18
……見知らぬ誰かの家のリビングで、非道が行われている。
不法侵入に器物破損に暴行に強要の四連続。
それを平然とした表情で成し遂げたラウの視線の先には、頬に青痣を作った四十くらいの男性の姿があった。
「もう一度言う。お前が仕掛けてきた所為で落としたこいつらを治せ」
ナイフをその男性の喉元に突きつけながら、ラウは静かな口調で言う。
押し入ったこの家は、どうやら医者の住まいらしい。まあ、予想はしていたけど、それは今知った事実でもあった。
ラウは当たり前のようになんの説明もなく、俺をこの状況に連れ込んだのだ。いや、本当、行動の全てがあまりに迅速過ぎて口を挟む余地すらなかった。……もうなんというか、一体どれだけ慣れれば、ここまでの手際になるのか。
「ラウ、あの、これはいくらなんでも――」
「黙っていろ」
冷たく言い放つと同時に、ラウは懐から手のひらサイズの皮袋を取り出し、その中に入っていた十数枚の硬貨を手近にあったテーブルの上にばら撒いた。
「報酬だ」
「……」
男性の表情に、恐怖以外の色が浮かぶ。
つまり、それだけの大金だったという事だが、その目にはまだ抵抗の意志が強く残っていた。
という事はやはり、俺が何をした人間なのか、もう霧の外にも広がっているみたいだ。だからこそ、義憤や正義感というものが利口な選択を阻害している。
それを消してしまう方法は色々とあるが、一番手っ取り早いのは暴力だろうか。
けれど、幸いな事にラウはそれを積極的に使う気はないらしく――というか、それよりもよっぽど効果的な方法を熟知しているようで、おもむろに視線を左手の壁の方に動かしてから、
「もうじき三人が帰って来るな。長引かせてもいいのか?」
と、つまらなそうなトーンで言った。
瞬間、男性は大きく目を見開き、再びその表情を恐怖一色に染め上げる。
三人というのは、おそらく彼の奥さんと子供たちあたりだろう。ちょっとした買い物に出かけていたという情報を、ラウはその耳で掴んでいたようだ。
まさに、心臓を鷲掴みにするような脅し文句。
「――わ、わかった。すぐに治す。治すから!」
自分だけならともかく大事な人間は巻き込めないと、男性は慌てて俺の方に駆け寄って、血塗れの両足に手を伸ばした。
そこから放たれた淡い光が傷口を塞いでいき、途切れていた感覚も繋いでいく。
一分ほどで健を切られた両足は元通りになり、それから三十秒ほどで水の弾丸を撃ちこまれた肩と脇腹と太腿の損傷も完治した。
それを可能とする為に消費された血液と、元々の出血分が合わさって、なんだか身体がふらふらするが、とりあえず最低限の動きは出来そうだ。
「……ありがとう、ございます」
この状況で口にしていい言葉なのか少し迷ったが、助けてもらった事実を変に流すのも気持ち悪い。まったくもって自分本位の感情でしかなかったが、医者の男性は「あ、あぁ……」と、戸惑いを見せつつもそれを受け止めてくれた。
そこに微かな救いと、これ以上ないほどの罪悪感を覚えつつ、俺は出来るだけ柔らかな口調で訪ねる。
「あの、彼女の方も治せそうですか?」
「……問題ない。頭部への損傷は深刻だが、強い魔力を受けた痕跡はないし、出血自体も少ないからな」
ミミトミアの頭に慎重に手を乗せながら、彼はサクサクとその傷を治していく。
治療にかかった時間は十秒程度で、俺よりもずっと早かった。その理由は、先述された通り、それほど強い魔力によって傷つけられたわけではなかったからだろう。
「済んだな。もういいぞ。お前は消えろ」
終わるや否や、ラウが言った。
相当に誤解を招く物言いだ。案の定、もう用済みだ死ね、とその言葉を受け取ったらしい医者は、恐怖と怒りに表情を歪める。
が、いくらなんでもラウはそこまで非道な人間ではない。ただ、言葉が足りないというか、端的すぎるきらいがあるだけなのだ。
それを物語るように、硬直している医者に眉をひそめて、ラウは面倒そうに言った。
「どうした? 早く出て行け。それとも身内を戦場に巻き込みたいのか?」
「……」
なにかを諦めるように短く吐息をこぼしてから、医者は玄関へと続くドアの方に身体を向ける。
