第六章/朱銀交わる 01
「……どうやら、貴女の読みは正解だったようですね」
地上に最も近い冒険者組合から出てきたゼラフ・ガッドナイドを視界に収め、ミーアはため息交じりにそう呟いた。
次いで、右手に持つ黒塗りのナイフの感触を確かめつつ、ゼラフの脇に居る二人の護衛らしき男を見据えながら、隣にいるリッセに訪ねる。
「どうしますか? 攫いますか?」
「性急だな。少し待ちな。…………あぁ、やっぱり、霧の感じが変わりだしてる。生誕祭で発生した魔力の残滓を使って昨日一日掛けて生成したものを、こうもあっさりと弄るなんて、祭りに対する冒涜もいいところね。それだけでも十分、敵を作る恐れがあるだろうに」
自身の唇に中指の腹を押し当てながら、リッセはぶつぶつと独白し、
「――ねぇ、これ、どういう効果があるのか、あんたには判る?」
と、ぞくりとする色気をもった金色の眼差しを、こちらに差し向けてきた。
正直、霧の事など全く気にしていなかったミーアは、そこで初めて変化に気付いたくらいだったが……まあ、そのあたりは普段気にしている部分の違いだ。
「わざわざ私が答える必要があるとも思えませんが、これは魔力の色を強調する技法ですね。隠密性を阻害するには十分でしょう」
「でも、あたしには不十分だ」
自慢とも取れる言葉を、しかしリッセは酷く不機嫌そうに言った。
なにか懸念でもあるのか、それとも単純に面倒が増えた事にイラついているだけなのか……どちらにしても、今、彼女の魔法の価値に関わる内容を流すわけにはいかない。
「本当に、大丈夫なのですか?」
「問題があるように見えるのか? この程度の妨害が」
「見えるのであれば、貴女と行動を共にする理由はありませんね」
リッセ・ベルノーウは腹立たしい人物ではあるが、こと魔力の繊細な操作に関しては天才的だ。特に、周囲に自身の魔力を溶け込ませる技術は他の追随を許さない領域にある。……あぁ、だからこそ、ミーアは彼女の不機嫌さに引っ掛かりを覚えたのだ。理由が判らなかったから。
「……心配しなくても、本当に問題なんてないわよ。ただ、誰を警戒して、急にそんな事をするようになったのかって思っただけ」
白けたような表情でリッセはそう言って、ゼラフの後を追って歩き出した。
多少解せない気持ちになりながらも、ミーアもそれに続く。
どうやら、彼等は地上に向かうつもりのようだ。
左右にいる護衛達はかなり神経質に周囲への警戒を見せているが、十メートル程度離れたところにいるこちらの存在には気付く様子がない。
それをいい事に、リッセはずんずんと間合いを詰めていき、
(……まさか)
という、こちらの不安を愉しむように、ゼラフたちと同じ昇降機に乗り込んだ。
吐息が肌に触れる近距離である。当然、呼吸は出来ない。息を止め魔力をひたすらに押し殺し、気配を完全に消す必要があった。……こんな事を、相談もなしにいきなり行うリッセ・ベルノーウという人間は、やはり度し難い。
「そうだ、あとで人員を増やすよう手配しておく。その報告をお願いできるか?」
「了解しました」
ゼラフと左側の護衛が短いやり取りを終えてから、十秒ほど無言の時間が続く。
おそらく、ここが一番の関門だったんだろうが、結局彼等はこちらに気付くことなく地上に降り立った。
「……ふぅ」
足早に歩きだしたゼラフたちとの距離がある程度離れたところで、ミーアは短く息を吐く。
それを小馬鹿にするように、リッセは笑った。
「なんだ、せっかく絶好の機会を与えてやったっていうのに、殺さなかったのね?」
「護衛二人の身体は頑丈そうでしたからね。一手でやれなかった場合、こちらが不利になる恐れがありました。場所も狭いですしね、押しつけが強い場面での戦闘は避けるべきです」
もっとも、リッセが手を貸していればそういった心配もいらなかったのだろうが、残念ながらそんな期待が出来るほどの信頼はない。
「へぇ、ちゃんと冷静じゃない。まあ、あたしとしては別に殺してしまっても構わなかったんだけどな。あそこなら密室だったし、後始末も楽そうだったし?」
「それならちゃんと口にしてください。私は、貴女のつまらない意図など汲む気もないのですから」
「じゃあ、次からはそうするわ。…………さて、いい具合に距離も離れたし、そろそろ追うぞ」
言って、リッセは音のない足取りでゼラフたちの後を再び追い始めた。
……どうにも緊張感がない。まるで遊んでいるようだ。その姿勢が不快ではあったが、今のところミスらしいミスもないので、文句を言うタイミングでもない。
「話してた通り、二手に別れたな」
