだ、やけに大人びた表情。……もう、うんざりだ。

「いい加減にしてください。いつまでくだらない戯言を並べるつもりですか? 本当の事を話す気がないなら、今すぐ舌を切り落として黙ってください」

 特に没収される事もなかったナイフを強く握りしめながら、ミーアは吐き捨てる。

 言葉だけに留めるしかない今の自分が心底腹立たしかった。力さえ失っていなければ、問答無用で喉に孔を開けてやったものを……。

「……ずいぶんとイラついて見えるな」

 呆れるように、リッセが言う。

「貴女の方は、ずいぶんと真剣に見えますね。まさか、こんな話を信じるつもりですか?」

「吟味する価値はあるでしょ?」

「正気ですか?」

「あんたよりは正気だし、ずっと冷静なんじゃない?」

 小馬鹿にするように嗤ってから、リッセはテーブルの隅に置かれていたカップを手に取って、中に入っていた液体を一気に飲み干し、

「少なくとも、異世界ってのが実在している以上、その可能性がないとは言いきれない。この世界に絶対なんてないわけだしな。……あんたも、だからイラついているんでしょう? 誤魔化すために」

 と、冷めた眼差しと共に、そんな事を言ってきた。

「それは、どういう意味ですか?」

「話していいわけ? ここで」

「――っ」

 刺すような一言に、思わずたじろいでしまう。

 それは残酷なほどに図星であった事を、痛感させるもので――

「……少し、席を外します」

 か細い声と共に、ミーアはトイレと洗面所がある奥へと逃げ込んだ。

 乱暴にそこのドアを閉めて、一人の空間が出来たところで短く息を吐く。

(レニさまが偽者で、異世界の人間だなんて、あり得ない……)

 そんなの考える価値すらない妄言だ。あの二人はどうかしている。きっと退屈の所為で、おかしな思考に酔っぱらっているんだろう。

 ……だが、仮に彼女の話が本当だったとしたら?  

 おぞましい事だが、ないとは言い切れないのだ。ミーアもまた、その可能性を完全に捨てられるほど、この世界の薄弱たる常識に身を預ける事は出来ていなかった。心当たりもあった所為だ。

 今のレニ・ソルクラウは弱すぎる。利き腕を失った事や、国に裏切られた事、それによって肉体的にも精神的にも問題を抱えているという事実だけでは到底足りないほどに。

 特に、読み合いなどの戦術面は素人に毛が生えた程度といってもいい稚拙さを感じる事が多くて、ここはどう都合のいい解釈をつけて自分に言い聞かせようとしても、違和感を拭いきれない箇所だった。

 だが、中身が違うのだとしたらしっくりくる。

(――違う。そんな筈ない)

 たしかに、不安になるほどの弱さではあるが、それだって絶対にありえない弱体化というわけではないだろう。だからこそ、違和感があろうと今までちゃんと見て見ぬふりが出来ていたわけだし、少なくとも別人説よりは説得力もある。

(そうよ。あんな揺さぶりに動揺する必要なんてない)

 リッセは他人を追いつめるのが好きなだけの悪女なのだから、まともに受け止めてはいけないのだ。その点を反省しつつ、レニの抱えている本当の問題をナアレから聞き出して……

(…………でも、でも、もし本当に別人だったとしたら、元の世界に帰るつもりなのだとしたら、私は……どうなるの?)

 それに、いつ別人と入れ替わったのかという問題もある。

 出会う前? それとも出会った後? 

 本格的なレニの戦いを見たのは、あの日以降。

 あの日にも戦いはあったけれど、特に戦術が読み取れるような類ではなかったし、利き腕を失ったばかりだった頃でもあったので、弱さにまだ十分な説得力があったから、どちらかなんてわからない。

 そう、わからないのだ。

(私に手を差し伸べてくれたあの人と、今のあの人が違う存在なのだとしたら……)

 想像するだけで、呼吸が乱れた。

 血液が熱を失っていくような喪失感に、眩暈すら覚えだす。

 こんな可能性を許容してはいけない。こんなものに意識を割いてはいけない。……あぁ、そうだ、だからこそ、強硬な姿勢をもってミーアはそれを塗りつぶそうとしていたのである。

 このどうしようもない恐怖から、自身の心を守るために。

(……お父様、大丈夫ですよね? そんな事、ないですよね?)

 首に掛けている形見のネックレスを強く握りしめながら、ミーアは祈るように救いを求める。

 けれど、当然のように死者は何も答えてくれはしない。心の平穏を与えてくれる事はないのだ。

 そして曝け出されてしまった不安もまた、もはや誤魔化す事を許してはくれなくて……洗面台の鏡に映る己の姿は、今にも泣きそうなくらいに弱々しく惨めなものだった。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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