と、そこで
「報酬を忘れるな。これから入り用だろう?」
素っ気ない口調と共に、零した効果を袋に詰め直したラウが、それを医者の上着のポケットにねじ込んだ。
そうして家主が去り、不法侵入者が家を独占したところで、俺はため息交じりに言った。
「追い出す事はなかったんじゃないの? というか、こっちが出て行くのが最低限の筋だと思うんだけど」
「あれには迷惑料も含まれている。それに、重要な話は外でするものじゃない。……まあ、重要になるかどうかは知らんがな」
そう言うラウの視線は、気絶中のミミトミアに向けられている。
どうやら、聞きたい事があるから彼女を助けたのだと思われていたようだ。
こちらとしては、そんな意図もなかったのだが……まあ、話を聞ける状況ではあるわけだし、色々と確認を取っておくのも悪くないだろう。
「――早く起きろ」
微かに身じろぎしたミミトミアの脛を、ラウが爪先で蹴飛ばす。
手加減はしたと思うけど、弁慶の泣き所である。ミミトミアは「ひぎゃ!?」と悲鳴を上げながら飛び起きた。
「……容赦ないな」
「二度も同じことを言わせるな」
つまらなそうに応えてから、ラウは椅子に腰を下ろして腕を組み、目を閉じた。
そのタイミングで、痛烈な覚醒を済ませたミミトミアの視線が俺の方に向けられる。
痛みを堪えつつも憎しみを宿した濡れた瞳。……絶対、俺が蹴ったと思っている表情だった。
とはいえ、違うと弁明するのも面倒くさい。どうせ嫌われているわけだし、今更心証を気にしたところで、大した違いは出てこないだろう。
「最悪な目覚めのところ悪いけど、いくつか聞きたい事がある」
「……お前に話す事なんて、ないわよ」
端的な問いに、ミミトミアは頑なな態度を見せる。
「それは私がアカイアネさんになにかをしたから? それとも、単純に気に入らないから?」
「どっちもに決まってんだろう?」
即答だった。何も考えずにも物を喋っているのがよく判る振る舞いだ。
この状況で、それなのである。
俺はこれ見よがしにため息をついて、
「頭をやられた影響かな、記憶に問題が生じているみたいだね」
「それは元々だろう?」
と、目を閉じたままラウが口を挟んできた。
侮蔑を多分に含んだニュアンス。
「……こいつ、誰だよ?」
この手のタイプは、自分に対する評価にやたらと過剰な事が多い。
例に漏れずミミトミアも今にも噛みつきそうなほどの怒りを滲ませながら、ラウを睨みつけていた。
これで本当に飛びかかったら、多分彼女は殺されてしまうだろう。さすがに、そこまで莫迦だとは思っていないが……一応、釘は刺しておくことにする。
「君に優しくない人だよ。そして、いつでも簡単に君を殺せる人間だ。まあ、あの場から私達を助けてくれた恩人でもあるけどね」
「あたしを、助けた……?」
本当に記憶が混濁していたのか、ミミトミアは意味が分からないとでも言いたげな、間の抜けた独白をしてから「――っ、そうだ、あいつら……!」と声を荒げた。
怒りの矛先が変わってくれたのは幸いである。今なら、少しは話も通じるだろう。
「君は、仲間であるはずの冒険者たちに暴行を受けて死にかけた。その時、彼等はなんて言っていた? ……もう一度訊くよ。私と話す気がないのは、私がミミトミアさんになにかをしたから?」
「…………なにが聞きたいんだよ?」
苦々しげな表情で、ミミトミアは言った。
アカイアネさんの件については、とりあえず誤解を解く事は出来たようだ。
「そうだね。まず、誰からその情報を聞いたの?」
と、俺は訪ねた。
「ゼラフからだよ。組合の偉い奴」
「彼とアカイアネさんの仲は良好だった?」
「そんなわけないでしょう? あいつはいつもナアレさんに文句ばっか言ってたし」
なのに、そんな奴の言葉を鵜呑みにしたわけだ。
まあ、気に入らない相手を攻撃する、判りやすい正義が欲しかったというところなんだろうけど……。
「その場には一人だったの?」
「ガフもいたわ」
「だとしたら、彼も狙われる可能性があるね」