大木を庭に生やした貴族の邸宅の手前で、護衛の一人が駆けだしていくのを見て、リッセはのんびりとした口調で呟いた。
「こちらも別れますか?」
「トルフィネでならそうしたけどね、ここじゃさすがに遠隔で完璧に隠すのは難しい」
「では、順当に貴族の方を追うべきですね」
「あぁ、そうね。でも、その前に目印をつけておきたい。……あんた、出来る?」
「貴女は出来ないのですか?」
「あんまり得意じゃないのよ。並行作業って」
(……よく言う)
間違いなく面倒だから押し付けてきただけだという確信をしながら、ミーアは小さく圧縮させた魔力を駆けだした護衛の太腿に向けて放った。
極々微量な魔力だ。よほど感知能力に優れていない限り、その発信源には気付けないだろう。
事実、護衛はこれといった反応をする事もなく一定の速度で離れて行き、やがて見えなくなった。
それを確認し終えたところで、急にリッセが歩調を落とし、再びゼラフたちとの距離を作っていく。
「どうかしたのですか?」
「嫌な方向。どうやらあの貴族、本気でここでの後先を考えてないみたいだな」
どこか弛緩していた空気が、冷ややかに研ぎ澄まされたものへと変わっていく。
その原因がなんなのかは、それから二十秒ほどで理解出来た。
信じがたいほどに厳重な魔力の網。凄まじいレベルの周囲への警戒が、そこにはあったのだ。
「間違いない、か。これは最悪だな」
「……一人で納得しないで貰いたいのですけど?」
「あぁ、イル・レコンノルンが敵になったってだけの話よ」
「レコンノルン? それは貴女の婚約者ではなかったのですか?」
「あはは、嗤える冗談ね。――今すぐぶち殺すぞ、てめぇ」
どこまでも静かなトーンと共に、リッセはいつの間にか手にしていたナイフをミーアの喉元に突きつけていた。……もっとも、こちらも反射的にその間にナイフを差しこんでいたので、そのまま突き出されていても致命傷にはならなかったが。
「続けますか?」
「はっ、そんな時間の無駄するわけないだろう?」うんざりした表情でナイフを仕舞い、リッセは自身の朱色の髪をバサバサと掻き乱した。「しかし、どういう状況でこうなったのか。……レニの奴、存外派手に暴れているのかもね」
「それで、手勢では敵わないと悟り、外部に応援を寄越したと?」
「あいつじゃ無理か。そこまで強くはないしな」
「それも十分つまらない冗談ですよ。あの方以上の戦力は、おそらくこの国には存在しません」
そう返すと、リッセは軽く驚いたような表情を浮かべて、
「あんた、本気で言ってんの?」
と、眉をひそめた。
まあ、妥当な反応だ。ミーア自身、今の彼女にそこまでの強さがない事は判っている。
それでも口にしたのは、今でもその程度の事が出来るだけの性能はある、という確信があったためだった。
レニ・ソルクラウは間違いなく弱くなったが、その原因はおそらく身体的な欠損よりも精神的な理由が大きい。
精神とはすなわち判断だ。なにを優先して、何を切り捨てるかという取捨選択に他ならない。
それが変わると、人というものは驚くほどに強くなったり弱くなったりする。ミーア自身、帝国時代の仕事柄そういう人間を多く見てきた。特に顕著なのが、大切ななにかを失った時だったからだ。
レニは人殺しをしなくなった。出来なくなったのか、自身でそれを禁じたのかはわからないけれど、強行的な姿勢は取る事は少なくなった。
もちろん、かつてのレニ・ソルクラウを直接知っていたわけではないので、それは報告書を鵜呑みした場合の話ではあるのだけど……なんにしても、国家に裏切りによって彼女が変わったのだけは確かだろう。
そしてそれは、おそらくミーアにとっては喜ばしい変化でもあった。人に弱くなったからこそ、自分にも出来る役割が増えたからだ。誰になんと言われようと、やはり必要とされるのは嬉しいし、なによりその繋がりに安心できる。
だが、それはけして揺るぎない状態というわけでもない。精神的な傷というものは治すのが困難な反面、ふとしたきっかけ一つであっさりと回復したりもする非常に不安定なものだからだ。
今回もまた人という敵を前に危機的状況に陥った事によって、レニは今の自分を捨てて、本来の自分を取り戻そうとしているのかもしれない。
(だとしたら私は……)
それを、どう受け止めるべきなのか。
どうすれば、今と同じ関係でいられるのか……
「まあいいわ。それよりも、さっきの奴を追うわよ」
ミーアの思考を断ち切るように、リッセが強い口調で言った。
その対象がゼラフであるなら素直について行くだけで良かったのだが、部下を追う?