或いはすでに敵の手に落ちて、人質として使われた結果、アカイアネさんは窮地に陥ったのかもしれない。この可能性は高そうだ。
「連絡は取れる?」
「いや、仕事以外で会う事なんてないし……」
バツが悪そうに視線を逸らしながら、ミミトミアは答えた。
そこそこ仲は良さそうな印象だったのだが、それもアカイアネさんありきとは……まあ、他人の人間関係をつついても仕方がないか。
けど、この分だと今持っている情報以上のものが出てくる事はなさそうである。
それなら、今後の展開を気にした方が建設的だろう。
「ミミトミアさんは、これからどうするつもり?」
「どうするって……何が言いたいわけ?」
「また襲われた場合、一人で凌げるのかという話だよ。さっきの人達は君を殺そうとしたけど、多分君を捕まえようとする人たちも出てくる筈だ。そういった人たちは積極的に君を狙う。アカイアネさんに対して、価値があると思っている人達という事になるからね」
逆に言えば、ランドたちはミミトミアにその価値がないと判断していたのだ。
ザーナンテさん一人で十分と見たのか、卑怯な手など使わずともどうにかなると驕ったのかは不明だが……というか、完全に失念していたけど、あの行動を見る限り彼等はアカイアネさんの事をある程度把握していた可能性が高い。
ランドあたりをここまで連れて来れたなら、色々と欲しい情報も手に入っただろうに……まあ、今更嘆いても仕方がない事だし、そもそもそのあたりはリッセに全部任せるのが正解なのかもしれないが。
「……どうして、あたしを助ける気になってるわけ?」
十秒くらいの沈黙の後、ミミトミアは不安な表情で訪ねてきた。
これがアネモーであったり、コーエンさんであったり、ドールマンさんとかなら「愚問だ」と返す事が出来ただろう。もしミーアだったなら、いっそ怒っているところだ。けれど、残念ながら彼女はそのどれにも当て嵌まらない。
「君がアカイアネさんの仲間だからだよ。そして私は今、彼女との関係を崩すわけにはいかない」
身も蓋もない本音だが、納得させる分にはこれ以上の言葉はないだろう。
もっとも、納得させる事自体、特に必要でもなかった気がするが……。
「……それで、どうするの? そろそろ答えて欲しいんだけど」
「あ、あたしは……あたしは……」
言葉は続かない。
よほど、俺の手を借りるのは嫌みたいだ。それで死んでもいいって言うなら、止めるのは野暮だろうし、いっそ好感も持てるんだけど……多分、そんな覚悟もなさそうだった。
それを物語るように、彼女の手足は小刻みに震えている。自分一人じゃ同じ目に合う可能性が高いと判っているのだ。だから、媚びるような眼差しだけを向けてくる。
本当に、面倒くさくて鬱陶しい女。一体こんな女のどこに見込みがあるというのか……と、我ながらずいぶんと失礼な事を考えつつ、でも仕方がないかと、俺は彼女にもう少しだけ歩み寄ろうと言葉を探して――
「三分で決めろ」
こちらの妥協に釘を刺すような、ラウの声を聞いた。
「出来ないなら、トルフィネに捨てる。それで全て解決だ。安全は確保され、足手纏いもいなくなる」
冷たい視線をミミトミアに向けながらそう言って、ゆっくりと椅子から立ち上がった彼は、そこで短くため息をつく。
「……訂正だ。二分に変更する。どうやらレフレリは人材不足らしい」
その言葉で、俺はここに近づいてきている気配に気付いた。
それから十秒遅れで、ミミトミアも感じ取ったようだ。相当な数を前に表情を強張らせるが、恐怖を抱く対象を間違っている。
「いいな、俺がここに戻って来る前に決めろ。出来なければ、舌を引きちぎってから捨てる」
「――っ」
本気だという事が伝わったのか、ミミトミアの喉が引き攣った。
これで、彼の警告は間違いなく真摯に受け止められる事だろう。懸念があるとすれば、敵が二分も耐えられるのかという点だが……まあ、そのあたりは、もしかすると調整してくれるのかもしれない。
そこに少しだけ期待しつつ、俺は彼女の選択を待つことにした。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