「何故ですか?」
「あいつが絡んできた時点で、尾行が無理になった」
「……空間転移、ですか?」
「或いは瞬間移動ね。まあ、正確には判ってないんだけど。あいつは、ある程度の距離までなら一瞬で潰せるんだよ」
なるほど、それなら確かに尾行が徒労に終わる可能性は高いだろう。
しかし、どちらにしても微妙な魔法だ。個人が使うにしては強力だし、貴族である事にも殊更に違和感はないが、大貴族となると話は変わってくる。トルフィネはそこまで外交に比重を置いていないためだ。
「イル・レコンノルンの魔法は、それだけなのですか?」
「いや、むしろそっちが個人のもので、あいつを大貴族足らしめているのは重力支配の方だ」
「重力支配ですか?」
それもまた、転移門の関係以外ではそこまで重宝しそうにない魔法だが――
「余所者は当然なうえ、歴史に興味がない奴も大抵は知らない事実だけどね、トルフィネにおいて重力を管理するってのは人口問題に関わってくるくらい重要な要素なんだよ」
「……つまりトルフィネの環境は本来、外の世界の異常領域と同等に過酷だという事ですか?」
「ええ、魔域でもないってのにね。レコンノルン家がないと、半数以上の人間が生きていけない世界に早変わりってわけ。まあ、正確にはもう一つ重力を管理している家はあるんだけど、それもレコンノルンの分家みたいなもんだしな。まさに、大貴族って感じの役割でしょう?」
「たしかに、それなら納得ですが……そのような歯車が外に出向くというのは、さすがに常軌を逸しているのではありませんか?」
「もっともね。まともな大貴族の行動じゃない。だからきっと、人形なんじゃないの? 今この都市に居るのは、あの糞餓鬼の魔力を命一杯に詰め込んだだけのね」
酷くつまらなそうに、リッセはそう答えた。
「貴族に人気が出そうな魔法ですね、それは」
「実際、知ってる奴等には大人気よ? 一日一人限定の、ゼルマインドの人形貸しはね。……まあ、世話話はこれくらいにして、そろそろ気を引き締めた方が良さそうだな」
その呟きに合わせるようにして、護衛の移動が止まった。
少しだけ歩調を速めて距離を縮めると、なかなかに神経質な雰囲気を纏った屋敷が姿を見せる。
「……厳重ですね」
とはいえ、先程の空気に比べれば弛緩しているも同然ではあったが。
「ほんと、嗤えるくらい解りやすい。ここがトルフィネなら、あたしは間違いなく罠を疑うわね。まあ入るけど」
「それで問題ないと思いますよ。ここが正解でしょうし」
「根拠は?」
「ナアレ・アカイアネの魔力の残滓を感知しました」
巧妙に隠されていたが、ミーアにはすぐに分かった。
これも罠と言われれば罠なのかもしれないが、ここはレフレリだ。トルフィネのように、貴族飼いという問題を抱え続けてきた都市とは違い、諜報というものへの危機意識がそもそも低い。……いや、低いというほどでもないのか。トルフィネが異常すぎるだけで。
「……なるほど、こいつがナアレか。変な服着てるわね。帽子に合わせた感じかしら?」
もう魔力を屋敷内に飛ばしていたのか、リッセは正解を引き当てたと思わせる発言をした。
「彼女はどういう状態ですか?」
「右目貸しな。そしたら見せてやるわよ」
「…………どうぞ」
躊躇いを覚えつつも、ミーアは頷く。
直後、右目に映る光景が一転し――目の前に、ナアレ・アカイアネの姿が映し出された。
実に優雅に、飲み物を啜っている彼女の姿が。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやったください。




